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漫画の話です。

『ぼっち・ざ・ろっく』下手な演奏を下手に演奏できるアニメの説得力の話

 今更ながら、ABEMAで『ぼっち・ざ・ろっく』のアニメを見てます。
bocchi.rocks
 現時点で9話まで鑑賞。原作を2巻まで読んでからのことなので、ストーリーはすべて承知なんですが、漫画とアニメの表現の違いから生じる印象を色々感じてます。
 その中でも一番大きいのは、やはり演奏シーン。
 漫画からは当然音が聴こえませんので、その点で実際の音を鳴らせるアニメはとても有利。それが(9話時点で)一番うまくいったなと感じたのは8話でのライブシーンです。

 結束バンドの初ライブ1曲目は、台風により観客が少ないことによるモチベーションの悪化もあってか、4人とも集中力が低く、まったくノれてませんでしたが、原作ではそれは、こう表現されていました。

(1巻 p124)
 「ドラムもたついてる」や「息が合ってない」というのは所詮言葉だけであり、そもそも普段の彼女たちの演奏レベルも言葉以上のものを実感できてないのですから、いくら言葉で演奏の具合の説明をしても、彼女らの演奏のノれてなさは説得力をもちえません。
 でもアニメでは、現実に音を鳴らせます。それも、絶妙に聴いてて不安になる音を。
 たしかにぼっちの言うとおり、ドラムはもたついているし、ベースとうまくかみ合わないし、ボーカルの声も飛んでいません。ちゃんと「聴いてられない」演奏になってます。そりゃあファン1号2号も不安な顔になる。
 アニメでは、下手くそな演奏をちゃんと下手くそに演奏することで、結束バンドの不安定さに、はっきりとした説得力が生まれているのです。

 で、これがうまく効いているのは、5話のオーディションでの演奏は、ちゃんと「聴ける」ものだったということです。アマチュア女子高生バンドの初めての人前での演奏がちゃんと「聴ける」ものだったことに、私は、「なるほど、アマチュアの演奏も『聴ける』ものとして構成するのね」と思いました。いくらぼっちがネットで好評を博するギタリストだったとしても、それだけでバンド全体が「聴ける」ものになるというのは考え難いものです。なので、アニメはそういうスタンスで作るのだと。
 でも、それはフリだった。
 オーディションで「聴ける」演奏をしていたからこそ、初ライブでの「勢いが完全になくなってる」演奏が説得力を持って成立するのです。
 たしかに彼女らは、モチベーションも集中力も欠いている。初ライブがこれでは、経験者の虹夏やリョウはともかく、ぼっちと喜多はバンドをいやになってしまうのではないか。
 そう、きちんと視聴者を不安がらせられるのです。
 実際、あのレベルの演奏は、ライブハウスで爆音で聴けば違和感を意識しないくらいにはなるかもしれませんが、それでも「なんかノれないな」という思いはついて回り、オーディエンスが少なく熱狂度が低い状況ではなおのこと感じるでしょう。それが、アニメでの画面越しの演奏となれば、ノれない感じ、いつか止まってしまうんじゃないかという不安はいっそう強く感じてしまいます。

 で、そんな1曲目の不安定さこそ、2曲目冒頭のぼっちの暴走が光ります。

(1巻 p125)
 このシーンも原作では、ぼっちが意を決して空気を変えようとし、それがバンドの皆にも伝染して無事ノリが復活した、ということはわかりますが、それはわかるというだけで、説得力という点ではあまり強くありません。「そういう風に描いてあるからそういうシーンなんだろうな」という、想像というか、主体的な思考が生まれてしまい、ぼっちが場の空気を変えたことが感覚的にわかるわけではありません。
 ですがアニメは、1曲目のチグハグなバンド演奏とは違い、一人でキレのある演奏をするぼっちのギターは、たしかにその場の空気を変えるものであり(もちろんギターの音以外の演出もありますが)、それに引っ張られた2曲目が、1曲目と格段に違う演奏となったことは、文字どおり、聴いてわかる演出となっていました。ドラムのパターンも安定しているし、ベースやギターとのキメも合ってるんですよね。
 視聴者はそれを、考えてわかるのではなく、聴いて感覚的にわかることができるのです。百聞は一聴に如かずとでもいいますか。
 理屈に先んじる理解。それが説得力です。

 現に音を出せることで、しかも実は大変に難しい、わざと下手くそに演奏をすることで、ライブシーンの緊張感と絶望感、そこから一転するカタルシスを巧みに描いたのは、やはりアニメの強みだなと思います。
 丁寧につくられるバンドアニメはいいぜ……
 あと廣井きくり、えっちだぜ……

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