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「鋼の錬金術師」が終わって・表 人間はまぬけで泥臭いからかっこいいという話

というわけで、『ハガレン』総括表裏の、表面です。こちらでは、『ハガレン』で特に私が感銘した事柄について、縷々と書いていこうと思います。
なお裏面はこちら。
「鋼の錬金術師」が終わって・裏 「真理」と引き換えにした「それ」はなぜ「正解」だったのかという話 - ポンコツ山田.com

鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)

ハガレン』で何に首を捻ったかは裏で書きましたが、ざっくり言ってしまえばそれは、「真理」とか「真理の扉」とか「神」とか「魂」とか「ホムンクルス」とか「錬金術」とかといった形而上に属するような概念で、言ってしまえばそれは、非人間的な部分てことです。で、逆にどこが素晴らしかったかといえば、人間的な部分。というか、人間。登場するキャラクターたちが、良くも悪くもの人間臭さを纏い、地に足をつけて生きている描写がなされているのがとてもいいなと思うのですな。
伊集院光氏は言いました。人間はマヌケでかっこわるいから、面白くてかっこいい、と。それを実感させるものが、『鋼の錬金術師』にはあるのです。
本作に登場する主要キャラクターには、ほぼ全員に苦い過去があります。エルリック兄弟は、死んだ母親を練成しようとして失敗し、さらに真理の扉を開けたのと引き換えに肉体を失いました。マスタング大佐は、イシュヴァール殲滅戦で多くのイシュヴァール人を殺し、また理想に比した自分の弱さに幻滅しました。ホーエンハイムは、クセルクセスの滅亡を間接的に引き起こした自分の罪に苛まれ続けていました。ウィンリィは、イシュヴァール戦で自分の両親を亡くし、大事な人を唐突に喪うという恐怖を知りました。
苦い過去は心の棘となり、彼/彼女らの行動を縛ります。また、過去だけでなく、合成獣キメラになってしまい助けることの出来なかったニーナや、ヒューズ中佐の死など、進行形で棘は増えていきました。
人間の行動原理は、ポジティブなことばかりとは限りません。むしろ、ポジティブな理想、マスタング少佐(イシュヴァール戦役当時)の言う「若い理想」「青い理想」が、それだけでは進めない壁を知り、ネガティブな行動原理でもって画餅であった元々の理想を現実的なものとするよう修正されるものです。少々陳腐に言ってしまえば、失敗は成功の母というやつですか。『宇宙兄弟』(小山宙哉)11巻でも、「失敗を知って乗り越えたモノなら それはいいモノだ」の言葉があります。
失敗というものは、華やかに持て囃される成功と比べれば、どうしても地味でかっこわるいものとなってしまいます。ですが、そんな地味でかっこわるいものがなければ、理想を現実にすることはできません。かっこいいだけの「青い理想」は、汚れを知らないかっこいいものだけに、実効性が無いのです。人は清廉潔白ではありませんし、よしんば何かの間違いでそんなに人間がいたとしても、世界のほとんど全ては、失敗もして、間違いも犯して、かっこわるいところだらけの人間が構成しているのです。そんな世界で高潔な理想だけを追い求めても、実現する由はありません。
心に刺さった棘は時として、怒りや後悔などの負の形を作って表出します。ショー・タッカーに図星を指されて激昂したエド(2巻)や、ヒューズの仇であるエンヴィーと対峙し復讐心に身を焼かれたマスタング(23巻)などがその例です。その姿は、決して美しいものではない。ではないけれど、それもまた、あって然るべき人間の姿です。しかし、あって然るべきではあっても、それに飲み込まれたままではあとは堕ちる一方、「あちら側」に行ってしまう。それを停めてくれるのが、エドにはアルであったり、マスタングにはホークアイだったりするわけです。ふむ、ここにも「仲間」というテーマは活きてるわけですな。
とまあこのように、人間にはかっこわるいところがあるゆえに、その行動は実際的なものになるし、人の心を打つと言えると思うのです。
また、ちょっと別な角度としての、マヌケだからこそかっこいいという話ですが、それをもっとも端的に表した、『ハガレン』で一、二を争う私的名シーンの一つであるファルマン少尉の姿があります。

(24巻 p90)
クーデターが成功するかに見えた中で帰還したキング・ブラッドレイ大総統。中央司令部の正面階段において単独で戦車を撃破し、その強さを凶悪なまでに誇示した彼に「門を開けろ」と言われたファルマンは、全身を震わせ、涙を流し、鼻水を垂らし、弱音を吐きながら、ブラッドレイに銃口を向けました。花丸をあげたくなるほどに情けない姿を晒した彼ですが、その情けなさとまるで正反対の勇気に、私はやっぱり花丸を上げたいと思います。自分の弱さをよく知って、情けなさをよく知って、逃げ出したくてしょうがないのにそれでも歯向かってしまう、臆病と勇気の鬩ぎあいが、私にはひどくかっこよく見えるのです。
先ごろ最終巻が出た『惑星のさみだれ』では、主人公・雨宮夕日の従者であるトカゲ・ノイ=クレザントがこう言いました。「かっこいいだけではかっこ悪かろう」と。そう、ただかっこいいだけではかっこ悪い。かっこいいけどかっこ悪いから、かっこいいのです。


だいぶ長くなってしまいました。残った魅力である「地に足をつけた生活」をするキャラクターたちについては、近いうちに荒川先生のエッセイ漫画『百姓貴族』と絡めて書こうかと思います。ええ、近いうち。なるべく近いうち。うん、まあ、できれば今年中に。


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