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漫画の話です。

『3月のライオン』そこにいないあなたへ呼びかける「あなた」の話

修学旅行にもかかわらず一人川べりに座っていたひなのものとへ駆けつけた零。一連のいじめ問題も一応の幕切れを迎え、自分の話を聞いて、傍にいてくれた零に深く感謝をするひな。ラブフラグが順調に立ち続けている、『3月のライオン』です。

3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)

雨後の竹の子の如くに生えるフラグの中で特に印象に残ったのは、Chapter.65「川景色」冒頭のひなのモノローグでした。

夢かと思ったの
知らない街でひとりぼっちで どこに居たらいいのかも解らなくて 心細くて 泣きそうになっていたら
髪がくしゃくしゃになる程 走って 息を切らした あなたが立っていたから
(p26,27)

何が印象的って、今までずっと零のことを「桐山くん」や「れいちゃん」と呼んでいたひなが、(おそらく)初めて「あなた」と二人称で呼びかけたことです。
改めて考えてみれば、二人称の「あなた」というのは、年頃の女の子が使うものとしてはなんともトキメキ指数が高いものです。「あなたのことが好き」とか「あなたのことばかり考えている」とか、キュンキュンじゃないですか。中学生の女の子が使うには改まった感のある微妙な背伸び感がたまりません。
そもそも二人称とは、「わたし」という一人称に対峙している相手に使うものなわけです。他の存在(三人称)がその関係性の中にはなく、「わたし」と「あなた」という二項が直接結び付けられている、そんなとても近しい呼びかけ。それが二人称。今までずっと零のことを三人称呼んでいただけに、ひなが(たぶん)初めて自分と零をこの関係性で結びつけたことがとても印象的。
さらに言えば、ひなが「あなた」を使ったこのシーンはモノローグ。つまり、零と直接対峙している時ではありません。そこにいない零、自分の記憶の中の零に向かって「あなた」と言いました。そこにいない人間に対しても、「わたし」と「あなた」という二人称の関係を想定する事ができる。これがひなから零への深い感情でなくてなんだというのでしょう。み な ぎ っ て き た 。


さて、二人称に限らず人称、つまりあるキャラクターがある場面で他のキャラクターをどう呼んでいるかに着目して羽海野先生の作品を読み返してみると、いくつか発見がありました。
たとえば、上の例と同じく二人称による関係性の接近について。

「…… 痩せた…」
「…… お前もな……」
ハチミツとクローバー 9巻 p167)

ゆうべ言ってくれた事 ほんとに嬉しかった 
忘れないね
私もずっと あなたの事見てる
(10巻 p17)

他の人間には普通に呼びかけるのに、向かい合っている場面でも、というか向かい合っている場面こそお互いがお互いに呼びかけることがほとんどなかったはぐと森田。せいぜいふざけて(いや、本気か?)森田が「コロボックル」だなんだと呼びかけていたくらいです。それが、最終盤になってかたや長年の復讐劇の終幕で、かたや今後絵が描けないかもしれないような大怪我で、心の折れかけていた作中きっての「天才」である二人は、野生の動物が傷を舐め合うように無垢な内心をさらけ出しました。その一連のシーンの中で、(おそらく)初めてお互いを「お前」「あなた」と二人称で真面目に呼びかけていました。その後、二人が一緒の道を行くことにはならなかったのですが、花本が「お前にははぐが 今何の前で立ち止まってるか わかるんじゃないのか?」と言うほどに近いところにいた二人(その直後に森田自身が「離れるもなにも もともと近くなかったさ」と言っていますが)が「天才」の心の裡を正直に吐露したこの流れこそ、満を持しての「お前」「あなた」の二人称なのでしょう。

口にしては だめ
ずっと一緒に 戦ってくださいとは……
彼には彼の 人生がある
私には
私には それを奪う
権利はない
(9巻 p16,17)

花本と一緒にいたいという思いと、自分の進む道の厳しさ・果てしなさに誰かを巻きこめないという思い。二つの思いに挟まれるはぐのモノローグです。モノローグとはいえこの時はぐの隣には、一緒に画集のページを繰っている花本がいます。普段のはぐ花本のことを「修ちゃん」と呼び、実際このシーンも口に出して呼びかけている時はそう呼んでいるのですが、モノローグの中では「彼」。非常に他人行儀な物言いです。「彼には彼の人生がある」花本を自分のために犠牲にさせたくないというはぐの思いが、あえて突き放すこのような言い方にしているのでしょう。普段何を考えているかわからないはぐの内心、それも対人関係に配慮を見せる現実的な内心を垣間見せる言葉遣いです。

彼女のひとりごとみたいなつぶやきが 雨でにじんでる風景に ぼうっと溶けて
眠たいような さみしいような 幸せなような 気分になった
(8巻 p114,115)

アンタがこういう事オレに許すのは 自分を傷つけたい時か 何かものすごい勢いで別の事考えてる時だけだ
言えよ 何考えてる?
(8巻 p127)

真山による、理花と北海道へ行く途中でのモノローグと、北海道で褥を共にした後の理花へのセリフです。まだ電車の中では「彼女」と遠さを感じさせる呼びかけだった真山は、自暴自棄になった彼女を抱いた後は彼自身も感情を爆発させ、「アンタ」と呼んでいます。彼女の中へ踏み込むしかないと思った真山の心の現れでしょう。


とまあざっと見てみました。多少こじつけめいていることは否めませんが、誰かを呼ぶ時のその言葉は、人間関係に大きな影響を与えるのは事実です。こういう関係だからこう呼ぶ、ではなく、こう呼ぶからこういう関係を求めるようになる、みたいな。
ほんの些細なことのようでいて大きな力を持つ「あなた」という呼びかけ。こう呼んだひなちゃんの気持ちが成就して欲しいものです。
ひなちゃんの寝顔が神々しくて困る。



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