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漫画の話です。

『ハコヅメ 別章 アンボックス』個人を守り縛る立場の話

 また『アンボックス』の話。

上司の存在のありがたさ

 自分がDV事案としてかかわっていた人間が被害者となった事件。カナと同僚の益田は、世間からも同僚からも、「なぜ事件を防げなかったのだ」という非難の視線にさらされました。
 現に特別捜査本部内でも、「担当係はどんな対応をしていたんですか?」という質問が出されました。

息もできない ここにいるみんなが私を責めている
私がもっと…どうにかしてたら こんなことにはならなかった
でもこんな空気の中で どう言葉を出せば…
(p61)

 刑事部長が発した質問は、特別に語気が強かったり、責めるような口調だったりするわけではなく、あくまで事務的な確認の様相ですが、当事者の警察官としてかかわっていたカナには、「どんな対応をしていたんですか?(まともな対応ができていなかったからこんな事態になったんだろうか!!)」と聞こえていたことでしょう。
 ですが、何を言えばいいかわからないカナに代わり、生活安全課の直属の上司である西川係長が、これまでの経緯を簡潔にまとめた、いい意味で事務的な報告を行い、それを受けて捜査本部は、冷静に方針を決めました。西川係長の堂々とした姿に、カナは心の底から感謝します。

こんなにも上司の存在がありがたいと思ったのは初めてかもしれない
「なぜ女性をまもれなかった」という正義の目が
世間からも警察内部からも私たちに向かってくる
(p64)

 西川という上司のおかげで、カナは「正義の目」の矢面に立つことを避けられたのです。

立場の作用・陽 立場は個人をどう守るか

 ここではカナと西川には、生活安全課内の部下と上司、ヒラと係長という関係、立場があります。組織において、案件について方向性を示す管理職、現場で動く末端、末端と管理職の間で各種調整をする中間管理職と、ざっくりと三種類の立場を考えられますが、この立場の違いは、属する人間の関係性の枷でもあり、同時に盾でもあります。
 たとえば、本編での事例ですが、息子が暴れているという母親からの通報に、川合・藤・源・山田の四人で臨場すると、バットを持った男が暴れていました。男を保護すべく源が署にお伺いを立てているその間に、興奮した男が藤に暴言を発し、それに激した山田が公務執行妨害の現行犯で男を逮捕してしまいました。署に戻ると、指示に従わずに先走って逮捕した山田(と源)が係長から叱られ、それを見た刑事課長が係長も含めて諫めてその場をまとめました。
 一連の対応について、川合が刑事課長に話を聞くと

理想で言えば警察官は滅私奉公 仕事をするときゃ私情を捨てて 「立場」で動けばいいんだ
だから下っ端は頭を下げ 中間は上司に見えるように叱ることで部下を守り
上は適当なことを言ってその場をおさめるんだ
こんなもん全部約束動作だ
(4巻 p122,123)

 と、源らが頭を下げたのも、係長が派手に叱責したのも、課長が全員を諫めたのも、すべてある種のお約束、予定調和だというのです。
 下っ端は頭を下げ反省をアピールすることで自分を守り、中間は自分が叱ることでもっと責任のあるものから怒られぬよう部下を守り(同時に失敗した部下を叱ることができる自分を見せ管理責任を示して自分を守り)、上はその茶番を知ったうえで全員を諫めることでそれ以上のお咎めはなしとその場を切り上げ全員の体裁を守る。
 こうして、各々が各々の立場をわきまえた振る舞いをすることで、各々の立場が守られたのです。立場は、その立場ゆえに叱ったり叱られたりしなければいけないものですが、その叱責は個人というよりも立場に向けてされるものであって、それはいわば自分の一側面、全人格的な否定ではないのです。
 他にも、朝礼で川合が副署長から、警察官にとって一番大事なものを新任に教えるとしたらなんだ、と問われると

「はい! 警察官としての誇りと使命感です」
「ん? 何言ってんだおまえ ホウ・レン・ソウだよ 報告・連絡・相談
下っ端の一番重要な自己防衛策だ 上司に責任を転嫁していけ」
(3巻 p142,143)

 と切って捨てられました。末端での下っ端の行動は、上司の命令に基づくもの。なにをしたか都度都度ホウ・レン・ソウをしておけば、その行動はすべて上司の責任とできる。自分を守るために、ちゃんとホウ・レン・ソウをしておけと。
 これもまた、立場に応じてやるべきこと、とるべき責任があることを端的に、ユーモラスに示しています。

立場の作用・陰 立場は個人をどう縛るか

 立場に応じて、人はとるべき行動が違います。下っ端は下っ端なりに、中間は中間なりに、上は上なりに。組織としての効率を考えてそうするのがよいというのが、立場に関するポジティブな効能と言っていいでしょう。
 ですが、立場は盾であると同時に枷なのです。ある立場でいることは、その人に「かくあれ」という縛りを与え、それは時として、個人としての考えと組織としての意向にギャップを生みます。
 「アンボックス」事件で、刑事部長からの指名やかつての部下からの嘆願を冷淡に跳ね除け、刑事課長が源を取調官に指名したとき、ペアである山田は疲労にすり減った心で無感情に独白しました。

今すぐポケットの中の警察手帳を床に叩きつけて 何もかも放り出して逃げてしまいたい
けど…
やるのが毛玉野郎なら 俺が行く以外ねぇじゃんかよ
(p106)

 刑事課長や源とは違い、その他大勢の警察官と同じく「強くて正しい」わけではない山田は、彼個人の心情としては中富係長に取り調べをしてもらいたかったものの、刑事課長の鶴の一声で源が指名されたからには、それがどんなに非道な指令であろうと、ペアっ子の自分が一緒に行かねばならない。ペアっ子という山田の立場は、強く彼の行動を縛りました。

 また、上でも少しふれたように、立場とはあくまでそこにいる個人の一側面に過ぎず、立場における責任を全人格的に引き受けるべきものではありません。
 カナは事件の捜査が続く中、近辺の小学校の警備をしていた際に、近所の住民が、事件の被害者のDV事案を担当していた警察官、すなわちカナについて言うのを耳にします。

「殺人事件の被害者を担当していた警察官は 氏名の公表も処分もされてないんだろ」
「被害者のコもご遺族も報われないよ 担当警察官にはきっちり刑事罰を与えるべきだよね」
「いや警察は市民は守らなくても身内だけは守るだろ」
「こんな酷い事件を起こしてお咎めなしで 自分はのうのうと税金貰って普通に生きていくなんて・・・本当許せない話だよ」
(p110)

 本人がその場にいると知らないからというのもあるでしょうが、言いたい放題です。守られるべき市民だからといって、度を超えた悪口雑言を口にしていいわけではありませんが、人は時として、立場が負うべき責と、個人が負うべき責を混同してしまうのです。立場にしか向かないはずの批判が、立場を越えて(そして批判という枠を超えただの悪口として)個人にまで届き、その立場に縛られ逃げられないカナは、個人としてその無自覚な悪意にさらされました。

マジョリティと立場 匿名の世間

 ついでに、前回でも触れたマジョリティ、というか世間も絡めて考えますが、世間には肩書がありません。立場がありません。警察やマスコミのような明確な組織の中でどういう立場にいるのか、というのが存在しません。
 それゆえに、立場と個人のギャップも存在しません。確たる見識もないから、他の人も言いそうな聞こえの良いことを、世論に乗ってふらふらと右に流れ左に流れ、好きに言えるのです。マジョリティという匿名のマスに紛れると、その中で何でも言えてしまいます。上の市民の悪口も、自分が何者でもない、何の立場もない一般市民という意識だからこそ出てきます。
 たとえば『こち亀』で、やらかした両津を野次馬たちがはやし立てますが、ぶちぎれた両津が「誰だ今ポリ公と言ったやつは! 一歩前に出ろ!!」と拳銃を抜けば、それ以上言えずにしっぽをまいて逃げ出すのです(まあこれは拳銃パワーが大きいですが)。
 一歩前に出るというのは、マスに紛れた匿名性をはぎ取られるということであり、マジョリティでなくなるということです。それゆえ世間は特定されることを恐れるし、逆に特定されたうえでお願いされれば、マスの中でとったデカい態度もなくなるのです。中富鎌田ペアと川合が日参した(ウンコを漏らしかけた)情報提供者のように。

 「多数派の「正義」側の人間」になりたくて警察官になったカナは、警察官という肩書を得て、その立場に守られながら職務を行えるはずでしたが、しかし立場は彼女を十分に守ってくれはせず、それどころか、「警察官」という立場がかえって重圧となり、彼女に自殺すら選ばせかけました。ギリギリでそれは踏みとどまったものの、結局警察を辞したカナ。次回は、『アンボックス』のまとめとして、カナという女について考えてみたいと思います。たぶん。



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