11巻での重たい父親話も終わり、わりかしライトな話の多かった『3月のライオン』12巻。
- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2016/09/29
- メディア: コミック
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それはそれとして、将棋の盤上の状況については、もうちょっと説明があってもいいなと思いました。藤本棋竜が土橋九段の指し手に目を丸くした理由とか、vs滑川戦で横溝が二度見した理由とか、駒の動かし方くらいしか知らない人間にはわからんどす。
さて、今巻でハッとしたのは、Chapter.123のこのシーン。
指宿では何か…ただ びっくりした
れいちゃんはそこではもう プロ棋士という世界の中で生きている一人の大人で
皆の期待を受けとめて ちゃんとまっすぐ立っていて
いつもウチでご飯を食べたり遊んでくれるれいちゃんとは
違う人みたいで
彼には彼の住む別の世界があって そこで築いてきた自分の立ち位置があって
私たちがこう 好き放題何かを頼んだり
甘えてはいけない人なんじゃないかって……
少し 気づいちゃったというか…
――でも
でもね 今の私たちにはわかるんだ
――そんな風に 遠慮して 距離を置いたら
れいちゃんにとって それが とても 淋しい事なのだと
(11巻 p120〜122)
これは、夏祭りの手伝いをまた零にお願いしてもいいものかどうか悩んでいる川本姉妹、特にひなのモノローグですが、彼女らは、プロ棋士としてプロ棋士の仕事をこなしている零の姿を見て、まるで彼が自分達とは「別の世界」に住んでいるかのように感じてしまったのです。けれど思い直します。そのような扱いは零にとって「とても淋しい事」なのだと。
なににハッとしたって、彼女らが、特にひながそう思ったこと、それ自体です。
別にそれは普通のことだろうと思うかもしれません。誰かの内心を想像するなんて当たり前にすることだろう、と。特にひなは気遣いができる子なのだから、それくらいできて当然じゃないか、と。私も、ハッとした後にそう思いました。そして、思ってから悩みました。ひなはそういう子なのに、なぜハッとしたのだろうか、と。
改めて、引用したシーンでの、ひなの気遣いの想像力を考えてみましょう。
彼女はまず、大盤解説を始めた零を見て、「違う人みたい」「別の世界」「私達がこう 好き放題何かを頼んだり 甘えてはいけない人」という印象を抱きました。にもかかわらず、そう思い「遠慮して 距離を置」くことが、零にとって「とても淋しい事」であり「真剣に 私たちの所に飛び込んで来てくれた 彼に対して とても失礼な」ことだと考えるのです。
つまり彼女は、零が「甘えてはいけない人」であるという印象を抱いた、いわばネガティブな臆断を抱いたにもかかわらず、それで目を曇らせることなく正確に零の内心を推し量ることができたのです。自身の想像力を客観的に検証できているといってもいいでしょう。
神ならぬ人の身、他人の内心を完璧に理解することは不可能です。ですから私たちは、日頃の言動から「この人はこう言うときにどう思うだろう、どう感じるだろう」と推測していく根拠を少しずつ見つけ、地道に想像力を構築していくしかありません。やはり神ならぬ人の身、その構築にも主観が混ざらざるを得ませんが、もしそこに過剰なフィルターがかかってしまったら、築かれた想像力も歪にならざるを得ません。
ひならが目にしたプロ棋士としての零の姿は、彼女らの目にかかる濃い色眼鏡となりうるものですが、彼女らはその色の濃さを把握し、というよりはそこに色眼鏡がかかったことを自覚し、正確に零の内心を見据え、きちんと彼に声をかけようと考えるのです。
従前のひなが見せていた気遣いは、「零とはこういう人物だ」という既存の想像力からそのまま導き出されているもので、おそらくそこには自身の想像に対する疑いの眼差しがありません。自分の想像が歪になっていないかな、と省みてはいないのです。
たとえば彼女と零が出会ったばかりの頃。
<――れいちゃんやっぱり 元気ない……
おねいちゃんはああ言っていたけれど…
だけど>
のむ?
<れいちゃんはいつも静かで大人っぽいけれど>
あのねっ 今日は天ぷらなの カボチャとか玉ねぎとか おねいちゃんが揚げるとすっごくおいしいの
<でも泣き虫な所もあるから心配なの ――だから>
うちにおいでよっ 一緒にご飯たべよ?
(2巻 p37〜39)
このときのひなは、零が「静かで大人っぽいけれど でも泣き虫な所があるから心配なの」で彼を家に誘いました。そこに自分の想像が誤っているかもという客観性はなく、そうされたら彼がどう思うかという一歩先の想像もありません。実際、零はその提案を嬉しがりはしますが、それは結果論です。
「れいちゃんにも食べさせてあげたいね どうしてるのかなぁ…」
「もちっとかかるだろうよ いくらガキでも男なんだ プライドってもんがあらあっっ」
「だからそれがっっ わかんないよ〜
いつまでも来ないともう知らないからねっ
………こっちからおしかけて
口においなりさん 詰め込んじゃうんだからっっ」
(4巻 p11)
後藤九段との戦いに手が届くところまできて、ひなたちの前で熱い啖呵を切ったはいいものの、目の前の島田八段の実力を見誤り、大敗北を喫してしまった零。ひなたちに合わす顔もなくしばらく引きこもっていた彼ですが、それに対してのひなの発言が上記のものです。傷心と気恥ずかしさに悶える零の気持ちは、するりと無視しているセリフです。相米二は零の内心を(自分の男としての過去も参照しつつ)想像していますが、ひなはそこに思い至らず、自分の手持ちの想像力だけで零の内心を思い、不可解さを感じています。
このように、12巻以前(より正確には、父親問題終結以前?)のひなには、まだその想像力に幼い部分がしばしば見られたのですが、より自分達の近くに踏み込んできた零を見て、他人の心情の機微の理解と、それに伴って、自分の(というか人間の)思考が主観によって脆くなることを知ったのでしょう。
そして、その零自身も彼女と同様、想像力に成長が見られます。
たとえば3巻で、神宮寺会長から大量の魚をもらい、川本家に持って行けといわれたとき、「こんなに持たされてしまった さばくの大変そう…… かえって迷惑だったらどうしよう……………」と不安がっています。実際のところは、決して裕福ではない川本家のこと、降って湧いた大量の食材に狂気します。また、ひなのいじめ問題の最中には、あわや自分の通帳をもって他所様の家で予算委員会を開催する寸前まで突っ走っていました。父親問題の際の結婚発言もそうですね。
こうして見るとあんま成長していないようにも思えますが、それでも要所要所で、相手の内心を思い自分はどう行動すべきかを考えるようになっています。
受験期のひなに勉強を教えていたときは、彼女が自分の学校に来てくれれば嬉しいと大張り切りで家庭教師を買って出たけれど、もしその時期に自分が将棋の成績を落したらひなが「自分のせい」と思うに違いないと、「一局一局すみずみまで丁寧に指」し、破竹の八連勝を遂げていました。「将棋の成績が落ちたらひなが自分を責める」と想像し、そんなことにならないよう勝負に集中したのです。
また、10巻で久しぶりに幸田家を訪問したときは、幸田母視点ではありますが、零が幸田家の平穏を思って今まで足を向けなかったことが描かれています。零は、香子や歩の内心を想像し、自分と家で顔を合わせることを厭うだろうと考え、あえて顔を出さなかったのです。
想像力とは少し違いますが、12巻でも、家族が夏祭りに出店するために遊ぶ相手がいないモモのために、さらっと二海堂に頼みごとをしています。「一人じゃどうもにもならなくなったら誰かに頼れ ――でないと実は 誰も お前にも 頼れないんだ」とは、零が3巻で当時担任だった林田から言われた言葉ですが、あの誰かに頼ることをひどく苦手としていた零がなんら気負うところなく二海堂に頼みごとをしているところを見ると、彼も成長したのだと思わずにはいられません。
その時 はっと あかりさんたちが浮かんだ
ぼくは 遠慮する事にばっかり気をつけて 実は
彼女たちに頼られた事って
一回だって
――そうだ… 一回だって…
(4巻 p176、177)
いみじくもここで零自身が気づいていた通り、相手に遠慮をしていては、頼ることを恐れていては、相手から頼られることはありません。成長した零が、二海堂や川本家に頼ることができるようになったから、川本姉妹も同様に、零に遠慮をしそうになったところで思いとどまり、頼ることができたのでしょう。
この作品の主人公は零ですが、変わっているのは彼だけでなく、多くの登場人物が変化していく物語です。人は変化し、その変化がまた別の誰かに影響し新たな変化を生み、そしてその変化がまた波及していく。人と人とのつながりは、良くも悪くも人に変化を強いていく。繋がりの糸で紡がれた織物の中で、零やひなたちは、これからもどんな変化を織り上げていくのでしょうか。
ところで、12巻最終話で見つめ合っていた林田先生と島田八段ですが、あなたたち、見つめ合う相手が違うんじゃないんですかね……
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