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漫画の話です。

プロも所詮はカネ!凡庸なプロ野球選手の悲哀「グラゼニ」の話

高卒でプロ野球入りした凡田夏之介は今年で八年目。左腕のサイドスローというちょっと変わった投げ方が武器の中継ぎ投手。年俸は1800万。26歳の年収1800万は立派なものだけれど、プロ野球選手の寿命は短い。30を越えて成績が振るわなければ、引退もちらつきだすし、怪我の不安も常につきまとう。引退後も野球に関わって満足に稼げる人なんて、ほんの一握り。厳しいプロの世界で、今日も凡田は胃を痛めながらマウンドに登る……

グラゼニ (1)

グラゼニ (1)

ということで、モーニングで連載中『グラゼニ』のレビューです。
この作品、何が素敵って、プロのスポーツ選手に周りの人間が抱くような華やかさや爽やかさ、ヒーロー性がまるでないことです。そもそも主人公が、プロの中でも一際輝くような才能溢れる人間でもなければ、ファンの人気を一身に集めるイケメンでもない。スタミナはないけど左腕のサイドスローという、中継ぎや左のワンポイントに最適の投手。まずもって完封を目指すことの出来ない、脇役体質なのです。けれど彼自身、きちんとそのことを自覚して、日々に臨みます。自分はヒーローになれっこない、と。
そんな凡田の特技は、各チームの選手の年俸を諳んじれること。なにしろ彼は

他人の年俸は案外気になるもんです いや“案外”どころか“かなり”…………ですか…?
というか正直に言いますと“ソレ”が全てでしょうか……!
所詮プロはカネです
自分より給料が高い選手は“上”に見て 低い選手は“下”に見てしまう!
それがぶっちゃけの“プロ”……! つーもんでして…
(1巻 p14,15)

と断言する人間です。まあ泥臭い。けれど、それは確実に一つの現実です。
子どもの頃はプロ野球選手に限らず、他のスポーツ選手、ミュージシャン、漫画家、小説家、俳優、芸人などを華やかな存在として、まるで天上人のように感じてもいましたが、歳を重ねてみれば、そんな華やかな存在などほんの一握り、その世界の多くの人間は日々の生活の糧というものに足をとられているし、一握りの人たちでさえ何かのアクシデントでいつそこから転げ落ちるのか、わかったものではないのです。一握りに入れなかった人たちは、なんとか今のポジションを死守しながら、あわよくば上を狙っている。一握りに我が身を捩じ込もうとしている。そんな現実を理解できるような歳になってしまいました。
それはともかく、他人の年俸を気にする凡田は、それだけ他人の評価、客観的な評価を気にしているということです。金額の多寡は残酷な数字ですから、年俸5000万の人間は4000万の人間より1000万分期待されている、というのが露骨に出ます(まあ第6話で語られているように、そう単純には言えないケースもありますが)。そして凡田は、その金額の差に頗る弱い。1800万の自分より年俸が少ない相手なら、現在4割越えの絶好調バッターだろうと堂々と投げ込めるのに、少しでも多い相手なら、現在どんなに絶不調だろうと途端に腕が縮こまってしまう。その器の小ささでは先発を任せられないとピッチングコーチからも言われるのですが、染み付いた性根はなかなか変えられないわけで。
年俸という他人からの評価と、プロにしがみついて金を稼がなければいけない、そしてプロ野球の選手生命は短いという泥臭い現実。

爽やかなハズの現役バリバリのスポーツ選手が 引退後の生活設計を考える……
ホント爽やかじゃないよね…!
でも…… それが“プロ”ということ――!
それがモチベーションになってがんばれるんだから――!
(1巻 p64)

コメディタッチながらも、テレビの向こう、グラウンドの向こうにいるヒーロー像としてのプロ野球選手ではなく、現実に生活をしなければいけない大人としての姿が、ずんと心に染み込むように描かれています。


タイトルの「グラゼニ」は、「グラウンドには銭が埋まっている」というフレーズから。相撲の世界でも「土俵には金が埋まっている」という同様の言葉がありますが、これは努力次第でいくらでも金が稼げるということ。裏を返せば努力しなければ金を稼げる=プロとしてやっていくことはできないということ。一握りではない凡田は、この言葉を自分に言い聞かせながらマウンドに登るのです。
また、一握りでないのは凡田だけではありません。凡田より年上で、家族がいて、年俸が低くて。そんな選手との対戦も無論のことあります。というか、そういう対戦のほうが多いくらいです。左のワンポイントリリーフで起用される凡田には、しばしば代打、あるいは代打の代打が送られますが、そのような選手もまた、一握りからは漏れた選手ばかりなのです。そんな両者の対決では、画面の向こうやスタジアムからの視線、すなわち己の力を振り絞って激突するヒーローショーの如きものとはまた違う、この一打席が来年の年俸に直結する泥臭い心裡模様が展開しているのです。


野球に限らず、プロスポーツとしての興行はリーグ戦が基本です。リーグ戦では、勝ったり負けたりが当たり前。年間で何十試合、百何十試合もやるプロリーグでは、全勝はまず期待できません。もちろん全勝する気概でチームは戦うのでしょうが、負けざるを得ない時にいかに負けるかというのは、プロにとっては大事なことです。第2話で凡田は、中継ぎ投手にも関わらず、ローテーションの谷間で先発を任されました。普段はせいぜい3回ほどしか投げない彼も、比較的球が走っていたその試合では4回2/3イニングまで投げ4失点。「勝ち」「負け」つかず。決していい成績ではありませんが、本人は至極満足し、監督やコーチも「谷間としちゃ上出来ですよ」「ああ 試合を壊さなかったからな……」とまずまずの評価。負けても仕方がない試合でも、いかにそれを後に引きずらせない内容にするか。そんな首脳陣の期待に凡田は応えたのです。
こんな感じのリーグ戦を戦うプロの姿ってことで、同じくモーニングで連載しているサッカー漫画『GIANT KILLING』と通じるところがあるように思えます。プロスポーツ選手には、お銭を貰ってスポーツをしている姿を見せているという責任があり、自分の実力次第で年俸が上がりも首を切られるもするというプレッシャーがあり、チームメイトでさえ限られたポジションを賭けて戦うライバルであるという弱肉強食の世界があり、興行である以上母体集団の利益のために理不尽な仕打ちを受けざるを得ない時もあり。もっと細かく、先発完投型の投手ならではの喜怒哀楽。同期入団や、同じ出身の先輩後輩に感じる連帯感。怪我をさせてしまった人間に感じる責任。まさに「プロ」選手としての悲哀を、才能も爽やかさもない人間の視点から描くので、物悲しくも面白い。
GIANT KILLING』のような、まさにスポーツといった感じのカタルシスがある作品とは趣が違いますが、人間、というか社会人としてのプロ選手を泥臭く描いたこいつはかなりお薦めです。



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