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漫画の話です。

『3月のライオン』子供姿の零とスタートラインと、生きていいと思える「居場所」の話

ようやく新刊の発売された『3月のライオン』。約1年10か月ぶりか。そうか……

前半はひなとの零のアンニャモンニャで「あー零くんいけませんそれはいけませんよーあーいけませんいけません」となりながら読んでいましたが、後半の将棋パートでは、島田研究会の面々が躍進する獅子王戦決勝トーナメントが描かれました。
ゴリッゴリの相中飛車で力技のがっぷり四つが繰り広げられた二海堂vs重田は、辛くも二海堂の勝利に終わり、兄弟子であり研究会主である島田との対戦を賭けて、零と相まみえることになりました。
その戦いで、初見では読み流し、再読時にひっかかったのが、このコマです。
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(16巻 p190)
まるで小学生の様に好奇心丸出しで、嬉々として中飛車で攻めてくる零と相向かって、二海堂は、彼に子供の姿を見、「始まりのスタートライン」にやっと「辿りつけた」と思ったのです。
このとき二海堂が見ていた子供の零は誰なのでしょう。
零が辿りついたスタートラインとはどこなのでしょう。

結論を言ってしまえば、零が辿りついたスタートラインとは、まだ実の家族が生きていたあの頃であり、子供姿の零は、当時の彼なのです。
ひなとの関係を深め、新たに自分の居場所を得られた零が、かつて自分の居場所があったあの頃にもう一度戻って、純粋に将棋の強さを、楽しさを求めることを許されたこと。
それが零のスタートラインであり、長きにわたって描かれてきた葛藤の、一つの到達点だと思うのです。

手段としての将棋

詳しく説明していきましょう。
そもそもの前提として、子供の頃の零は、将棋を好きというわけではありませんでした。いえ、苦手ではあっても嫌いではなかったのでしょうが、あくまで将棋は忙しい父と一緒の時間を過ごすための手段、あるいは誰かと深くコミュニケーションをとるための手段であり、将棋それそのものを目的とし、楽しいから将棋を指す、という性質ではなかったのです。

将棋は苦手だったけれど 
忙しい父と一緒に過ごせる大事な時間だったから
一生懸命がんばってた
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(1巻 p151)

クラスの子たちの話す言葉は目まぐるしくって 何を話してるのか追いつけなくて 異国の言葉のように聞こえた
なのに 盤をはさんでのそのヒトの言葉は ちゃんといつもボクの心の中に沁みてきた
大人なのにちゃんとボクは「語りかけて」くれてるって ――それがわかった
(1巻 p152)

「近所でも学校でもいじめられっ子で どうしても友達が作れなかった」零にとって、父を含む家族と、対局を通して語りかけてくれる幸田との将棋が、唯一と言っていい心落ち着けられる場所でした。

目的としての居場所

しかし、そんな零の幼少期は、あっという間に崩れ去りました。彼以外の家族が交通事故で死亡してしまったのです。
あわや施設に放り込まれるところだった零を救ったのは、葬儀に駆け付けた幸田でした。

「……君は 将棋が好きか?」
「…… はい」
嘘だった…… 人生で初めての 生きる為の ――そして決して戻れない
(1巻 p164,165)

プロ棋士である幸田の内弟子になるために、零は、決して好きではない将棋が好きだと噓をついたのです。
なぜそんな嘘をついたのか。
それは、表面的には施設に入るのを避けるため。そしてその本質として、自分の居場所を確保するためという目的がありました。

今までは学校でどんなに辛くても 夕方には暖かい自分の部屋で一人になって ほっと落ち着くことができた
――でも 施設に入ったら 帰っても誰かがずっといて… 眠るときも誰かがいて… もう「ほっとできる時間」は365日の中で
一瞬も無くなるのだという事だけはわかった……
(1巻 p163)

将棋を通じて、家族以外で唯一自分と語ることのできた幸田の家に行けば、少なくとも施設に行くよりも「ほっとできる場所」を得ることができるだろうと考えたのです。
この嘘のことを零は「将棋の神様と僕の」「契約」と称しています。契約にはお互いに対価が必要です。神様は、零に居場所を得る権利を与え、代わりに零は、自分を将棋に差し出すことにしたのです。
つまり零にとって、そのきっかけにおいても、身を捧げることになった段においても、将棋はあくまで手段であり、その目的は、居場所を得ることだったのです。

仮初の居場所と形骸化する手段

幸田家で内弟子として生活を始め、仮初の居場所を得た零ですが、自分の存在が幸田家を食い潰そうとしていることに気づき、なんとしてもプロになり、一人暮らしをしようとしました。「自分の力だけで生活する事ができればそこが「自分の居場所」になるんじゃないかと思った」からです。
プロになり、一人暮らしも始めた零は、二度目の仮初の居場所を得ました。少なくとも、ここであれば、一人になることもできるし、誰に迷惑もかけることもない。

泳いで
泳いで
泳いで 泳いで 泳いで
泳いで 泳いで 泳ぎぬいた果てに
やっと辿り着いた島―――――
あれもこれもと多くを望まなければ 停滞を受け入れてしまえば 思考を停止してしまえれば
もう一度 嵐の海に飛び込んで 次の島に向かう理由を僕は もうすでに 何ひとつ持ってなかった
(2巻 p20~22)

居場所を得ることを目的としていた零にとって、それが手に入ってしまえば将棋はもう必要ないものですが、将棋のプロとして一人の生活を続けるためには、将棋を続けなければいけない。とはいえ、「多くを望まなければ 停滞を受け入れてしまえば 思考を停止してしまえれば」、惰性で将棋を続けてしまってもよかったのです。

ですが、彼が得た居場所は、一人になることができるものであっても、ほっとできるものではありませんでした。
長い長いエスカレーターの先で、還る道もない部屋が待っている夢が象徴するように、ただプロであるだけの零がいる居場所は、非常に空虚で、先も後もないどん詰まりの場所だったのです。

ようやく辿りつけた居場所 ひなの隣

そんな零が、川本家とのかかわりを通じ、学校での林田の尽力を通じ、棋界での棋士たちとの対局を通じ、少しずつ、自分が「ほっとできる」居場所に近づいていき、とうとう「すごい場所」まで来れたのです。

――神様
僕はすごい場所に来れました
「元気でいるかな」と心配してもいい人ができたんです
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(16巻 p153)

ひなの隣。
そこが、零の辿りついた彼の居場所。
誰かを心配し、そのことがとても重くて、胸が痛むほどに嬉しい場所。
ついに零は、自分がいたいと思う場所に辿りつくことができたのです。

林田の慧眼

零にとって将棋は目的ではなく、ずっと探してきたのは居場所だということ。実はこれは、零の高校生活をずっと見守ってきた林田が、既に看取していたことでした。

オレは ずっと 桐山 こと 見て来た
お前がずっと探してきたのは
自分が生きててもいいと思える場所
ただ ただ それだけだった
気づいてないかもしれんが 桐山
お前 今まで 一度もオレに
名人にも 獅子王にも
なりたいって口にした事 無いんだぜ
(15巻 p144~146)

実に慧眼。すばらしき洞察です。
そんな林田だからこそ、零の手にある「おにぎりは絶対に手放すな」と強く言ったのです。ひなと一緒に未来のことを考えながら作ったおにぎりこそが、零が「生きててもいいと思える場所」の象徴だったからです。

手段の目的化 将棋って楽しい

さて、そうして零が目的を達したのだとすると、今まで手段でしかなかった将棋はどうなるのか。
確かに彼は手段として将棋を続けてきましたし、その過程で、惰性に堕しかけることさえありましたが、その心の裡には、将棋で勝ちたいという意志がありましたし、かつて幸田とそうしたように、強者たちと対局を通して心のやり取りをすることに得も言われぬものを感じていました。いつしか、将棋をやること自体に意味を見出し、手段であった将棋が目的へと変化していったのです。

楽しい… 無責任に楽しい
そういえば最近
「必要にかられて」の本筋の研究ばかりで 「横道」と思う所は削ってばかりだった…
(16巻 p139)

16巻でのこの独白は、零の心境の変化を端的に表すものでしょう。それがひなという居場所を得たことによるものだというのは、この独白の直後に彼女を思い出し、会いに行くことからも見て取れます。
居場所へ辿りつくための長い道程を経て、ついにひなの隣へ来られたからこそ、将棋が楽しいという、ある意味で非常に無垢な心境を会得したのです。

子供の零 将棋を楽しむ(リ)スタートライン

さあ、ここでついに冒頭の問いに戻ってきました。
将棋が楽しい。
この状態の零こそが、彼のスタートライン。
もう一度将棋をやり直すゼロの地点。
手段としてではなく、目的として、楽しむために、強くなるために将棋を始められるところ。
その意味で、ただのスタートラインというより、もう一度やり直すリスタートなのかもしれません。
自分に居場所があったかつての子供時代。そのとき同じ境地に零が戻ってこられた/辿りつけた/帰ってこられたからこそ、その当時の姿が二海堂には見えたのです。
宙に浮いて、口元にほんのわずかな笑みを浮かべて将棋盤に向かう零は、これまで存在したことのなかった姿かもしれませんが、そんな新たな可能性の姿が見えるゆえに、ここが新たな(リ)スタートラインなのです。

1巻ですでに示されていた、零の居場所にまつわる長い長い道のりが、ついに11年近くの時を経て、一つのゴールを見たのです。これを感慨と言わずして何と言いましょう。
零の高校生活、これもまた「逃げなかった記憶」を得るために選んだ道ですが、いよいよ終わりを迎えようとしています。物語も大詰めと言っていいのかもしれません。
二海堂との戦いの行方は。
獅子王戦の行方は。
零と雛の行方は。
続きが待ち遠しくてたまりませんね。



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