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漫画の話です。

「GIANT KILLING」に見る、時間を操ることで生まれる緊張/開放のカタルシスの話

漫画の中の一コマと普通の絵の違いは、台詞の有無だの、効果線だの、いわゆる漫符だのと色々ありますが、それの大元になっている前提の一つに、漫画のコマは他のコマとの連続性の中にある、というものがあります。それはつまり、漫画のコマ(絵)は「物語」を構成する一要素ということであり、その要素がある法則、意図でもって連続的に配置されることで、「物語」はある一定の意味をもちうるのです。
今まで弊ブログではカギカッコつきの「物語」について何度となく触れてきましたが、それをなるべく簡単に改めて説明すれば、「誰かに何らかのメッセージ/概念を伝えるために体系立てられた情報の集合」というものです。一般に言われるカギカッコなしの物語よりも、だいぶ広義の概念となります。
漫画もこの「物語」の一つですが、漫画の場合、この「体系立てられた情報の集合」はストーリー・話の筋道とほぼ同義です。そして、ストーリーには必ず時間の経過が存在しています。実際の起きたことであれ架空のものであれ、ある出来事とそれにまつわる人間やその他動的存在、つまりはキャラクターによる行動を記述するには、当たり前のことですが、時間の経過が必要なのです。
ある出来事、行動、言動が意味を持つにはそれ単体では不可能で、その前後の他の要素、あるいは背景となる社会などとの関連性から初めて何らかの意味・意義が生まれます。例えば、人を殺すという一つの出来事があっても、それが意味を持つには、誰が殺したのか、誰を殺したのか、なぜ殺したのか、何で殺したのか、どこで殺したのか、などの関係性、あるいは殺人行為を是/非とする法や道徳などの存在がなければ、殺人でさえなんの意味も意義も持ちえません。そして、その関係性や法・道徳などの社会的律は、ある出来事の前後に広がる時間がなければ存在できないのです。
最初に挙げた台詞や効果線、漫符は、どれも時間の存在を表現しているものです。あるコマに台詞が書かれているとき、そのコマの中には書かれている台詞分の時間が流れています。

GIANT KILLING/ツジトモ綱本将也 1巻 p182)
このコマはただ一瞬を切り取っているわけではなく、フキダシ内の台詞「だからキャプテンはずすんだよ」が言えるだけの時間が一つの絵として圧縮されていて、読み手が読むことで実際にその時間が読み手の意識内で解凍されるのです。この引用にはありませんが、フキダシ外で書かれる文字、つまりは擬音も同様です。
効果線や漫符も同様です。

SLAM DUNK/井上雄彦 31巻 p130)
ここでの手が二重にぶれている状態や、画面奥に向かって伸びる効果線はそれだけのスピードを表していますが、スピードは時間的な概念です。遅い/速いという相対的な対比には、まず時間が流れているという前提がなければなりません。60km/hで走る車を速いとするか遅いとするかは状況次第ですが、停止している車は遅いとも速いとも言いようがないのです。
このように、漫画表現とはかなりの部分で時間的な制約にかかっているのです。
さて、前ふりが長くなりましたが、本題です。
新刊も発売され面白さも相変わらずのサッカー漫画『GIANT KILLING』ですが、この作品では印象的なシーンから漫画的表現、すなわち有時間的な表現を意図的に排除することで、読み手に緊張感を与えるという手法を取っています。

GIANT KILLING(17) (モーニング KC)

GIANT KILLING(17) (モーニング KC)

その印象的なシーンとは、ずばり得点シーン。特に、試合を決定付ける得点シーンや、選手の成長を象徴するような得点シーンでは、かなりの頻度でこの手法を使っているのです。論より証拠ということで、そのコマを見てみましょう。

(5巻 ♯46)
こんな感じです。台詞や効果線、漫符を排除し、さらにコマ割を小さく密にし、かつ不規則にすることで画面全体に時が停まったかのような緊張感を生む。そして最後のコマにのみ集中線を入れることで、めくった次のページでの開放感のためのステップとするのです。
それのさらに発展型がこちら。


(9巻 ♯83)
最初のページは左下のダルファー監督の右目のアップコマにのみ効果線と全体にトーンをかけ、彼の瞬間的な驚愕を強調、次のページでは、中央上から左下に向かって歓声の擬音が少しずつに大きくなっていき、効果線も一コマずつ強くしていくことで、緊張感に圧力をかけていく。そしてめくったページで大ゴマとトゲトゲのフキダシによる大声で大爆発、と。
このような緩急というか、疎密というかなコマ運びが、『GIANT KILLING』は非常にうまいと思います。多くの場合においてコマ間だけでなく一つのコマ内でも時間の経過が存在する漫画という媒体で、時間が停止したかのように感じられる表現を用い、その直後に爆発的に時間を開放する。『GIANT KILLING』という作品に読み手がぐいぐいとひきこまれるのには、このような時間操作も一役買っているのです。
最新刊でリーグ後半戦の始まった『GIANT KILLING』。今後もどのような心揺さぶるシーンが読めるのか、wktkが止まりません。


ちょっと蛇足の話ですが、漫画(本)と違ってそれを鑑賞する時に流れる時間が受け手において受動的な映像作品(「物語」)においては、このような緊張感とはどう表現されるものなのでしょう。
漫画の中の時間は、圧縮されていた時間が読まれることで初めて解凍されるもので、それが実際に生起する時間は読み手の読むスピードに左右されるのですが、映像作品では鑑賞するための時間が、作品が作り上げられた段階で受け手とは関係なくア・プリオリに決まっています。つまり、時が停まっているかのようなシーンでも、現実世界において実際に時間が経過しており、その時間経過は原則的に変化しません。誰が見ても、そのシーンを見る時間は同じなのです。そうなると、漫画とはまた別の「時が停まったかのような緊張感」を生み出すための方法があると思うのですが、いったいそれはどういうものなんでしょうね。非視覚的な情報、つまり音楽によるのかな、と思っていますが、それがどう作用するのかはちゃんと考えないとわかりませぬですよ。


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