7巻でとりあえずの決着を見た『3月のライオン』いじめ問題について、軽い雑感をば。
- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2012/03/23
- メディア: コミック
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しほやひなをいじめていた主犯格は高城のグループですが、それ以外の人間も彼女らを助けることはせず、結果的には間接的にいじめに加担していたことになります。いじめは、実際にいじめていなくてもそれを止めずに傍観していれば同罪だ、というようなことはよく聞かれます。いじめられている人間にとってはその通りなのでしょう。助けを求めて周囲を見回しても、そこから手が差し伸べられなければより深い絶望に叩き落されるばかり。『3月のライオン』では、しほにはひなが、ひなには零や高橋がいたために完全な孤立というわけではありませんでしたが、それでもその助けが常にあったわけではなく、圧倒的な孤立感に囚われていたのは想像に難くありません。
ただ、その傍観の態度にも濃淡はあるわけで。自分にお鉢が回ってこなければいいやくらいの気持ちで、いじめの現場を面白がりながら見ていた人間もいたでしょう。けれど、どうにかしたいけれどそれで自分もいじめの対象になってしまうのが怖い、ということで見ているしかできなかった人間もいて。
…… ごめんなさいっっ
こ…こわかったの だから 何もできなかったの…
私達… あやまってももうゆるしてなんかもらえないかもしれないけど…
…でも どうしても 謝りたくって……
(7巻 p134,135)
この、傍観しながら心を痛めていた、という立ち位置にいたクラスメートの存在に、なにかこう、いじめという問題の辛さがあるように思います。
7巻の時点で、高城らによる謝罪という形でひとまずの終結となったわけですが、その謝罪が「心みじんもこもってねーし」とベテラン教師に言わしめるものであったように、少なくとも主犯格であった高城には、罪悪感も後悔の念も見られません。
ねぇ先生 私 いつまで呼び出されるんですか?
――っていうか 謝りましたよね? もう
(7巻 p113)
いじめていた当人がそのことを責められてもなお恬としているのに、ただ傍観していた人間こそが良心の呵責に悩まされている。そしておそらくは、その傍観の消極性が強ければ強いほど、呵責も強くなっていく。ひなに泣いて謝っていた同じ班のクラスメートと、いっそ無邪気な顔でいる高城との対比が、いじめの中での立場の濃淡との非対称性というか、ままならない因果応報というか。単純にカタルシスということなら、高城らが泣いて謝って後悔に身を引きちぎられるというものを描けばいいのでしょうが、泣いて後悔して身を引きちぎられているのは傍観していた者たち。それはきっと、いじめ問題はそういうところが(も)ひどくやるせない、という羽海野先生の考えた方なのかな、と。
で、もう一つはその高城の話。上で書いたように、いじめた罪悪感も後悔の念もない高城。そして、娘の言葉を信じ、高圧的な態度に出るその母親。その態度に、彼女の将来、より正確には彼女が生むであろう子供を取り巻く将来に暗い予感がします。
「世代連鎖」というものが親子関係にはあるようで、子供は特に同性の親の態度を見て育ち、自分が親になった時も知らずその態し度を採用してしまう、というものです。「親」の情報は巷に溢れていても、一番の情報源は無論、一緒に暮らす自分の親。断片的な情報ではなく、生身で「親」がいかなものかを実感するのですから、その態度が自分の血肉へと浸みていきます。血肉と浸みたそれは目に見えず、つまり意識化する事ができず、自分が親になった時に無意識のうちににじみ出てくる。そういうものだそうで。
その線で行くなら、高城は彼女の親の態度を見て育ち、親になった時はその態度を踏襲する可能性が強いということになります。
彼女の母親は、「私は娘を信じます」と力強く言いました。娘を信じる。時と場合さえ考えれば、とても美しい言葉です。まったく同じ言葉をあかりが言えば、思わずそこで大団円にしたいほどです(ひなはああかりの娘じゃないけど)。読み手は実際に高城がいじめをしていたことを知っているから、彼女の言葉がひどくうすら寒いものだという事がわかります。でも、彼女はきっと、心から娘のことを信じているのでしょう。話を聞くまでもなく、あるいは娘の言い分のみを丸のみにして、強硬な態度に出て娘を擁護しようとする。その態度に直に触れていた高城は、どう感じるか。自分を守ってくれる母親への信頼を強くするのか。それとも自分が何に悩んでいるかも聞かず、無責任にはやし立てるだけの母親へ冷たい呆れを抱くのか。
彼女の親に対する苛立ちは、端々に現れています。
ねぇ先生 私たち この先生きてて何かいい事あんの?
お母さんもお父さんも みんながんばって勉強していい学校行かないとダメだって言うけど いい学校に入っても いい会社どころか今は就職できるかもわかんないんでしょ?
「がんばればいい事ある」って保証もないくせに がんばれがんばれってそれおかしくない? 一生懸命がんばった挙句にダメだったとしても だれも責任とってくれないんでしょ?
(7巻 p114,115)
先生には 私の気持ちなんてわかんないよ
(p116)
自分の抱えた鬱屈に気づかないまま無神経に「信じる」と口にする母親に、高城はどう思うのか。そして、そんな母親の態度を浴びせ続けられた高城が親になった時に、子供にどのような態度をとるのか。その子供は周囲の子供にどのように振る舞うのか。
せめてもの希望は、ベテラン教師の言う「これからの話をしましょうか」です。これはひなとあかりに向けた言葉ですが、彼は「私の気持ちなんてわかんないよ」と言う高木に向かっても「話そうぜ?」と言い返します。
相手の気持ちはわからない。そんなのは当たり前。だからまずは教えてほしい。
いじめはもう起こってしまった。でも、それが解決したからといって全て終わったわけではない。「これからの話」とは、ひなたちの側にしてみれば彼女がどう守られるかということですが、高城の側で見れば将来のいじめをどう防止するかということ。しかもそれは、いじめをする側になることもされる側になることも防ぎ、高城だけでなくその子の代まで起こらないようにするということ。
ああ、本当に「「育」の字が無けりゃとっくに放り出し」たくなる困難な問題。
すっきりした答えも解決も訪れることのないいじめ問題。『3月のライオン』も決して大団円ではありません。でも、それゆえに読み手に問題の困難さを意識させるものとなっています。
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