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漫画の話です。

いずれ滅びるこの町で、今日も私たちは生きています 『花井沢町公民館便り』の話

私たちの住む花井沢町は、とても小さな町です。そして、とある事故のせいで、生きているものが出ることも入ることもできなくなった町でもあります。町の中には住民がいますが、もちろんみんな、出ることも入ることもできません。あと200年も経てば、きっと滅んでしまっているでしょう。私たちの住む町、花井沢町は、そんな町です……

ということで、ヤマシタトモコ先生の新作『花井沢町公民館便り』のレビューです。
舞台は近未来日本の架空の町、花井沢町。そこはいたって普通の小さな町でした。2055年5月15日午前5時41分までは。けれど同日同時42分、事故が起こり、花井沢町の人々、否、生命体すべてが、世界から孤立してしまいました。もともとはシェルターや刑務所に使われるはずだった、生命反応のある有機体だけを通さない透明な膜の研究がされていたのですが、そこで事故が起こり、花井沢町一帯がそれに覆われてしまったのです。
中の人々は出られないし、外にいる人々は入れない。それはもう取り返しのつかない事態。通れないのは生命反応のある有機体だけだから、物の受け渡しは出来る。水は流れるし電気も流れる。電波も届く。でも、人は出られないし、入れない。
そんな、世界から孤立した町。そこで暮らす人々の生活を描いたのが本作です。
人の流入出が完全に不可能になった、地方の小さな町一つ分の世界ですから、いくら物資は外から確保できるとしても、人口は減少の一途をたどりますし、そうなればいつかは人っ子一人いない世界となります(作中の見立てでは、二百数十年となっています)。ですから本作は、いわゆる終末ものの一類型。世界の滅亡が決定づけられた中で、人々がどう生きているかを描いている作品なのです。
1巻で描かれているエピソードは、時間軸に差がありますが、どれも事故から数年以降の話。住人達は自分達の置かれた状況を、少なくとも表面上は受け容れているし、あるいは事故後に生まれた人間は、その状況を当然のものとさえしています。だから、小さな事件は起こるけど生活はおおむね平穏で、作中の空気に、何かが崩壊する寸前の張りつめたものはありません。その意味では、たとえば同じ終末ものとして、小説ですが『終末のフール』(伊坂幸太郎)などと似ていると言えます。
ですが、終末ものとして本作が特徴的なのは、花井沢町以外の世界は何の変りもなく存在していることです。同町がその周囲から隔絶されただけで、それ以外に世界は変化していない。もし花井沢町が滅んでも、外の世界は別に滅びないのです。
この圧倒的な非対称が、本作にうすら寒いほどの虚無感を与えています。ゆるゆると滅んでいく世界を、手が届かないまま目の当たりにしなてくてはいけない無力感。この作品は、町人への完全な感情移入を許しません。私たちがどれだけ彼らの中に入ろうとしても、いや、仮に入ってその楽しさや辛さ、悲しさ、絶望感を共有したとしても、どこかの一瞬で膜のこちら側へ引き戻されてしまいます。この非対称性は、それほどに強い。むしろ、深く入れば入るほど、反動をつけて勢いよく引き戻されてしまうでしょう。そうして、あちらとこちらで遠く隔たった彼我に、改めて虚無を覚えます。
1巻に登場するエピソードは、外のアイドルに熱を上げる女子中学生、盗難被害に遭った男子、秘密基地ごっこに興じる子供、町民であることを隠してネット上で人気を集める青年、年上の女性からストーカー被害に遭う青年、膜を隔てた向こうの幼なじみと散歩をする少女、そして、その少女が20歳になった誕生日と、その少女が唯一の生き残りとなった日。
どのエピソードにも、事件があります。生きている人がいます。そして、手の届かない外の世界があります。物は届くし声も届くけれど、手は決して届かない。
外側と交われない内側は、少しずつ物の考え方が外とずれていき、中の人による人治的な振舞も目立ちだします。その変化は緩やかだから、平穏さは保たれているけれど、瓶底に泥は確実に沈殿していくのです。その澱みは外からも見えるけれど、どうしようもできないから、結局見て見ぬふりを決め込むしかない。とても、息苦しい。内も、外も。
虚無感はさびしさと言い換えることもできますが、先日レビューした『ビーンク&ロサ』のさびしさが、胸がすーんと冷たくなっていくさびしさなら、本作は、胃を握りしめられ嘔吐しそうになるさびしさ。不意にオエッとくる。そういえば、『終末のフール』でも、普段は平気な顔をしているのに突然嘔吐感に襲われる青年がいましたね。たぶん似た感覚。
どんなに明るかろうとも、透けてみる救いのなさ。それがどうにも、癖になります。人の葛藤を活写するのに定評のあるヤマシタ先生が、この特殊な状況下での人間模様を今後どう幅を広げて描いていくのか、とても楽しみです。
1話&2話の試し読みは以下のリンクで。
モアイ-花井沢町公民館便り/ヤマシタトモコ


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