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漫画の話です。

終わらない物語の終わり

好きな作品がずっと続いてほしいと思うことは人情ですが、それとは別の感情で、最終回を見てみたい、という気持ちは理解されるものでしょうか。それも、終わり方が見えない作品、どのようにでも終われる作品の最終回を見てみたいという気持ちは。


例えば「ワンピース」。この作品には、「『ワンピース』を見つける=海賊王になる」という目的が、当初から確固としてあります。それゆえ、打ち切りの憂き目に遭わなければ(この分ならまあないでしょうが。むしろ過剰な延命の心配をした方がよさそうです)、海賊王になる、あるいはそれへのアンチテーゼとなるようなエンディングを見ることができるでしょう。どのようなエンディングになるにせよ、それは確実に当初の目的に絡んだものとなるはずです。昨今のジャンプ作品としては珍しく、当初からの主題がぶれていない作品だと言えるでしょう。
このタイプの作品は、エンディングはある種の答え、目的(主題)に応答するなにがしかであるので、その応答の仕方で最終回の評価は分かれます。それは同時に、最終回に至るまでの過程が重要視されるということで、描かれる物語の筋道なしに納得の行く最終回にはなりません。それゆえ、「最終回を早くみたい」という一足飛びの欲望は起こらず、地続きの道の先にあるそれを、連載と同時に心待ちにするしかありません。


ですが、世の中にはそのようなタイプでない作品もあります。つまり、当初から確たる目的を必要としていなかった作品です。
例えば、先月最終巻が発売された施川ユウキ先生の「サナギさん」なんかはその一つです。ストーリーがあるわけでもなく、目的があるわけでもなく、群像劇でもって4コマ漫画を展開していく。純粋なギャグ漫画であった「サナギさん」は、その目的のなさゆえに最終回が皆目見当がつかないものでしたが、施川先生は見事に「終わり」を感じさせる最終回で有終の美を飾りました。
そもそも純粋なギャグ漫画は多かれ少なかれそういうもので、最終回をどうするかは強く作者の裁量に委ねられます。ストーリー上の要請がないからです。「マサルさん」なんか破天荒に突き抜けていきましたし、「レベルE」も「なるほどそうきたか」という感じの終わりでした。
明確な目的(ストーリー)がないがゆえに、次回と最終回が容易に等価になるこの手のタイプでは、やはり「最終回を見たい」という欲望は薄くなります。作者のセンスでどのように作品を終わらせるのかということは気になりますが、それは、作品の終わり方でなく、作者の手際が主眼になっています。「作者が」どのように終わらせるかであり、「作品が」どのように終わるかではないのです。


でも、さらにそうでない作品もあります。ストーリーも目的もないけど、キャラが成長する作品です。
ギャグ漫画はギャグが主題です。キャラが成長(変化)することはしても、それをメインに楽しむものではありません。キャラの変化でネタに広がりを見せることがあっても、それは副次的な効果に過ぎないのです。
ですが、例えばむんこ先生の「らいか・デイズ」なんかどうでしょうか。この作品は磯野家時空の中の繰り返す一年が舞台ですが、キャラは少しずつ成長し、キャラ間の関係性も変化しています。この作品の楽しみは、コメディ部分もそうですが、キャラ間の関係のニヤニヤ部分も大きなウェイトを占めているんです。
そんな作品の最終回は何を意味するか。そこが変化の終着点だということです。それ以上私たちはキャラの変化を楽しめないということです。
ですが、これ以上その作品が進展しないという終着点を考えると同時に、相反する感情も沸き起こるのです。つまり、このキャラたちはどこまで変化するのか。どの段階でもって大団円となすのか。その状況を見てみたい。そうも思うのです。
ずっと続くのを見ていたいけど、どう終わるのかも見てみたい。絶対に同時にかなえられることのない二律背反ですが、「らいか・デイズ」を読んでいて、その感覚を抑えることができないのです。
おそらく「らいか・デイズ」の終わりは、小学校の卒業と軌を同じくするでしょう。閉じられた磯野家時空から抜け出ることで、大団円を迎えると思います。そのとき来華と竹田はどういう関係なのか。マッキーと紺太はどうなっているのか。愛美と六広は?東野先生と旦那とその子どもは?
見たいんです。読みたいんです。知りたいんです。でもそれは、もう「らいかワールド」をそれ以上楽しむことができないということとイコールでもあるんです。


このジリジリするジレンマは非常に困る。なまじ連載中だから困る。いっそ完結してから知れば、こんな気持ちにはならなかったものを。むんこ先生は罪な人。


余談ですが、「だって愛してる」や「まい・ほーむ」では、おぼろげながらゴールがあるので、そこまでこういう気持ちにはならないようです。前者は出産、後者は母の帰還が物語の区切りとなるでしょう。「メメ子ちゃん」も目的のない物語ですけど、主役が大人という点がいまいち心を掻き立てない理由かもしれません。やはり、主役が子どもゆえの未成熟さ、不安定さが、「見守っていたいけどどうなるかも見たい」という相反する感情を喚起するのかもしれません。








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