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漫画の話です。

菌の陰に隠れた「もやしもん」の青臭さ

以前の記事で、こんなことを書きました。

生々しい話が、作品の「漫画」部分に出てきますが、それはあくまで「漫画」部分の補強、あるいは面白みの独特な掘り下げであって、この作品の面白さは「漫画」部分と同等、あるいはそれ以上に、主人公たちの「努力・友情・勝利」(そういや「ラッキーマン」にいましたね、そんな三兄弟)のそれこそジャンプ的な王道物語にあると思うんですよ。

いい意味で裏切られた「バクマン。」のジャンプ精神について - ポンコツ山田.com
クローズアップされがちな部分は本筋ではなく、それの陰に(意図的かどうかはわかりませんが)隠れながらも熱い部分が物語の根っこにはあるって話です。
で、それを書いてから思ったのが、「そういや『もやしもん』もその類じゃないのかな」ってことなんですよね。
この作品も、「バクマン。」が「漫画業界」のイメージが先行する作品であるように、「菌」のイメージが先行する作品だと思われます。アニメ化の際には菌の表現に力を入れたり、上野の国立科学博物館での「菌類のふしぎ きのことカビと仲間たち」展とコラボしたりと、メディアミックの展開を見てもそれは言えそうです。
で、目を違う方に向けてみると、3巻第30話の沢木のキャラ紹介に「ある書評で『主人公の能力を活かしきれていない』と言われましたが」などと書かれたりしていて、沢木の「菌が見える」という能力がクローズアップされることはそれほどありません。なくはないんですけど。
そこらへんに注意して読み返してみれば、沢木の能力ってストーリーの上ではホントにたいした役に立ってないんですよね。ほんのきっかけ程度というか、プラスアルファくらいにしかなっていない。作品全体での菌含有度と比較して考えれば、相当のアンバランスです。
そこで6巻71話の欄外の作品説明を見てみれば、さらっと「ええストーリー漫画ですから」と書いてある。つまりはそういうことじゃないかと。「もやしもん」も菌漫画と見せかけた群像劇なんじゃないかと。
「カタリベ」や「週刊石川雅之」を読んだ時に思いましたが、石川先生はけっこう剥きだしの「作者の言いたいこと」を描くような気がします。悪い意味でなく、ソフィスティケイトしていないキャラの感情というか、作者自身が狙ったところより斜め上に飛び出る「青臭さ」というか。
もやしもん」でも、4巻の蛍と長谷川とか、6巻69話の長谷川とか、7巻後半の及川とか、けっこうズバリとキャラの「地肌」が見えてる感じがあるんですよね。それをそこまで描いちゃうと、好き嫌いの分かれ目が大きくなっちゃわね?的な感情の直截さがあるとでも言いますか。
菌のうんちく部分が詳細なので陰に隠れやすいのですが、「もやしもん」も実はかなり熱い漫画だと思うのですよ。
先に引用した過去記事の中で、こんなことも書いてあります。

「王道」部分を濃く描きながらも、「漫画」部分のディティールが細かいのが、この作品の面白さを重層的なものにしていると思います。一粒で二度美味しいみたいな。

「王道」を「若者の葛藤」、「漫画」を「菌」に換えれば、そっくり「もやしもん」にあてはまる文章です。
石川先生も、水上悟志先生や石黒正数先生に通ずる熱さがあると私は思います。








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