私の高校生活を、青春を、すべてをかけた高校陸上は、あの夏に幻となった。
女子高生チハヤのインターハイは、新型コロナのために露と消えた。それから8年。ニート生活におぼれていたチハヤは、あの夏に雌雄を決するはずだったライバルのミオと偶然再会し、もう一度彼女と勝負をすることになる。幻になったあの夏からもう一度始めるために……
人生につまずきそのままうずくまり続けてしまった人、つまずいたけどすぐに起き上がって歩き出した人、歩き出したけどつまずいたときにできた傷がずっと癒えなかった人。本作は、青春真っただ中に新型コロナという世界的な災禍を食らった少女たちのその後、なかんずく、うずくまり続けた彼女が再び歩き出す物語です。
世界中で猖獗を極めた新型コロナ。大なり小なり、その影響から逃れられた人はいません。本作の主人公チハヤもその一人。彼女がそれまでの人生の集大成とした高3のインターハイは、時あたかも2020年、新型コロナの直撃で中止となってしまいました。
幼少期から足の速さだけが取り柄だったチハヤでしたが、そんな彼女に最初の挫折を味わわせたのが、中学校で出会ったミオでした。
チハヤより、勉強ができて、人当たりがよくて、顔がよくて、そしてなにより足が速い。他の何で誰に負けても「でも私の方が足速いしな」と心の平安を保っていたチハヤにとって、ミオの存在はアイデンティティの危機に直結し、あわや引きこもりになりかけましたが、ミオからかけられた敵視と賞賛が相半ばする言葉に奮起し、幽霊部員だった陸上部に復帰、必死のトレーニングをすることで、中3のときには全中で100m全国2位の快挙に輝きました。
しかし、100m全国1位は当のミオ。結局中学時代、彼女に勝てなかったチハヤですが、ミオは終生のライバルであると同時に、最高のチームメイト。彼女とも組んだ400mリレーでは、全国1位の栄冠を勝ち取ったのでした。
高校では上京することを決意したミオに、チハヤは高3のインターハイで雪辱を果たすことを宣言。その言葉をかなえるために、努力に努力を重ね、これなら今度こそミオに勝てると確信したところでの、インターハイ中止。これにチハヤのメンタルは耐えられませんでした。成長しても足の速さ以外に大した自己肯定を得られなかった彼女。自分の足の速さの集大成となったはずのインターハイの中止は、ずっと体重を預けていた支柱をすかされたようなもので、そのまま心は大転倒。立ち上がることのできないまま、なんとか卒業だけはしたものの、ニート生活に突入してしまったのでした。
それから8年(つまり2025年の今から3年後の少し先の未来)。いまだニート生活に喘ぐチハヤを尻目に、かつてのチームメイトはそれなりに社会でうまくやっていました。子供の頃から続けていたピアノでレッスンコーチをしていたり、就職した広告会社で過大な業務量に青息吐息だったり、結婚して子供を産んで今は楽しく地域の陸上クラブに所属していたり。
自分がどうしようもないときに、社会とうまく折り合いをつけていられるかつての友人を見るのはとても辛いもの。チハヤは友人から連絡が来ても、ろくすっぽ返事もできない状況でした。
しかし、母親から無理やりハローワークに連れていかれ、胸を張れるものが何もない自分を改めて思い知らされ、絶望したまま就いた帰路で出会ったのが親友のあやせ。そして、かつてのライバルであるミオだったのです。
大学卒業後、地元に戻ってお天気キャスターとしてお茶の間の人気者になっているミオ。連絡はとらずとも、毎日のようにテレビで見る彼女の姿はチハヤの劣等感を刺激し続けていたのですが、彼女もまた、チハヤと決着をつけられなかったことがとげになって、ずっと心に刺さったままだったのです。
再会した居酒屋で大騒ぎをした後に、なぜか酔っぱらった状態で短距離走をすることに。かたや8年間のニート生活、かたや大学までは陸上をやっていたものの就職後はすっかりご無沙汰になりその日もパンプスをはいた小綺麗な格好、しかも両者には酩酊という強烈なデバフがかかっていたわけで。このかけっこはミオの勝利に終わったものの、そんな勝負ともいえない勝負では、積年の二人の鬱憤はまるで晴れず、改めて、8年前の夏の戦いをもう一度やろう、ということになるのでした。
とまあ、長々と書きましたがこれが始まり。タイトルのとおり、チハヤが再び歩き出す、チハヤのリスタートの物語です(読むまでは『チハヤリ/スタート』だとばかり思っていて、「チハヤリ」ってなんだろうと悩んでいたのはここだけの話)。
いやホント、他の皆が歩いているのに、自分だけ立ち止まってしまった時の心の苦しさってきっついんですよね……。私にも思い当たるところはあるのですが、焦燥とか、羨望とか、悔恨とか、諦念とか、無力感とか、いろんな負の感情がごっちゃになって、なんとかもう一度歩き出そうとしても、それらに足を取られてうまく動けない。動けないと、またその感情が膨れ上がっていく。そしてまた動きづらくなっていくという悪循環。それを断ち切るには自分だけの力というのはなかなか難しくて、運というか、それが意図的なものであれ偶然のものであれ、外部からのなんらかの力が必要だったりします。
チハヤも再び歩き出す気になれたのは、無理くりハローワークに連れ出した母親と、偶然出会ったあやせ、そしてミオのおかげでした。
歩き出そうとしても、8年の間にまとわりついた心の重しは振りほどきがたく、その歩みを止めようと何度も邪魔をしてくるのですが、そのたびに周囲の助けと、8年前に決着をつけられなかった悔しさをばねにして、チハヤはまた足を動かすのです。
この物語に、派手な出来事はありません。一度陸上から離れた少女が日本新記録を出したり、あるいは新型コロナのない世界線に移動したりといったことはない。ただ、かつて挫折した少女が、あの夏に忘れてきた勝負をやりなおして、もう一度歩きだす物語。かつての仲間達と、もう一度走りだすだけの物語。誰にでもありうる、誰にでもありえた物語。
そんな、ある意味でありふれた物語を、魅力的なキャラクター達が走り回ります。彼女らの魅力とは、その存在感のちょうどよさというか、等身大より少しだけ大きいキャラの在り様です。
たとえば主人公のチハヤ。インターハイに出られなくて引きこった彼女の苦しみや、その苦しみから抜け出せない辛さ、現状に対する他責的とさえ言える物言い、そしてあの夏にかけていた強い思いは、誰もが共感できそうに描かれながら、物語的を盛り上げられる過剰さが少しだけ付け加えられています。
この過剰さのさじ加減。一振りの誇張。それらが、チハヤや他のキャラクターが抱えた悩みにシリアスさを損なわないまま、作品全体にユーモラスな軽やかさを与えているのです。
また、軽やかさと言えば、チハヤたちが走るその姿。作中に描かれる彼女たちの運動シーンは、跳ぶようで、飛ぶようで、まるで重力のくびきから放たれたようで、とても軽やか。「速く走る」という行為の、プリミティブな楽しさと力強さが伝わってきます。
常々私は、コンマ以下の秒数、ほんの数センチの後先で決まる勝負が、たかだか十数秒の間に行われる100m走というのは、競技として非常にシリアスなものだと思ってるので、一度は生で見てみたい競技です。テレビで見る分にはそこまでではなくとも、生で見るとその異常な、自分の常識から大きく外れた速さは度肝を抜いてくれると思うんですよね。そんな「速さ」の描写がとてもよいのです。
チハヤが走る前に準備体操的にする、その場での軽いジャンプとかも、すごく軽々としてていいんですよね。
果たしてチハヤとミオの勝負の行方は。チハヤはあの夏をやり直して、もう一度前に進めるのか。
最新刊である3巻が発売されたばかりである本作、今、是非に読んでほしい一冊です。
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