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「ハックス!」から感じる「柔らか」な印象の話

あけましておめでとうござっす。山田っす。旧年中は弊ブログにご訪問ありがとうござっした。新年早々パねえ感じなんで、今年はこういうテンションでいこうと思ってるっす。鬼よろしくっす。


まあ嘘なんですけど、新年初更新は、昨年の山田ランキングで見事一位を獲得した今井哲也先生の「ハックス!」について。

ハックス!(3) (アフタヌーンKC)

ハックス!(3) (アフタヌーンKC)

そのランキング記事のときにも書いたんですけどこの作品、上手く説明するのは難しいけれど確かに他の漫画とは違う表現上の特徴があり、それが作品の他の性質とあいまって、私の生理的・体感的な嗜好に合う作品となっています。
というわけで、その「表現上の特徴」はどういうものなのかということについて色々考えてみようという記事です。


ハックス!」を読んで感じる面白さ云々以外の方面からの印象として、「柔らかい」「じんわりしてる」「奥行きがある」などというのが私にはあります。特にそれを受けるのはキャラクターの感情や人間関係の描写で、「ああ、このキャラクターは何も喋っていなくいけれど、何か考えるところあるのだな」というのが、読んでいてじわりと浮かび上がってくる。くっきりとではないのがポイント。
もちろんそれは複合的な要因によるのでしょうが、考え付く範囲でちょいと抽出してみましょう。

  1. 台詞を伴わないコマの多さ
  2. 同一コマ内で描かれる顔の多さ
  3. 台詞の曖昧さ

こんな具合かな。
1はどういうもんかといえば、こういうやつです。

(3巻 p22)
このシーンは、左のコマにいる美少年・児島君が持ちかけたMAD制作に三年の部長(右のコマのメガネ)が積極的にのかったことを、左のコマの一年生二人が嬉しがっている、というものです。
このように、言葉を伴わずに絵のみで心理状況などを描写しているシーンが、「ハックス!」では多いように思えるのです。
この描写方法がどんな効果を表すかというと、単なる言葉の説明よりも玄妙なニュアンスを読み手に伝えられる、というものです。
すぐ上の例では、私は二人の感情を「嬉しがっている」と説明してしまいましたが、実際はもっと色々な感情が混じったものであるはずです。みよしからは「嬉しい」という感情が素直に大きく出ていますが、児島君の方には「照れ」の要素も多分にあるでしょう。この説明自体、私が感じたことですから、読み手が違えばここから読み取る感情もまた微妙に違ったものになるはずです。だいたいは同じでも、細部や感情の総量などで異なってくる。
以前書いた記事で私はこんなことを書きました。

情報伝達の媒体には向き不向きがあり、言語は論理的な情報を載せることを得意とし、対して絵は、言語化すると膨大になる、雑多で属文脈的な情報を伝達することに向いています。

まさにこういうことで、言葉を伴わずに絵のみで感情を描写することで、そこにこめられる情報は、言葉のみで伝えた時よりも多量かつ複雑にできるのです(もちろん、それを可能にするレベルの画力は最低限求められるのですが)。
感情を言葉で表そうとしても、なんかこう上手い言葉が見つからないで歯噛みする、あるいは使った言葉が自分の感情と微妙にずれていて歯がゆい思いをする。そんな経験が誰しもあるのではないでしょうか。
いったん言葉として形を与えられた言葉は非常にソリッドなものです。言った当人がその言葉に満足していなくても、聞いた人間はその言葉として相手の感情を理解します。言葉は無駄がないようでいて、いや、無駄がないからこそ、本来不定形のものをその鋳型の中に押し込め、その鋳型からはみ出た余りはなかったことにされてしまいます。
ですが、漫画という表現媒体で、逆に言葉を伴わない表現をすることで、そこに読み手の解釈の余地を大きく残すことができるのです。この「解釈の大きな余地」こそ(曖昧さと表裏の関係ではありますが)「ハックス!」から感じる「柔らかさ」や「奥行き」の印象に繋がるのかなと。


2について。
これはまあ言葉どおりの意味なんですが、

(2巻 p50)

(3巻 p40)
こんな感じのコマで、ちょっと遠めのカメラからそこにいるなるべく多くのキャラクターの顔を一コマの中に収めることで、複数のキャラクターの心理を同時的に前景化させています。そうすると、おそらくなんですが、別々のコマで一人ずつ(複数でも)顔を描くより同時性が強まると思うんですよね。同時性というか、共時性か。
複数の人間が同じ場にいても、思惑や感情がそれぞれ異なっているというのはままあることです。その複層/輻輳性は「物語」の煩雑さの増大に繋がりもしますが、同時に「物語」の厚みを増すことにも寄与します。「物語」の中で複数のキャラクターが同時に・・・生きている感覚は、群像劇の性格を一層強めるのです。
これもまた「奥行き」の印象ですよね。


3について。
台詞の曖昧さというか、実際の口語との近さ、ですかね。
このことも以前から何度となく言っていることですが、漫画に限らず、映画にしろ小説にしろゲームにしろ、創作物で使われている台詞は、実際に私たちが使う言葉遣いからは大きく隔たっています。実際に私たちが使う言葉は、「まあ」や「あの」、「えっと」などの間投詞、「それで」、「だから」などの接続詞、ちょっとした吃音などが頻出します。人間の会話は、予め何を喋ろうか完璧に考えておきそれを遂行するというものではなく、喋りながら自分が何を言いたいか判明し、相手の反応次第で次に話す予定だったことも変更したりする、極めて可変性の高い不確実なものです。でも、それを創作物中でそのとおりにやると、読むなり聞くなりに面倒くささが大きいので、ソフィスティケイトしたものを用いています。
けれど「ハックス!」では、作中の言葉遣いが実際の口語のものに近いのです。

なんかさ…… 私 あれ見たとき
なんかすごいどきどきしたんだよ
もうなんか なんだろう?
なんかすごいうずうずってなってさ

(1巻 p11)

意外と まあネットでも 出てこないものは出てこないですけど
いや でも 伝説っていうくらいなんですよね なんなんですかね

(2巻 p40)

みよしとはそうだ―
小学校ずっと同じクラスで でも中1のとき別のクラスになって
2年でまた同じになったけど
そんときは部活も別々で なんか なんとなくあんま話さなくなってて

(3巻 p69)

こんな感じですね。
近いとは言っても、やっぱり読むのにうざったくならない程度には口語性は抑えられていますが、それでもかなり珍しいレベルだと思います。
この「話の内容には直接関係しない単語」の多さは、そうではない普通の作品の言葉遣いと比べて、おそらく、読んだ時の印象を柔らかくする、曖昧さを強くする、というような効果があるんじゃないかと思います。


あと、台詞に関連してですが、フキダシの余白が大きいってのは一つの特徴ですかね。

(3巻 p21)
文章量に比して大きいフキダシは、コマ中の余白部分を大きく作り、視覚的にゆったりした感じを与えるかな、と。




とまあこんな具合ですかね。以上三点を起点にして「柔らかさ」に類する印象の由来を探ってみました。
3はともかく、1と2は他の作品でも見られる特徴なんでしょうが、「ハックス!」ではそれが非常に有効に作用していると思うのですよ。そして、そのリズムというか何というかが、妙に私の生理的な嗜好とマッチしている、と。
他にも、面白い角度のついたカメラアングルや、奥行きのある背景など、視点のとり方から考えても興味深い点のある作品なのですが、それについてはまたいずれということで、今日はこのへんで。
私の生理的な嗜好云々は措いても、「ハックス!」面白いよ。未読の人は是非。






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