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漫画の話です。

新境地へ挑戦!でも根っこは変わらない水上先生の『宇宙大帝ギンガサンダーの冒険』の話

ド級の怪物宇宙大帝ギンガサンダーにまつわる話3本と、「百鬼町」シリーズ1本、スペースコロニーの中でのSF1本、『惑星のさみだれ』の外伝。あとは『TRIGUN』のアンソロジーと、ブラコンアンソロジー『liquer』に収録された作品で構成された短編集。

ということで、水上悟志先生の短編集『宇宙大帝ギンガサンダーの冒険』のレビューです。
一応メインは、表題にもなっている「宇宙大帝ギンガサンダー」をめぐるお話、ということになるんですかね。本短編集の作品は、前書きや中書きで水上先生自身が言及していますが、「今まで描いてないものに挑戦・実験をしよう」というコンセプトがあるようです。起承転結のない一発ネタの作品(『己の拳』)、舞台設定にSFをもってきたもの(『シャンバラのお絵かきネル』)、純愛(『恋の鈴鳴る百鬼町』)、「ミステリーとかホラーとかサスペンスとかなんか怖いやつ」(『醒誕祭』)、剣と魔法の中世ファンタジー(『彼の旅が終わる』)てな具合ですが、いろいろな方向性を打ち出しても、その根っこの温度というかまとめ方というかにはやはり共通するものがあるなあと思う次第です。
じゃあその共通するものとは何ぞや、ということですが、簡潔に言うなら、「とんでもないこと・突飛なことををブレーキをかけないまま描く」というものですか。
ド級の怪物を子供のおもちゃ(それも粗悪品)レベルの造形で作った「ギンガサンダー」シリーズとか、いつの間にかワニになった兄を愛する姉妹を描いた『わにあに』とか、頭に鈴がついてることをとりあえず受け容れちゃってる『恋の鈴なる百鬼町』とか。
登場人物を読み手に共感させて事件に巻き込むのではなく、そもそも読み手とは大きな落差のある登場人物・世界観を作って、読み手を呆気に取られた傍観者に置いたまま話を展開させる感じ。『己の拳』の置いてきっぷりは素敵素敵。文字通り、一切ブレーキをかけない話でした。
普通の人ならこうまとめるだろーなーという枠を踏み出したところでストーリーを作る感じ。というか、そういう枠を踏み出すことをまずスタートとする感じ。
別に「普通の人」というのは悪い意味でないし*1、「普通」じゃなければいいということでもないけれど、水上先生の場合は「普通」を越えたところできちんとまとめた/筋の通ったお話を作ってきます。『醒誕祭』の救われない突き放し方は、まとまってはいないかもしれませんが、ぞっとする筋がしっかり通っています。その先がどうなっているか考えもせず、崖に向かって車を走らせているような。不安に駆られてブレーキをかけるでもなく、興奮と恐慌に囚われアクセルを踏むでもなく、何も考えないまま虚空へダイブ。そんな救いのないお話。
で、そういうノンブレーキ系とは別の方向性として、『惑星のさみだれ』でも何度となく出てきた「大人とは何か」「自分とは何か」「世界とは何か」といった問いについて答えようとする『シャンバラの絵描きネル』があったり。ネルが白痴かわいい。
水上先生の様々な方向性と、その根っこにある何か。そういうものを確認するに好個の短編集かなって感じです。私は『己の拳』が好き。
あと、時系列をいじくって「ギンガサンダー」シリーズを描いたおかげで各作品内で微妙なつながりが見え隠れしてます。中書きにも、過去作品のつながりなんかがざっくり図になっているものがありますが、昔当ブログで書いた水上作品のつながりについての記事も再掲しときます。
「水上悟志」ワールドの縦横のつながりについての話
3年以上前の記事なので既刊を追えていない部分もありますが、参考までにどうぞー。


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*1:この場合の「普通」は特に作劇、設定、ストーリー展開の面でですが、「普通の人」が作るキャラクターや世界観だからこそ読み手が受け容れやすく、その中で生まれる描写が生々しく届くということは言えます。たとえばヤマシタトモコ先生とか、作劇とか設定は「普通」な感じですけど、その心理描写の描き方がハンパなく生々しいです