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漫画の話です。

『3月のライオン』「自分の大きさ」を知らない高城と知りつつある零の話

出ました『3月のライオン』9巻。

夏から翌春まで駆け足だったなーとか、ちゃんと高橋君の話にケリをつけたんだなーとか、最近影の薄い香子姉さん大丈夫かなーとか、滑川七段無駄にキャラ濃すぎだろーとか、それでもぼくは髪の長いひなちゃんの方がよかったのですとか、まあいろいろ思うことはありましたが、それはそれとしてもうちょっと真面目な思うことを。

なあ高城… お前は多分 今 不安で不安でしょうがないんだな
何もやった事が無いから まだ自分の大きさすら解らねえ… ――不安の原因はソコだ
お前が何にもがんばれないのは 自分の大きさを知って ガッカリするのがこわいからだ
だが高城 ガッカリしても大丈夫だ 「自分の大きさ」が解ったら 「何をしたらいいか」がやっと解る
自分の事が解ってくれば 「やりたい事」もだんだんぼんやり見えてくる
そうすれば… 今の その「ものすごい不安」からだけは 抜け出る事が出来るよ それだけは
俺が保証する
(9巻 p19,20)

Chapter84、ひなのクラスでのいじめの主犯格であった高城に対する、老教師・国分の言葉です。
自分のしでかしたことについて、国分がいくら諭そうとしてもさっぱり響かない高城。その空虚さの根っこを国分は、「何もやった事が無い」から「自分の大きさすら解ら」ない、もし自分が大したことがない人間だったら、と知り「ガッカリするのがこわいから」「何にもがんばれない」、だからどこにも進めず「不安で不安でしょうがない」、そうして生まれる負のスパイラルだと突きつけたわけです。
ただ、自分がこれを読んで思い出したのは、初期の零でした。
史上5人目の中学生プロ棋士として天才扱いされた零ですが、その道に進むと決めた根っこは「醜い嘘」でした。将棋が好きだから指すしていたのではなく、将棋が好きな父と一緒にいられるから指していた零。その父を含む家族全員が事故で亡くなって施設に入れられそうになり、「ほっとできる時間」が自分の中から失われようとしたその時、父の旧友で、家族以外で唯一「ほっとできる時間」を与えてくれた幸田の家族となるために、零は「醜い嘘」でもって将棋の神様と「契約」をしたのでした。
零にとって将棋は、あくまで手段でしかありませんでした。家族と一緒にいるための手段であり、家族を繋ぎとめるための手段であり、そしてバラバラになった家族をそれ以上崩さぬよう自立して暮らすための手段です。
手段でしかないために、それ以上を望むこともしませんでした。

泳いで
泳いで
泳いで 泳いで 泳いで
泳いで 泳いで 泳ぎぬいた果てに
やっと辿り着いた島――――
ここまで来ればもう大丈夫だ ここにさえ辿り着けば… ここにさえ居続けられれば…
あれもこれもと多くを望まなければ 停滞を受け入れてしまえば 思考を停止してしまえれば
もうここはゴールで
そして
もう一度 嵐の海に飛び込んで 次の島に向かう理由を僕は もうすでに 何一つ持ってなかった
(2巻 20〜22)

この停滞の甘受や思考の停止が、高城の空虚さとどこか通じたのですよ。
ですが零は、そう思いながら、全く反対の感情も持っています。

頭では わかっているのに 動けないのは何でだ
「戦う理由が無い」とかいいながら 負けると悔しいのは何故だ
中途半端だ 僕は
何もかも…
(2巻 p34,35)

戦う理由が無いと言いながら 本当は 身の内に獣が棲むのを知っている
まわりのモノを喰いちぎってでも生きていく為だけに走り出す獣
戦いが始まればどうしても 生きる道へと手がのびてしまう
誰を不幸にしても どんな世界が待っていても
(2巻 p188,189)

この「中途半端」な状態は、「自分の大きさ」と「やりたい事」、そして「何をしたらいいか」が仄見えてくる過渡期にあるがゆえのものなのかなと思います。なんのかんのといっても零は(この時点で)まだ17歳。国分から説教を受けているときの高城とわずか2歳差です。ただでさえ「自分を除いた一家事故死」「幼少期から他人の家で居候」「16歳で一人暮らし」「プロ棋士」と、同年代に比べ非常に大きなものを背負っている零、その背負っているものを含めた自分の大きさなどそうわかるものではありません。でも、それが少しずつでも見えてきて、その見えてきたものに恐れをなして、無関心を決め込もうとしても到底不可能で、という状況で出会ったのが、島田八段でした。零が「目を背けていた世界」を「独り 両足をふみしめて 往く」島田に、「どうしてもききたい事がある」ために、彼の研究会へ入りたいと言ったのです。その「どうしてもききたい事」こそが零の「やりたい事」であり、研究会に入ることが「何をしたらいいか」なのです。
そうして自分の空虚を埋める糸口を見つけた彼は一皮むけ、獅子王戦を経て疲弊しきっている島田の寝顔を見て思うのです。

倒れても倒れても 飛び散った自分の破片を掻きあつめ 何度でも立ち上がり進むものの世界 終わりの無い彷徨
「ならば なぜ!?」
――――その答えは 決して この横顔に問うてはならない
――その答えは あの嵐の中で 自らに問うしか無いのだ
(4巻 p174,175)

自分がどうしてもききたかったことは、誰かに聞いてわかるものではない。自分で自分に問うしかない。そう零は自覚したのです。
なるほど、国分の言ったとおり、「自分の事が解ってくれば 「やりたい事」もだんだんぼんやり見えてく」れば、「ものすごい不安」は消えていくのです。空虚さは埋まっていくのです。
さすが亀の甲より年の劫。おっさんの言葉には重みがあるでぇ……


実はもう一つ思ったことがあるのですが、長くなるので今日はこの辺で。



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