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漫画やアニメ、小説などについて、思ったことを恬淡と。

漫画と小説の違い その0 〜なぜ漫画と小説なのか

というわけで、以前書いた記事の時からむくむくと膨らみだしている、「物語」*1を伝達する媒体である漫画と小説の質的な違いは何なのかという話です。


まず第一回は、前提として、なぜ漫画と小説なのかというところから。
端的に言ってしまえば、漫画と小説は、アニメや映画、演劇、CDドラマなどとは違い、それが伝える「物語」の時間が通常では凍結されているからです。
端的過ぎるのでもうちょっと噛み砕きます。
まずはそうでない媒体であるアニメなど。アニメなどは、それを鑑賞する時に時間が流れなければ鑑賞することはできません。「そんなの漫画や小説だって時間が流れなければ読めないではないか。お前は『ザ・ワールド』に入門しないまま読書をすることができるのか」と言う向きもあるでしょうが、そういうことではありません。
とりあえずアニメを例にして話を進めますが、アニメには映像と音声があります。映像が動く時には必ず時間が流れていなければなりません。というよりは、時間が流れなければ映像は動きようがない。時間が流れないままの映像は、原画の中の一枚に過ぎません。それは映像(動画)ではなく、ただの絵です。絵を一枚一枚見ても、それはアニメを見ていることにはならないでしょう。絵の集合を時間的な連続性の中に組み込んで、ひとまとまりのものとすることで初めて、絵の集合はアニメ(映像/動画)になり、モニターの中で動き出します。
こうして、ただの絵の集合とアニメは区別されますが、さて、録画したアニメを観ている時に、ちょっと気になるところがあったからと一時停止ボタンを押す。そうするとアニメはそこで動きを停める。その時モニターに映っているものは果たしてアニメと呼べるのか。アニメの中の一場面には違いないけれど、一時停止しているアニメは時間の連続性を剥ぎ取られていて、ただの絵に戻ってしまっている。時間的な連続性によって“魂を吹き込まれた”アニメは、それがなければアニメとは言えない。それがなければ、受け手に「物語」を伝達することができない。動きを停めてただの絵となったアニメは、それが伝える「物語」も発信を止めてしまっているのです。


同様に、音声もまた時間に縛られた伝達媒体です。時間が流れなければ、音声は受け手に伝わりようがない。音声とは、時間的に配列された音の性質によって異なる情報/感興を伝える媒体です。
どんな音をどんなタイミングで鳴らすか。極端に言ってしまえば音楽はそれが全てで、音程の組み合わせ方、音質の選び方、タイミングの的確さで、音楽の優劣や巧拙は決まりますが、この時間配列を乱されたり、あるいは時間の流れを停めてしまったりすれば、途端に音楽は意味を失います。プレイ中のCDを一時停止すれば、音楽も停まります。もうそこに音楽は残っていません。もう一度再生を押せば、音が再び時間的配列にしたがって鳴り出し、音楽は復活します。時間のない音楽は存在できないのです。建築物を比喩的に「凍れる音楽」などといったりしますが、これは逆説的に、本来的に音楽を凍らせることはできないということになります。
声も音楽と同じです。例えば「ス」と「ナ」という音節を、「ス」「ナ」の順で発声すれば「砂」になるし、「ナ」「ス」の順なら「茄子」になります。「ナ」の発声時間を延ばせば「ナース」になります。発声の時間的な順逆や発声時間の長さを適宜組み合わせることで、声も初めて言語的情報を伝えることができるのです。


このように、作品形態として映像/動画/動作や音声が必須であるアニメなどの媒体は、「物語」の伝達が客観的な時間の経過に縛られていると言えるのです。


では漫画や小説はどうか。
漫画や小説の「物語」のヴィークルとなっている文字や絵は、紙などに書(描)かれたものとして存在していて、それ自身が動くことはありません。文字が集まり言葉としての意味を発生させ、配置された絵に関連性を見出し「物語」を読み取るには、受け手の能動的な行為が必要とされ、基本的にはそれが行われている前にいれば作品サイドが勝手に「物語」を進めていくアニメなどとは異なります。
それは「めくる」という行為に象徴的に表され、漫画にしろ小説にしろそれを読むスピードは千差万別、一律のものとはなりません。例えば私なんかは読むスピードは早い方で、友人のいる前で本を読んでいると「もうそんなに読んだの!?」と驚かれることがしばしばあります。特に漫画は、買ってきて最初に読む時は細部にこだわりすぎず勢いで読み、一度読み通してから、今度はじっくりと読み返します。そういえば、在学中に暇な講義の最中に、買ったばかりの伊坂幸太郎の新刊を隣の友人と頭をつき合わせながら読んだことがありましたが、その時も自分と友人で読むスピードが異なり、ページをめくる際には確認を必要としたものです。
そんなこんなで、漫画や小説を読む際には受け手固有の時間があるのです。


また、言葉を変えて、文字や絵は「物語」が流れる時間を一旦凍結し、読むことでそれを解凍している、というようにも言えるでしょう。
アニメなどは先にも書いたように、動かなければ(現実の時間が流れなければ)受け手へ情報/メッセージ/「物語」が届きません。動くことで「物語」は発され、動くことを止めた瞬間に「物語」は途絶えます。ですが文字や絵は、読むのを止めても「物語」そのものは変わらず残っています。文字や絵自体無時間的な存在なので、そこに内在している「物語」も無時間的に存在しているのです。
漫画や小説の「物語」の無時間性は客観的なもので、それを読むことで、受け手の意識の上では(主観的には)「物語」の時間が発生します。この時間は読んでいる最中には意識せずとも流れ、読むのを中断した途端にぴたりと停止します。
客観的には無時間的なものとして存在する「物語」が、読み手の主観(行為)によって時間を生み出す。それが、文字や絵による「物語」の時間の凍結と解凍なのです。このような特徴を有する代表的な「物語」のメディアである漫画と小説の性質を、後々考えていきたいと思います。




というわけで、漫画と小説の違いについての序論、なぜ漫画と小説が比較されるのか、という話でした。キーワードは「客観的な無時間性」です。
次回は漫画と小説の「物語」のヴィークルである、絵と文字の質的な際について触れたいと思います。






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*1:カギカッコで「物語」と言った場合、誰かに何らかのメッセージ/概念を伝えるために体系立てられた情報の集合、というような曖昧で広汎に亘る概念を意味します。書いてる自分でもまだよくつかめていない言葉なので、「普通に言う物語とは違うのだな」くらいに思ってください。