絶え間ない夫からの暴力に体中青痣だらけの「私」と、その「私」に一晩のセックスと引き換えに夫殺しを頼まれた「レズのバカ女」の「あーし」。
高校の頃から「私」をずっと想い続けていた「あーし」は、「私」に大好きと言われれば、ニコッと笑われれば、今現在の恋人を捨ててまで誰かを殺せるほどに「私」を好きなのか。
異性愛者の「私」は、高校時代から「あーし」の想いに気づいていてもそれを迷惑がっていたのに、どうして「あーし」に身体を許してまで人殺しを頼んだのか。
これからどうするのか、どうしたいのか、「私」/「あーし」にとって「あーし」/「私」は何なのか、何一つわからないまま「私」と「あーし」は目的のない逃避行を続ける……
- 作者: 中村珍
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/05/30
- メディア: コミック
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この物語は、「あーし」が「私」の夫を殺したところから始まります。その意味で、もうこの後に事件は起こらない。二人がひたすら逃げ続けるだけ。「あーし」と「私」も、「あーし」が夫を殺す一週間前にたまたま、それも大学在学中以来の10年弱のブランクを経て再会したばかり。二人の間に起こったことはもうすべて起こったことであり、終わったこと。物語はそこから語られます。
でも、出来事は終わってはいても、片付いてはいなかった。彼女らそれぞれ固有のことも、二人の間のものも。それが焙り出されていく物語です。
この作品は、人を殺した者のお話です。人を殺させた者のお話です。誰かを憎むお話だし、誰かに憎まれるお話です。誰かを嫌うお話だし、嫌われるお話。逃げようとするお話だし、戦おうとするお話だし、諦めるお話だし、諦めきれないお話です。でもなにより、臓腑が引き千切れそうなほどに幸せを希うお話だし、誰かを好きになってしまうとはどういうことなのかと苦しむお話です。
傍目には、優秀な頭脳と、怜悧な容姿と、高い社会的地位にある夫を持つ29歳の「私」。でもその実、夫は浮気性で癇癪持ちの、どう贔屓目に見ても全うとは言えない夫婦関係。表から見えないところは青痣だらけの肉体。結婚以前を遡っても、母親は父親に愛想を尽かし、「私」が高校一年の時に妹を連れて蒸発。残された「私」は、嫌なことがあればすぐに暴力をふるう父親と、ゴミでうずもれたような家で二人暮らし。ある時投げかけられた「ただ家族が居てくれるってゆー、小さな幸せに感謝するんだ」という言葉に、「小さいですか?」と呟かずにはいられない人生でした。
対して「あーし」。銀座にビルを持つような裕福な両親と、頭は固く無神経だけど優しい兄。見る者を惹きつけずにはいられない美貌。家族という、「私」には想像さえもできないような居場所を当たり前のように持っている「あーし」ですが、彼女は物心ついた時から自分が同性愛者であることに気づき、そこには深い劣等感と疎外感と孤独感があった。
恋愛の在り様は、不自由だよ…。
自由だったことなんて一度も無かったよ。
恋してること隠すために暮らしてるよーなもんだったよ。
(中巻 p342)
そういう思いから離れられずに生きて来た「あーし」でした。
そんな「私」がまったくの偶然で「あーし」と再会する。10年近くも会っていなかった「あーし」は、「私」がどんな結婚生活を送っているのかなんて知らない。でも「あーし」は、「私」に何かがあることを察する。それは、かつて「私」を好きだった人間ゆえの直観なのかもしれない。だから、「あーし」は別れ際の「私」に声をかけた。今の「私」の心が軽くなるかもしれない言葉を。でも、その言葉は「私」の心の奥底に眠らせていたはずの気持ちを揺さぶり、燻ぶらせ、暗い炎を燃え上がらせた。10年以上前、貧乏な家庭にもかかわらず陸上の特待生としてお嬢様学校に入学できた「私」が、怪我による陸上引退ために高校を辞めなければならなくなったときに、「あーし」が持ちかけてきた契約。「私」のその後を縛った契約。契約は大学の在学中に完済することが出来たけれど、そのために「私」が払ったツケはとてつもなく大きかった。そのツケの原因が誰かなんて、それまでは心の奥底に忘れ去ろうと努めてきたのに。それなのに。
だから、と直接結びつくものではないでしょう、「あーし」の一言はただのきっかけにすぎないのだから。でも、あえて言うけれど、だから、「私」は「あーし」に夫殺しを頼んだ。「あーし」に「大好きよ」と囁いて。ニコッと笑って。そして、これは紛うことなく「だから」と繋げていいのでしょうけど、だから「あーし」は夫を殺した。だって「あーしの人生なんかさ、あーたがニコッとすりゃボロボロになるんだ」から。
殺しを頼んだ「私」と実際に殺した「あーし」。自首しようか、二人で逃げようか、いっそ心中しようか、あるいは「私」が「あーし」を/「あーし」が「私」を殺してしまおうか。喜怒哀楽も愛憎も殺意も虚無も諦観も、なにも整理がなされないままに二人はぐずぐずと逃避行を続け、その途中で行きずりの見知らぬ人間や、二人の家族と出会い、自分らの抱えている感情、相手への想いに目を向けていくのです。
全三巻の1440p。ここで執拗に語られるのは、幸せというものがどんなものか知らずにもがき苦しみ、自分にないものを持っている「あーし」を羨み妬み嫉む「私」と、「私」にないものを持っていながら、「私」が欲しがっているものをあげられずにもがき苦しんでいた「あーし」の二人です。
ネェ、あーたは何が知りたいの?
何を思い知りたいの?
(中巻 p485)
これは「あーし」から「私」(=「あーた」)への言葉ですが、これはそっくり「あーし」にも当てはまります。いうなればこの話は、二人は「何が知りたいの」か、「何を思い知りたいの」かに気づく旅なのです。
とにかく執拗な漫画でした。私が今まで読んだ中で、もっとも執拗に人間のある側面を描きつけた漫画です。不定形にうごめく彼女らの感情は、同じでようでありながら形を変え、あるいは口にする者を変えて何度も表に出され、状況が変化する中でまたその形も変わり、少しずつ少しずつ、彼女らの核心にもぐっていく。そこから磨きだされたものが下巻532-3pの見開きです。そこで語られる「私」の言葉。「私」はずっと知っていたけど、誰にも言えなかった言葉。自分がその言葉を誰かに伝えたいとどれだけ希っていたか、思い知った言葉。そこには1400pを超える重みがあり、それだけの分量を費やさなければ生まれえない重みなのです。その重みの中には今までの言葉も行為も感情も全てこめられていて、同時に全ての言葉や行為、感情へと繋がっていく。
この息苦しいほどの執拗さと、そこから生まれる、全てが一つになり一つが全てへと開かれていく情動の解放感。そういうものを持つ作品が漫画には存在するのだと、声を大にして言いたい所存でございます。
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以下はネタバレ込の感想ちょろっとなので、スペース空けときます。
下巻p242,243の、「私」が550円を後生大事に持ち続けていた理由が明かされるシーン。「おめでとう!!結婚!」と「あーし」に祝福されて、「私」は「初めて対等になれた」気がしたというのが、とても印象深かったです。祝福されるということは、誰かに幸せを寿がれるということ、つまり自分は幸せであると他人に認められること。今まで幸福なんか知らなかった「私」は、他の人間に劣等感を抱いてばかりいた。目の前にいる「あーし」は、いいとこのお嬢様で、居場所である家族もいる。「私」が持っていないものを持っている。そんな人間から祝福を受け、金銭の支払いという責任も(些細な額であれ)割り勘という形で対等に分け合えた。幸福な人間から祝福される自分。責任の分かち合い。そういうところから「対等」であるという感情が生まれるものなのか、と。
この、やけに私の琴線に触れたシーンについては一言書いておきたかったので書きましたまる