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漫画の話です。

『HUNTER×HUNTER』メルエムとコムギと「母」の話

!!CAUTION!!

HUNTER×HUNTER』30巻のネタバレあるよ!!

HUNTER X HUNTER30 (ジャンプコミックス)

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警告はしたので、以下本文。
まさか『HUNTER×HUNTER』でガチ泣きさせられるとは思わなかったアリ編のラスト。薔薇の毒、メルエムとコムギの対局は、以前岡田斗司夫氏のブログで読んだ予想にほぼ合致していたので、内容の驚きは特段なかったのですが、それでも筋を知っていることとそれをどう見せるかは全く別の話。黒地に台詞のみで展開されるメルエムの最期にはただ滂沱。
で、この最期を読んで痛切に感じたのは、「母」というキーワードです。『HUNTER×HUNTER』のアリと母については以前も書きましたが(『HUNTER×HUNTER』「名前」と「母」から見る人/アリの話)、それに新たな示唆を与えるような描写がいくつかありました。
たとえば、コムギが考案した軍儀の新手「狐狐狸固」。「このコ」という表現からもわかるように、彼女はこの新手を我が子のように考えていましたが、新手を考えだすほどの強さゆえにその手の致命的な弱点を発見し、自ら葬り去ることになってしまいました。

総帥様がワダすと全く同ず戦法を考え出すたことはすごく… 光栄で 感動で心が震えました まるで…

一度死んだ我が子が生き還ったような… そんな気がすたんです
だから もう一度この子の… 命を消すのが忍びなくて
少す… 迷いますた
(23巻 p188)

やはり岡田氏が指摘したように、勝負において、ためらいながらも我が子の命を消すことを選択したコムギ。それは人間の冷酷さの表れなのかもしれません。ですが、最期の対局においてコムギは、死路になったはずの「狐狐狸固」のその先を考えだしました。自分が産んで、自分で殺して、それをメルエムが再び蘇らせかけてまた殺して、そうして三度目の復活を遂げた我が子。
彼女にとって何より嬉しかったのは、三度目の誕生に立ちはだかるメルエムの逆新手だったと思います。彼の逆新手は、いわば我が子の前に立ちふさがる大きな壁。子供の成長のためには大きな困難が不可欠であり、コムギの逆新手返しによって、子供はその困難を乗り越えた。
我が子の成長は、キメラアントの女王の悲願でもありました。女王は命の瀬戸際にあった自分よりも我が子の無事を心配し、それさえ確認できれば、彼のために考えた名前を残して満足げに死んでいきました。コムギもまた、我が子に逆新手返しを授け困難を乗り越えさせたのは、メルエムからの死の宣告の直後です。それを受け入れた上で、彼女は我が子を成長させた。我が子の先を見る喜びは、母である彼女にとって死以上に嬉しいものだった。
さらに、その直後であるコムギとメルエムのセリフ

<…そうか 余は> 
ワダすは きっと
この日のために生まれて来ますた…!
<この瞬間のために生まれて来たのだ…!!>
(30巻 p146,147)

お互いがお互いに同じことを言ったこのシーン。二人ともが、この瞬間を至高のものとして満腔の感激に身を浸しました。
メルエムは、自分は毒でもう長くないと言い、最期はコムギと一緒に軍儀を打ちたかったと彼女に告白する。しかしそれだけではなく、自分と一緒にいればその毒は感染し、お前も死ぬと伝える。
メルエムにとって、前半はともかく後半は言わなくてもいいことです。もしコムギが怖気づけば、最後の対局もままならぬものなのですから。でも、彼は言った。言わなければばならないと思った。それを愛と呼ぶも誠意と呼ぶも自由ですが、死ぬことを覚悟していたメルエムは、それを言った上でコムギと一緒にいられなければ、死んでも死にきれないと考えたのでしょう。でも、その言葉を言い終わる前に、コムギは次の手を打った。メルエムの言葉を理解した上で、一緒にいることを決意した。死を受け入れた上で一緒にいてくれる。あなたといるのがわたしにとって何よりも喜びである。すぐそこに死が待っている以上、見返りなんか何もない。つまりは無償の愛。母が与うる、存在のこの上ない全肯定。実の母を自ら殺し、アリと人の間を揺蕩ってきたメルエムが初めて実感した、母の愛です。それを知ったがために、メルエムは「この瞬間のために生まれて来た」とまで言えた。
では、コムギのの内心はどのようなものだったでしょう。「負ければゴミ」とまで考え軍儀を打っていたコムギ。軍儀で勝つことこそが彼女がこの世で生きていい理由でした。けれど、死に瀕するメルエムが求めたのは、彼女と一緒に軍儀を打っていたいということ。彼女に勝てとは言わない。一緒にいてくれとしか言わない。軍儀で勝つこと以外のレゾンディーテルを、メルエムは彼女に与えたのです。貧乏子沢山な家庭で盲目として生まれた彼女が、家庭の中で厄介者扱いされてきたのは想像に難くありません(実際、「負ければゴミ」と言っていたのは彼女の親自身ですから)。そんな彼女が与えられた、あなたが一緒にいてくれればそれでいいという全肯定の言葉。これもまた、彼女が初めて受けた母の愛と言えるでしょう。
つまりこの時、コムギはメルエムにとって愛溢れる母であり、同時にメルエムはコムギにとっての愛溢れる母であったのです。それが、奇しくも同じ言葉を言うことになったこの時の二人。
そして圧巻なのは、メルエムとコムギの最期の会話です。

「最後に……」
「はい…?」
「名前を… 呼んでくれないか…?」
「おやすみなさい… メルエム…」
(30巻 p156,157)

「おやすみなさい… メルエム…」
これはもう、紛うことなく我が子の眠りを見届ける母の言葉です。無理。涙なしで読むの無理。キーボード打ちながら泣いてます。
メルエムが最後の眠りについたのは母の膝の上であり、コムギが最期に抱いたのは膝の上で眠る我が子でした。地球上の全存在をすべる王として生を受けたはずのメルエムが最期に欲したのは一人の母であった、と。
ここに、共に何かの上にある、「王」という存在と「母」という存在の質的な差異を考えることもできますが、それはまた別の機会に譲りましょう。まあなんですか、もう唸るしかない。うへえってなるしかない。すっげえなあもう。


で、もう話数が貯まっているはずの31巻はいつですか。また連載再開の時ですか。



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