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漫画の話です。

「物語」のある作品とはなんなのかという話

漫画や小説、映画に音楽、詩、絵画、彫刻、陶芸、料理、演劇と、世の中に「作品」と呼ばれるものは数多ありますが、それらを誉める時にも一概に「いい」作品と括ることはできません。いやまあできるんですが、それじゃあまりにも味気ない。
愉快な作品、感動できる作品、心地いい作品、陶酔できる作品、考えさせられる作品と、色々ありますが、最近気になるのが刺激的な作品。うーん、それだとちょっと言葉が違うか。より正確に言えば、想像力を喚起させられるような作品、ですか。その作品に触れることで(新たな)世界観が広がるような作品ていいよな、と最近思うのです。


例えば、羽海野チカ先生は「ハチクロ」の連載開始前、作品のイメージを固めるためにスピッツスガシカオを繰り返し聴いたそうです*1。そんな風に、それを味わうことで何かイメージが膨らんでいくような作品はあります。
私自身、スピッツの曲には想像力を刺激するものがあると思いますので、聴いていて胸が熱くなったりします。特に「みそか」はたまらん。

スピッツの曲には明確な筋のある歌詞が少なく、けっこう抽象的なんですが、それでも音とあいまって何かこう心に訴えるものがあります。なんでしょうね、自分(この場合は草野マサムネさんですか)の中にある「物語」を、音楽という形式で形にしようとした結果の歌詞とでも言いますか。言葉だけでは、どれだけ費やそうとも自分の中にあるイメージを説明仕切ることは出来ないけど、音楽と歌詞という形式をとることで一つの「物語」を作った、みたいな。
きっとそれはワインの味の表現のようなもので、真実そのワインの味を伝えたければ、ワインそのものを飲ませるしかないのですがそうもいかないので、味覚とは直接関係の無い語彙を使うことで、なんとか味覚を言語で伝達しようとしているわけです。そんな具合に、言葉による説明ではなく、音楽と歌詞で「物語」を説明しているような感じ。
それと対比できそうなのが例えばブルーハーツで、私はスピッツブルーハーツも好きですが、両者の音楽性は大きく異なります(特にブルーハーツの初期)。

ブルーハーツの初期で歌われているのは、「物語」というよりむしろメッセージで、まあ聴いてもらえばその方向性の違いはわかると思います。
ブルーハーツの曲を聴いても世界観は広がりませんが、スピッツの曲を聴くと何かが膨らんでくる。少なくとも私はそうです。ま、これで良し悪しが云々言えるわけでなく、逆にスピッツを聴いても元気は出ませんが、ブルーハーツを聴くと「こなくそ」という気持ちが湧いてきます。伝えているものの違いですか。


音楽以外の話もすれば、私は御免なさい先生の絵が大好きで、先生のサイト・平行奇塊学論(一応18禁サイトなのでご注意)の中にあるこの絵(この絵は全年齢オッケーです)にとても心惹かれるものがあるんですよね。虚ろな夏の日、って感じで、むくむくと私の中にも「物語」が広がりました。一枚の絵でこんなに「物語」が広がったのは初めてです。
かといって、この絵を見て何を感じるか千差万別なわけで、私が感じたような「物語」とはまるで違うものを感じる人もいるでしょうし、別に特に引っ掛かりが無い人もいるでしょう。そうなるともう、その人の経験が物を言うだけなのか、それとも、力のある作品には受け手の経験を無視できるような「物語」を訴えることができるのか。村上春樹氏の作品なんか世界的に読まれているわけですから、やはり単純に経験に帰すことができるわけではないと思いますが。
とはいえ、漫画や小説、映画などの、直接的に「物語」を形にするような作品形式だと、このような想像力を喚起させる力がまた別種のものにになってしまう気がします。上で挙げた表現で言うところの「考えさせられる」作品になるのかな。前者が受け手に呼び覚ますものは作品の背後であり、後者は作品の先、みたいな。うん、自分でもわかるようなわからないような。


なんだかだだらでまとまらない話ですが、「物語」のある作品、「物語」を伝えることのできる作品とはいかなるものなのか、もうちょっと考えたいと思います。






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*1:ハチミツとクローバー 9巻 あとがきより