先日の『HUNTER×HUNTER』の記事(『HUNTER×HUNTER』メルエムとコムギと「母」の話)の中で、メルエムとコムギの関係においてお互いがお互いの「母」になる、ということを書きました。
つまりこの時、コムギはメルエムにとって愛溢れる母であり、同時にメルエムはコムギにとっての愛溢れる母であったのです。それが、奇しくも同じ言葉を言うことになったこの時の二人。
最期の時、コムギにとっての「母」であったメルエム。しかし彼はこの世に生を受けたその瞬間から、アリという種の頂点に君臨する「王」であることを約束づけられていました。この「母」という立場と「王」という立場、共に何か(子であったり種であったり)の上に位置づけられるような存在ですが、その違いとはどのようなものなのかちょっと考えてみたいと思います。
- 作者: 冨樫義博
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/04/04
- メディア: コミック
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我が
王 よ
其方は必ずやこの世界の頂点に立つ!!
(19巻 p17)
恐れ乍ら申し上げます 王は王です
それ以外の何者でもなく 唯一無二の存在…!!
(24巻 p161)
余は蟻の王として生を受け 生命の頂点に立つ事を許された
それは種全体の本能に基づく悲願であり 種全体が余の為だけに進化する 我は種全体の惜しみ無い奉仕の末たどり着いた賜
お主は人間の一個であって王でなく 余は種の全てを託された王である事 それが勝敗を分かつ境!!
長い進化の突端が全て余に集約される様機能した蟻 の生態に 多様な個の有り様を許した人間が敵う道理など無いのだ
(28巻 p146)
という表現があるように、唯一無二の存在として全ての上に君臨する者、とされています。ピラミッドの頂点にいるただ一人の存在です。
ならば「母」はどうかと言えば
あれは…そう そうだあれはまるで…
母親のよう…!!!
身を挺して弱い者を護っているような…!!
というコムギを護ろうとするピトーの態度
……おおっ
<絶対的存在の死と再生に際し>
…そうか…
<さらに“自身”を王と共有する事によって>
これこそが
<二名が到達したのは>
無償の愛…!!!
<種の頂点 女王の域>
(28巻 p187,188)
プフとユピーの感動などから、「母」とは弱いものを護るもの、無償の愛を惜しみなく与えるものと考えられるでしょうか。
「王」は種族の、あるいは他のすべての生命の上に立ち、「母」は護るべきものの上に立つ。「上に立つ」という表現を「母」に使うのは、語感がそぐわないような感もありますが、護るという態度にしろ無償で愛を与えるにしろ、そこにあるのはたとえば腹を引き裂かれながらもメルエムの身だけを心配していた女王蟻のように、相手が自分をどう思おうと、自分は相手を全的に肯定するという非対称の関係であり、その意味で「母」は護るべきものの上にあると言えます。
奇しくもプフとユピーの言葉にあるように、「母」である女王もまた「種の頂点」にあると言っています。すると「母」も「王」も同じものなのでしょうか。
ここで「王」であるメルエムについてもう少し追ってみましょう。
メルエムとネテロが対峙した時、為政論をふるうメルエムを見てネテロはこぼします。
………こいつは 厄介だな
奴は 揺れている
蟻 と人 との間で
そしてまだ気づいていない その二つが絶対に交わらないことに!!
(27巻 p155,156)
メルエムの話を聞きながらネテロの脳裏に浮かんでいたのは、「一個の生命に対する慈愛溢れる振る舞い」を見せながらコムギを抱くメルエムと、欲望のままに人間の腸を貪るメルエム(ネテロはそのシーンを見ていないはずなのですが、まあそれはそれとして)。生命に対する慈愛を持つ者が人(ヒト)であり、欲望のままに生命を食い散らかすのが蟻(王)。そしてその二つは交わらないと。
この、人と蟻が交わらない、ということは、別の場面でも出てきます。
逢えるといいな その者と
そして可能なら人間 として生きるが良い
<蟻は…もう>
(30巻 p67)
ウェルフィンからイカルゴらの話を聞き、コムギの下へ行こうとしたメルエムの言葉です。蟻であるウェルフィンに「
この時、蟻の「王」であるメルエムが、なぜ「
蟻の終わりを知ってしまったメルエム。この時でもなお、彼は「王」であったのでしょうか。それは違います。隠れているパームの前に現れ、コムギの居場所を教えろと迫るメルエム。それを知るためなら、パームに膝を折ることさえ厭おうとしなかった。
駄目ッッ!!
あたしも…もう一部は蟻…
貴方が種にとってどれほどの存在か…嫌だけどわかってる!!
そこまで… それ程まで…
それだけは駄目…!! ………言うわ…
(30巻 p81,82)
だけどその姿は、一旦蟻になってしまったパームには決して許せるものではなかった。プフとピトーによる呪縛を脱していてもなお。逆に言えば、それほどのこと、即ち「王」としては決して許されないことをしようとしているメルエムは、もはや「王」の肩書きを捨てたということではないでしょうか。
「王」を捨てたメルエムは寝ていたコムギを起こし、最期の軍儀を始めようとしましたが、その前に彼女に自分の名を名乗りました。「余の名はメルエムだ」と。
かつてプフは言いました。「王は王です それ以外の何者でもなく 唯一無二の存在」と。つまり、「王」は「王」であればそれ以外の呼び名を要しないということです。「王」には固有の名前がいらない。裏を返せば、名前のない「王」は「王」以外になれない。だからメルエムは、初めにコムギと軍儀をしたときは「王」として対峙するしかなかった。でももう違う。彼は「メルエム」として彼女の前に現れた。「王」ではなく、名前のある一個の存在として。
…いや
そうだな…… 知らなかった
余は…何が大事なものかを…… 何も知らなかったようだ…
(30巻 p132)
「王」も人間や蟻のような生命存在の各々も、この世に一人しかいないことには変わりありません。ただ、「王」はピラミッドの頂点にたった一人で立つ者で、まさしく孤高のものですが、人間あるいは蟻のような生命存在は、その存在そのものはこの世に一つの固有だとしても、他にも同種の生命がいるという点で真に唯一無二ではありません。だから、他の誰かから区別するために名前がいる。他の誰でもないあなたとしての名前が。
名前を得ることは、区別しなければいけない自分と同種の存在がいることを認めることかもしれません。でもそれは同時に、同種の誰とも違う自分を得ることなのです。
ならばその名前を与えてくれたのは誰か、ということになると、ここで「母」に戻ってくるのですな。
メルエムは女王蟻から生まれました。「王」といえども無から生まれてくるわけではありません。そこには生物学上の母は必ずいます。そしてその母は、単に生物学上の母にとどまらず、一個の存在を全肯定する「母」でもあるのです。女王蟻はメルエムが「王」であることを確信していました。そして同時に彼に名前を付けてもいます。これは一見矛盾しているようですが、「王」という無貌の存在を生むのが女王の役割なら、我が子を他の誰でもない我が子と認めるのは「母」の役割。彼女は二つの役割を同時に引き受けていたのであって、その二つが競合しようとも、彼女自身が矛盾していたわけではありません。
メルエムに名前を与えたのは女王蟻。そして彼に「母」として接したのはコムギでした。こと切れる寸前のメルエムにかけたコムギの言葉、「おやすみなさい… メルエム…」は、彼を「王」でも「様」付けでもなく、呼び捨てで呼んだ「母」の言葉。メルエムはそのまま、彼女の膝の上で永の眠りについたのです。
まとめますか。
「王」も「母」も、何かの上にある者です。ですがその在り様は、大きく異なります。「王」はピラミッド型の階梯の頂点に位置する唯一無二の存在。「王」は「王」であるということだけど、他のすべての存在から隔絶した唯一無二ものとなります。その孤高ゆえに、「王」は「王」でさえあればそれ以外の何物も存在証明を要しない。言ってみれば、他の何者も要らない自存する唯一無二。
翻って「母」は、自分が上にあるものを全肯定することで、そしてそれに名前を付けることで、自分が護っている「あなた」を他の誰とも違う唯一無二の存在として認めるものなのです。あなたがなんであろうと、あなたは私にとっての唯一無二。そう認めてあげるものが「母」なのです。言ってみれば、唯一無二を誰かに与えるもの。与えられた側にしてみれば、他者から認められて初めて機能する唯一無二。
一人で唯一無二であるものと、自分がいることで誰かに唯一無二を与えるもの。「王」と「母」の違いの話は、そういうところに一つの集約を見ました。書いて自分でもびっくり。
「母」がつけた名前ということならこの記事(『HUNTER×HUNTER』「名前」と「母」から見る人/アリの話で書いてますし、「母」による全肯定というキーワードは、昔『3月のライオン』で書いたこの記事(『3月のライオン』ひなのいじめから見る川本家の父性と母性の話)で書いてるんですよね。
まさか『HUNTER×HUNTER』と『3月のライオン』がこういう形で繋がるとは。
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