ゴンさん……
- 作者: 冨樫義博
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/08/04
- メディア: コミック
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で、それが何かと言えば、28巻でのパームとウェルフィンのエピソードについて。正直なところ、最初この二人のエピソードを読んで、肩透かしを食ってしまったのですな、私は。肩透かしと言うか、ご都合主義と言うか。もちろんそうじゃない人もいるでしょうけど、なぜ自分がそう感じたかということについて、ちょっと考えてみた。
ざっと理由は二つ。
一つは、二人に費やしたページの少なさ。パームは二話、ウェルフィンは実質一話。他のエピソードに比べて、その量が圧倒的に少ない。その理由は、この二人の話がメインではなく、他のキャラクター、王や護衛軍こそが本筋で、そちらに紙幅を割きたいからでしょう。それはわかりますが、ページの少なさは、説明できることの少なさに直結します。いくら冨樫先生が絵や文字による説明が上手いといっても、おのずから限界があります。少ないページで大きな問題に解決を図ろうと思えば、どうしてもそこにご都合主義的なにおい、すなわち、それまでのストーリー・文脈にそぐわない不自然さが紛れ込んでしまいます。
二つ目。それは、一つ目で述べた「問題の解決」の決着が、「改心」という形をとったことです。ピトー・プフによって施された洗脳が、キルアの強い情動に揺さぶれることで解けたパーム。蘇った人間の頃の記憶を認めることで、欲望と敵意を無くしたウェルフィン。憑き物が落ちたように急激にその思考・態度を変えた二人は、その急激さ・強固さに対して、「改心」を導いた理由が唐突であり、またそれまでの下準備が薄いように感じられたのです。
パームについては、
家族・友人の愛や 患者本人の情熱を呼び起こす刺激が 医者の客観的な診断をはるかくつがえす回復をうながす
脳にかかわる臨床ではしばしば起こる れっきとした事実である
(28巻 p84)
ということで洗脳が解けた。「しばしば起こるれっきとした事実」であろうと、「客観的な」状況を超えて起こる奇跡で物事が解決しては、そこにご都合主義のにおいは残ります。そこで表現されたキルアの感情がいかに激しいものであろうと、です。その描写の出来不出来ではなく、客観性を超えたところで解決が見られたことに、違和感が出るのです。今まで、問題の解決についてはシビアに客観性を維持してきた冨樫先生だけに、その違和感は強く表れました。
ウェルフィンの「改心」も、その直前のイカルゴとの直接対決で自身の弱さを自覚しながら負けを認めようとしたところまではともかく、そこから人間の時の記憶の話につながっていったのには、唐突感が否めませんでした。それ以前に、何かしらで人間の時の記憶、あるいはジャイロとの思い出のようなものが布石としてあればよかったのでしょうが、ウェルフィンの場合、自分の性格についての自己分析ばかり。その性格とジャイロの記憶には、直接的な結びつきがない(ように現時点では描かれている)。生前の記憶を持っている他のアリや生きているジャイロ(20巻)のエピソードだけでは、ウェルフィンの「改心」に結びつくには弱かったように思えます。
そんなこんなで感じた二人のエピソードのご都合主義なのですが、それが好転するのは29巻でのことです。「改心」を見せた二人ですが、その「改心」した状況を内面化したうえで行動したり、他のキャラクターが接しているために、28巻でのご都合主義がそこだけで浮くことなく、以降の文脈につながっている印象が生まれたのです。
具体的に説明しましょう。まずはパーム。「改心」した彼女はキルアらと行動を共にし、コムギを守ろうとします。その中でのキルアとのワンシーン。
「パーム」
「…何?」
「ありがと」
「何? 何よ 何にありがとなの?」
「……… 色々だよ」
「色々って? たとえば何よ?」
「うるせーな 色々は色々だよ!!」
「ちょっと何それ!? 感謝された方がムカつくっておかしくない?」
「安心しろよ もう二度と言わねー
………仲間だからな」
「え?」
「仲間 に礼はもう言わねーから」
(29巻 72,73巻)
共闘と共に、キルアによるツンデレ的なこの反応。これによりパームは、「アリ側から人間(ゴン達)側へ」という文脈に完全に組み込まれました。28巻でいったん浮いた状況になるも、そこからまた新たな文脈が始まっていた。一度敵サイドとなったパームを新たに仲間と認め、その絆をより強くする。パームのそういう状況が、このシーンで確定したように思います。
ウェルフィンの場合。イカルゴにギブアップした彼はブロヴーダと共に保護されましたが、王サイドへのメッセンジャーを頼まれました。ギブアップしたとはいえ、イカルゴにいいように使われるのは拒もうとした彼ですが、人間だった頃の記憶を上手くくすぐられ、その申し出を受け入れ、更にそこから「
ご都合主義を感じる「改心」は、つまるところ、前後の文脈との馴染まなさです。馴染まないとは、それに至る理由がない・薄いということです。「改心」したキャラクターがその後にストーリーに絡んでいっても、「改心」時に見せた理由が後のキャラクターの行動に影響を与えていなければ、そのシーンはご都合主義のまま馴染まず浮くことでしょう。
冨樫先生自身がどういう意図だったかはわかりませんが、29巻で二人が絡んだエピソードのために、28巻でのご都合主義は私にとってだいぶ薄くなりました。けっこうホッとしたというか、スッキリしています。
ゴンさん、いったいどうなってまうんや……
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