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漫画の話です。

「もやしもん」とただのうんちく漫画を隔てる一線の話

もやしもん(8) (イブニングKC)

もやしもん(8) (イブニングKC)

加納はなちゃんがかわいいです。小さくて眼鏡でがんばり屋さんて素敵ですよね。それでほどよく歳がいっているのだからもうたまりません。是非準レギュラーに昇格を。


とまあ時候の挨拶から入りましたが、「もやしもん」8巻です。
今回は、存在感はあるくせに実は目立った活躍をしていなかった武藤に一冊を通じてスポットが当たっています。学生のレギュラーメンバーを考えれば、沢木は菌見えなくなる騒動、川浜はその際に沢木をかばって、美里はフランス編の長谷川説得、及川は醗酵蔵の秘密を巡って、長谷川は結婚騒動を中心にと、それなりに内面(というか、ガッツのあるところ)を描かれる機会があったのですが、武藤はその辺が意外に薄い。美人だけどざっぱな性格ってことで、キャラは立っているのだけどね。ああ、あとは蛍も直に内面性を焙り出すシーンはないわな。女装なんちゅうファクターがでかすぎて、他の事に目がいかないようになっているのか。読み手も作中キャラクターも。


8巻をストーリーの流れでざっくり見てみると、序盤で武藤を落として中盤以降で持ち上げて。そこに真摯に頑張っているはなちゃんを、序盤では頭でっかちな武藤との落差の比較対照として、中盤以降は武藤と共に頑張りが昇華されるヒロインとして、一冊通じてのストーリーの芯として通しておく。そんな感じ。
びっくりするほど主人公の活躍が少ないのはいつものこととして、武藤株の乱高下が激しかった巻です(はなちゃんはずっと高騰中)。


で、本題のタイトルの件です。
もやしもん」にはうんちくが大量にばら撒かれているのはご存知のとおりですが、そのうんちくがイデオロギッシュなものに結びつかず、「物語」にきちんと貢献していると思うんですよ。で、それをどうやっているかというと、「もやしもん」では物語の展開に止揚wikipedia:止揚)を多用していると思うんです。これが、普通のうんちく漫画と違うところ。
多くのうんちく漫画は
「これが最高級の○○だ!」「そんなものをありがたがっているようじゃどうしようもないな。明日同じ時間にここに来てくれ。俺がもっと美味しい○○を用意してやるよ」(中略)「ま、まさかこんな○○があったとは!」
という具合に、ナニしんぼかはよくわかりませんが、ある一定の価値観に相手がひれ伏すというシチュエーションが多用されると思います。あるいは、困ったことはなんでも料理で解決、みたいな。あ、これも同じか。
その意味で、うんちく漫画はけっこうイデオロギッシュになりがち、つまり、作者の意見が無謬で正当であると押し付けがちなのですが、「もやしもん」はそこらへんをうまいこと共存させています。共存というか、絶対的な正しさを作らないというか。
具体的には、作り手の立場として商業的なものに否定的で日本酒の未来を憂う蛍と、研究者として昔ながらのやり方に敬意を払いつつも先進性や効率を追い求めていく樹教授。酒好きとして色々と酒のことを考える武藤に、サービス業として独自の価値観を持つ亜矢。8巻は彼女らの止揚がメインですね。
川浜や美里もそれぞれの分野では一家言持つ男ですし、沢木は菌の立場と言う独自にも程があるスタンスです。及川は醗酵物についてのスタンスは明確ではありませんが、それが逆に醗酵蔵メンバーの中では弱い、一般的な認識というものを吹き込むことができます。
このように、ある理想像に対してのキャラクターたちの考えが幅広いグラデーションを描いているのです。
作品全体としては、樹教授のスタンスが最も根底にあるのかもしれませんが、樹教授は基本的の個々の考え方を否定するようなことはせず、意見をとりあえず呑みこむことができます*1。教育者として素晴らしいスタンスですね。
各々の意見が各々の中にあり、何かのきっかけを通じてそれらが角逐しあって、最終的に一つの別の形をとって結末をもたらす。
誰の考えが勝った負けたではなくて、複数の意見が競合し妥協して生まれた、その場のためのオンリーワンの結末なのです。それが押し付けがましいイデオロギー止揚の違い。
それがよっぽど破壊的なものでなければ、一つの意見がそう簡単に捨て置かれるべきではありません。全てをフォローしうる万能の意見などあるはずもなく、その場その場で状況にあわせて使い物になるように調節していくのが、現実的かつ実際的な道筋。声のでかいやつが勝っていいことが起こるためしがない。
イデオロギーありきで物語を作ると、どうしても不自然な話になりがちです。不自然なのがいけないとは言わない。それをカヴァーできるだけの面白さがあれば。魅力があれば。
面白けりゃいいんだといってしまえば身も蓋もないのですが、イデオロギーが先鋭化してしまうとその面白さに届くのが難しくなるって事です。だから、程々が大事。バランスが大事。
もやしもん」である種理想を追い求めるがゆえの意見の角逐が起こるのは、登場人物たちの若さと言うものと無縁ではないでしょうし、それは以前書いた記事(「もやしもん」の、青春劇としての若者/老人、世界/外部の構造について - ポンコツ山田.com)ともつながりのあることです。
若いね。青臭いね。
在学中はアホみたいにサークルばっかやってたから、こんな学生生活には憧れるところがありますな。
なにはともあれ、はなちゃん再登場希望。






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*1:とはいえ、無条件全てを受け入れるわけではないし、ダメなものにはダメと言います。逆に、相手を選ばず自説を全て開陳することもしません。それら諸々は、7巻の終盤で象徴的に表されています