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漫画の話です。

「私は充実している人間を―許さない!」燃える昏い情熱『鉄風』の話

高校生になったばかりのの石堂夏央は、努力しなくてもたいていの運動はできる。ためしに高校から始めてみたバレーボールも、スポーツ名門校にもかかわらず、入部して早々先輩を押しのけてレギュラーに。傍から見れば羨ましがられるようなその才能も、当人にしてみれば退屈極まりない。いや、それは退屈などではなく「寂しさ」。「努力する」人間には決してわからない、「寂しさ」。
ある日、夏央は校庭で部活勧誘をしている少女に出会う。少女の名は馬渡ゆず子。ブラジルから転校してきた彼女は、格闘技部を立ち上げようと、道行く生徒に呼びかけていた。その無邪気な笑顔。楽しくてしょうがない笑顔。自信を隠し切れない笑顔。その笑顔に、夏央の心はささくれ立つ。
「私は充実している人間を―許さない」
ゆず子の顔を歪めるため。そんな昏い情熱を胸に、夏央は総合格闘技の道に足を踏み入れだした……

鉄風 1 (アフタヌーンKC)

鉄風 1 (アフタヌーンKC)

ということで、good!アフタヌーンで連載中、太田モアレ先生『鉄風』のレビューです。
才能あるもの、ある意味での天才を描いている作品ですが、いい感じに新機軸なのは、主人公の昏い情熱です。陰に燃える情熱。
「私は充実している人間を―許さない」
この言葉が端的に示すように、努力しなくても何とかなってしまう自分に退屈、否、寂しさを覚える主人公・夏央が、努力して、楽しそうで、充実しているゆず子に激しい敵意を向ける。どのくらい激しいかというと、彼女を見かけたその日の内に会いに行き、ぶちのめしてその顔と自信を木端微塵にしてやろうと思うくらい。この敵意の鋭さは、夏央の抱える寂しさと、そしてゆず子の充実感と比例しているものでしょう。

物心ついた時から何でも出来た
少ない情報でもスグにコツを掴み 感覚で体が勝手に動いてくれる―
自分にとってはそれが当たり前で 他の皆も同じ様なものだと思っていた
だから 自分には簡単にできることが周りの人にはとても難しい事柄だというのが はじめは疑問で仕方がなかった
「どうして出来ないの?」と……
それが「才能」だということを自覚した時には 「退屈」という二文字も私に付きまとう様になっていた……
でもそれは本当は「退屈」じゃない 「寂しさ」だ
「努力」する人間には決してわからない 寂しさだ
(1巻 p8〜11)

ああ…… この感じ…… この控え目に自信を隠したこの顔……
その自信が砕ける瞬間を見るのは…… 嫌いじゃない
(1巻 p27)

夏央の「寂しさ」に見合うだけの充実感を持っている人間に会ってしまったから、その敵意は類を見ない鋭さを増す。今まで出会った人間とは桁が違う充実感。それが敏感に夏央の心を刺激した。
意気揚々と、と表現するにはその感情は昏いですが、とにかく夏央はゆず子をぶちのめしに行った。でも、その思いは遂げられませんでした。確信をもって殴り込みにいったのですから、夏央自身、腕に自信はありました。昔やっていた空手は、やはりさしたる努力もなく身に付き、相当の強さを得られていたから。ですが、ゆず子は明らかに夏央より強かった。ただの一合でそれは自覚できた。
そしてその感覚に、やっぱり夏央は喜びを覚えます。今の自分では到底かなわない相手。気に入らない。納得がいかない。そんなやつをぶっ潰すためには、努力をしなければいけない。それが、嬉しい。
夏央は強いです。空手の黒帯を一蹴できるくらいには強い。そんな彼女が到底かなわない、遥か彼方にいる相手。そんなやつを倒すためには、どれだけ努力をすればいいのだろう。もしかしたら、その努力さえ報われないのかもしれない。普通の人なら悔しいに違いないそんなことさえ、夏央にとっては素敵なこと。それだけ彼女の「寂しさ」の根は深いのです。
基本の線は、この夏央対ゆず子だと言えるのですが、そこに、高校二年生にして全国空手選手権で個人組手、型ともに二連覇を果たすも、かつて夏央になめさせられた苦汁を忘れていない幼馴染、沢村早苗。ゆず子の友人であり、引退したての男性格闘家のあばらにミドル一発でひびを入れる程の猛者、リンジィ。その男性格闘家の弟子で、女子格闘界の雄(なんか妙な表現)、紺谷可鈴。可鈴がインストラクターとして働く道場で、夏央をライバル視する同じ高校一年生、桐戸ハルカ。そんな面々がいます。
彼女らもまた、それぞれの理由で、それぞれの思惑で戦っている。それらの流れが、女子格闘というマイナーなジャンルのスポーツゆえに起こる葛藤とともに混線していく。話は複雑に広がっていきそうです。
そして、殺伐とする話の中で一服の清涼剤になっているのが、夏央の友人である二ノ宮ケイです。バレー部である彼女は、夏央がわがままな理由で早々にバレー部を辞めていっても気にせず付き合うとってもいい子。良くも悪くもギラギラした人間がばかりの作中で、あっけらかんとした明るさを持っています。その軽さに夏央も毒気を抜かれ、彼女の前では普通の女子高生っぽくもなれる。毒気というか、ガス抜きかしらね。とまれ、彼女の存在は作中でのバランサーといえるでしょう。強い奴ら、やたらと情熱を燃やす奴らが多い中で、女子高生という身分を思い出させてくれるバランサー。おかげで、作品がだいぶ地に足つく印象になっています。


充実した人間が許せない夏央。その夏央が充実するのは、充実している人間をぶちのめしたとき。そのための努力は惜しまないし、とても楽しい。このアンバランスな人間性をどこまでソリッドに描き出せるか。それがこの作品の肝だとは思いますが、それを期待しながら見守っていくのに十分な作品です。才能というものの描き方の一つの形として、おすすめですぜい。




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