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今井哲也の描く生々しい汚濁の話

もう発売から一か月経ってしまいましたが、今井哲也先生の『アリスと蔵六』2巻。

感動的な話はもとより、金髪幼女が拘束失禁という一部のマニア垂涎の描写に、業界騒然だったそうです。どこの?
それはともかくその描写を見て思ったのが、今井先生って生々しく汚れたものを描くよな、ということ。
ただ汚れているのではなく、そこに生々しさがある。じゃあ生々しい汚れとは何か。
たとえば、今回の『アリスと蔵六』。主人公の紗名は、ただ拘束されて失禁しているだけでなく、ガムテによる目隠し&猿轡もされており、恐怖と苦痛で涙や涎、洟といった体液を垂れ流した結果、顔がぐしゃぐしゃに濡れて汚れています。

アリスと蔵六 2巻 p61)
この、何かが濡れそぼって汚れた状態。このような描写に、生々しい汚れを私は感じるのです。
ごみを思い出せばわかるように、乾いたごみよりも湿った生ごみの方がぐっと嫌悪感が増します。その理由は発生する臭いなのか、触ったときの感触なのか、あるいは他の色々か。湿潤な汚れは腐敗の一過程を容易に連想させ、生理的な嫌悪を催させる。
つまるところ生々しい汚れとは、生理的に嫌だなと感じる汚れなわけです。
今井先生は、他にもこんなシーンを描いています。

(ぼくらのよあけ 2巻 p254)

(あらしの空の思い出 ヤングジャンプアオハル 9/20増刊号 p97)
両画像とも、キャラクターが嘔吐した後の状況ですが、眼鏡のレンズ、あるいはヘルメットのガラス部に体液がこびりついている点が、嘔吐の生々しさを残しています。個人的には、特に前者の画像に唸りました。若かりし頃に酒を飲みすぎて便器と仲良くなったとき、口から胃液が遡るだけでなく、一緒に涙もやってくる。そうすると、ひとしきり便器に向かってげーげーやった後、眼鏡の内側には知らず知らずのうちに涙がついている。それを思い出したのですよ。メガネストが吐くと、確かにああなる。

ハックス! 4巻 p19)
これなんかは汚物として鳥の糞が使われています。日本国民なら誰でも生まれてこの方一度は鳥の糞の空中爆撃の被害に遭ったことはあると思いますが、何か落ちてきたなと思って反射的に伸ばした指先に振れるネチョッとした感覚、白と緑と黒と茶が混じった独特の色合い、まあ気分のいいものではないですわ。

(魔女っ娘縞咲さんの失踪 COMIC BLADE 2011年9月号 p294)
いじめられている女の子が、バケツの水をひっかぶっているシーン。冷たい水に濡れた服が皮膚に張り付くあの不快な感触。

(三丁目クオンタム団地 IKKI 2013年6月号 p56)
無造作にゴミがつまったゴミ袋が乱雑に積まれた部屋で、父親から性的虐待を受ける少女。それを想像させる音だけが響く中で、床にこぼれたビールが無秩序さをいや増している。


こう書いてきて、濡れた・湿った汚れの嫌悪感は、触った感触を思い出させるところにその根っこが大きくあるのかなと思いました。
漫画に限らず創作物というのは、それの媒体となっているメディアが発信する以外の感覚を想起させるところに、評価点の一つがあると思います。たとえば漫画なら視覚だし、音楽なら聴覚。映画ならそのハイブリッド。料理なら味覚プラス視覚などですが、漫画で言えば、痛みを覚えるような描写、音が聞こえてくるような描写、腹が減ってくるような描写、においが蘇ってくるような描写、そういうものがあると作品に引き込まれやすいものです。その意味で、生々しい汚れは不快感を身体レベルで感じさせます。
身体レベルの共感は、プラスのものにしろマイナスのものにしろ、その作品にずぶずぶとはまるとばぐちになりますね。


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