ポンコツ山田.com

漫画の話です。

そもそも「オタク」と「ライトオタク」って質的に別物じゃねという話

ちょっと昨日の記事についての補足をば。
「真に個人的な言葉」を吐くオタクと交話的価値としてのライトオタクの話 - ポンコツ山田.com
一応記事中では元ネタの「痛いニュース」に則りオタク/ライトオタクと分けましたが、私はそもそもライトオタクって言葉が変だと思ってます。ライトオタクは「ライトなオタク」ではなく、「ライトオタク」というカテゴリーであって、「オタク」とは別物です。
改めて簡潔に私の意見での「オタク」像を言えば、ある分野について世論には回収できない意見を持つもの、一家言あるものであって、「オタク」か否かはその意見があるか否か。その意見の良し悪しは、意見があるという前提をクリアしての話なのです。意見を持たない人間は非「オタク」であるだけで、そこにライトもヘヴィもありません。
痛いニュース」での「ライトオタク」は、そもそも「オタク」を、私の考えとは違い、単純にある分野、特にアニメや漫画について興味がある人間として括っているので、その興味の程度に応じて、そんなに興味がない人にライトという形容詞をつけているのです(興味が強いほうの形容詞は、「ガチ」ですかね)。そこには一家言の有無は関係ない。
昨日の記事ではその違いを明確に区別していなかったので、ちょっとごっちゃな文章になってしまいました。


あと昨日の記事では、「ライトオタク」が、ある分野に対する考え・情報を「世論」レベルで持つことで、交話的コミュニケーションを立ち上げるよすがとすると書いたのですが、「オタク」がその対比になってしまっているので、「オタク」は交話的価値を越えた意見(世論に回収できない意見)でもってコミュニケーションを図ろうとする、というように読めるものになってしまっていました。
ですが、私が考えるに「オタク」の持つ一家言は、第一義にコミュニケーションのためにあるわけではありません。その分野についての情報・考えを持つことこそなによりの愉悦であり、それをだれかと共有することは副次的なものだと思うのです。つまり、基本的には、最初から他人とある分野について盛り上がりたいがために耽溺するものではないですよ、と。もちろん、先人の「オタク」と盛り上がりたいからその分野について自分も「オタク」になる(=一家言を持つ)というのはありうるものですが、それはレアなケースじゃないかと思います。
結果的にコミュニケーションツールになりはしても、コミュニケーションツールの結果として一家言を持つに到るのは、あまり、ない。
このように、コミュニケーションが第一義である「ライトオタク」と、それが副次的である「オタク」という相違点を考えても、「ライトオタク」と「オタク」は地続きではない質的に違う存在だと言えるでしょう。
ああ、当然ながら、コミュニケーションツールにするなということではないですよ、念のため。


さらにちょっと別視点のことを言えば、「オタク」を自称する「オタク」(私が言う意味での)ってあんまりいないと思うんですよ。一家言を持つ人って、その意見が洗練されればされるほど、自分の意見の限界もわかってくるわけですから、その分謙虚になると思うんですね。自分の意見はその分野内で限定的にしか適用できないものであり、もっと包括的な、あるいはもっと違った視点からの意見もあるはずだ、と。そして、そういう人の意見こそ、掬すべきものであると思います。
その意味じゃ、「オタク」を自称する人は、謙虚さを越えてなお自信がもてるくらいに大家であるか、さもなきゃ「オタク」(何度も言いますが、私の使う意味での)とは言えない程度の「オタク」、すなわち自分が持ってると思ってる一家言が世論とさして変わらないくらいの人か、ってなとこじゃないでしょうか。


読んでいただければわかるように、昨日と今日の記事で私は「オタク」にかなり肯定的なニュアンスをつけていますが、現実的には「オタク」という言葉になんぼかネガティブなニュアンスがつけられているのは否めません。つーか、実際に自分で誰かに向かって「オタク」という言葉を口に出したとしたら、今まで述べたような丸々肯定的な意味だけではないでしょう。どうしても、戯画的な「オタク」像も含まれるような、少しく嘲笑的・侮蔑的なニュアンスも入ってしまいます。ま、冗談以外ではまず言いませんけど。
昨日と今日の記事は、「オタク」とはなんぞや、という年来の私の疑問に対する試論ですので、「オタク」の一面的なところしか扱っていませんし、これが「オタク」の全てだと思ってもいません。
いやあ、「オタク」ってなんでしょうね。




お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
一言コメントがある方も、こちらからお気軽にどうぞ。