先日『アリスと蔵六』2巻を買ったんですよ。
- 作者: 今井哲也
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2013/09/13
- メディア: コミック
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もうそろそろいいんじゃないですかね、「泣ける」が褒め言葉とされる風潮は。
「泣ける」がいいことという国民的な合意が勝手に植えつけられたのはシドニーあたりの五輪の頃なんじゃないかなと思ってます。その時はたぶん「感動」もワンセットで、それがいつの間にやら「感動をありがとう」というところにまで畸形の変化を遂げ、はてさて7年後の東京五輪ではどうなっていることやらとも思うのですがそれはともかく、果たして「泣ける」って本当に褒め言葉ですかね?
「泣く」に限らず「笑う」や「怒る」といった感情の動きって、年齢を重ねれば重ねるほど、パターン化されていくもんだと思います。今まである出来事に遭遇して泣いたり笑ったり怒ったりしてきた経験は、逆方向から「こういうことをしたら泣く/笑う/怒るもの」というパターンを編み上げていって、そのパターンに合致する形式を備えた出来事に遭遇した場合、出来事の内容を吟味することなく特定の感情を生み出してしまうのです。動物が捨てられる系の話だとそれだけで泣いてしまうとか、オカマキャラのネタは無条件で笑ってしまうとか、そういう感じですね。
喜怒哀楽といった基本的な感情に限らず、郷愁なんかもパターナイズされるものです。『ALWAYS 三丁目の夕日』を見て20台の人間が「懐かしい」という感想を漏らすなんてのがわかりやすい例です。懐かしいも何も、生まれてないだろ、と。あるいは夏の田舎の写真に懐かしさを覚えるのもそれですね。生まれてこの方一度もそんな場所に行ったことはないのに、周りの人間がそれを「懐かしい」と言えば、それが「懐かしい」ものとして植えつけられる。人間は、実際に体験したことを基としなくとも、一定の感情を引き出せるものなのです。
そういうものだから、泣けることは必ずしもその作品が読み手の感情を揺さぶったことにはならない。ある要件さえ満たせば勝手に流れる涙でもって、どうして作品の良し悪しを計れようか。
たとえて言えば、嵐に波立つ海でも水面下へ少し潜ればなんでもない顔して魚が泳いでいるように、表面的な感情の表出と、もっと深層の部分での情動の揺さぶられ方はたいして関係ないものです。無論、腹筋が引き攣れるほど大爆笑とか、涙腺が枯れ果てるほど大号泣とか、程度を超えたレベルの感情表出なら別ですが。
もしかしたら、そういうのとは全然別の話で、「泣く(涙を流す)」という行為が生理的な意味で気持ちいいから「泣ける」=よいものだったりするのかしら。体内からのの排出行為にはすべからく快感を伴うという話もありますし、涙を流すことに一定の爽快感があることは確かですから、そりゃあまあ、泣ける作品はいい作品なのかもしれない。
でも違うよね。
そりゃあ帯の惹句なんてのは短くキャッチーなフレーズで人目を惹かなきゃいけないものだけども、中身がすかすかに虫喰われたような言葉を「なんだか便利だから」と使い続けるってのはどうなのだろうなと思わずにはいられない。
なにはともあれ『アリスと蔵六』は本当に面白いからみんな読むといいよ。お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
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