- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2008/11/28
- メディア: コミック
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将棋漫画とは言っても、「将棋の世界を題材にした人間ドラマ」という方が正確なので、メインはあくまで人間です(現実のプロ棋士を監修に迎えているので、無論棋譜などは正確ですが)。家族を早くに亡くした主人公の高校生プロ棋士・桐山零、彼を巡る物語なのです。
家族を亡くした後に引き取られていった家の義理の姉との、愛憎入り混じる確執。家をでて始めた一人暮らしで知り合った川本家三姉妹との、頑なだった心が少しずつほぐれていく交流。実は彼の前でだけでは感情を露わにできる、子どもの頃からのライバルだった二階堂晴信との対戦。そこらへんが、物語の展開の軸ですか。
この設定を考えればすぐに察せるところですが、主人公の零君は、端的に言って不幸なわけです。幼い時に両親と妹を事故で亡くし、引き取られた家では、なまじ将棋が強かったためにその家庭をギクシャクさせてしまい、そこを飛び出してわずか17歳で一人暮らしを始めるんですから。もともと社交性の高い子どもではなかったところに、他人の家庭に放り込まれて、その上その家庭の絆を危ういところまで追い込んでしまう(この状況を指して、「カッコーの托卵」に例えています)。そんな彼の心の回復が、この作品のテーマです。
「優しさ」について。
まあなんというか、二巻現在まででは非常にセンシティブな展開が目白押しなんですよ。零君の心の傷を生々しく、ウエットな言葉と描写で描き出しています。第四話「橋の向こう」ではこんな台詞があります。
きっと まだ
傷は 生のまま
乾かずに この家に横たわっている(3月のライオン 一巻 p82)
この台詞は、零君が川本家について思ったものですが、彼自身にもそっくりそのまま当てはまるものです。亡くした家族、崩してしまった家族についての傷は、彼の中で癒えないままじくじくと血がにじみ続けています。
二巻までの21話。その内の半分ほどのラストシーンは、彼のニヒリズム的な悲哀と絶望を回想したり吐き出したりしているものです(もう半分は、逆に彼の心を癒すような暖かさでもって終わっていますが)。特にそれぞれの巻の最後の話は、大ゴマ見開きを使って零君の感情が奔流となってあふれ出しています。一巻では感謝と哀惜が、二巻では悲痛な慟哭と無力感が。
言ってしまえば、この時点でのこの作品のウエイトは、まだ「癒えていないもの」の方が大きいわけですよ。私としては、それにもかかわらず裏表紙の梗概に「優しい物語」の言葉を使う編集サイドに、かなりのセンスを感じざるを得ない。この書き方だと皮肉っぽいけど、そういうんじゃなくて、本当に。
まあ正直に言えば、この文章全体はそんな上手いものではないなとは思っています。もちろん文字数制限がある上である程度の概略を書かなきゃなんですからその難易度ったらないですけど、それでもこういう書き方をしてしまうとなんだか凄くチープなものに思えてしまいます。「確かにそうなんだろうけど、それだけでしかないの?」みたいな。
でも、最後の「優しい物語」の言葉は、とてもいい。それまでの文章をもうちょっとまろやかなものにしてくれればとは思うけど、それはそれとして、いい。
こんなセンシティブな厳しさ・痛さが露骨に出ている作品であっても、それでも「優しさはある」とするその姿勢は、なんだかそれこそが「優しさ」です。
裏表紙のこの言葉に気づいたとき、「優しさってなんだ?」とふと思いました。「この作品の優しさってなんだ?」
傷ついたそれぞれが、身を寄せ合って傷を舐めあうことなんでしょうか。適度な距離を保って、立ち直るのを見守ることなんでしょうか。相手をそれ以上傷つけてしまうことを恐れず、積極的に関わっていくことなんでしょうか。
どれも「3月のライオン」の中で一度は出てきた描写です。どれかが優しさなんでしょうか。どれもが優しさなんでしょうか。後者だとしたら、それらをより高次でまとめる抽象的な何かがあるはずですが、それは一体なんなのでしょうか。
きっとこの作品は、零君の、そして他のキャラの傷を癒す作品です。そして同時に、癒えていく段階で現れる「優しさ」を描いていく作品でもあると思うのです。私にはまだこの「優しさ」を言葉にすることができません。この作品の結末を見ることで、「優しさとはなにか」ということについて一つの形を見つけられたらいいなと思います。
タイトルについて。
この作品のタイトル「3月のライオン」はなんなんだろ、特に「ライオンて」とずっと思っていましたが、二巻のコラムでちょっとした示唆がありました。
順位戦は六月に始まり月一局ずつ、三月までかけてやります。3月の最終局に昇級(降級)をかけた棋士は、この漫画のタイトル通り、ライオンになるのです。
(二巻 p122)
棋士をライオンとしていいのなら、ピンとくるのはセルバンテスの作品「ドン・キホーテ」の主人公の二つ名「ライオンの騎士」です。「ライオンの騎士」ならぬ「ライオンの棋士」ですか。「ドン・キホーテ」と言えばよく「愚か者」の代名詞のように使われる言葉ですよね。
さて、「三月」の方の解釈は、「三月」+「動物名」ということで、「不思議の国のアリス」の"the March Hare"、「三月ウサギ」が思い浮かびます。"A Mad Tea-party"の場面で登場するこのキャラですが、英語圏には「三月のウサギのように気が狂っている(Mad as a March hare)」という慣用句がありまして、この「三月ウサギ」もまた、「愚か者」のニュアンスをもった言葉なのです。
はてさて、この符合は偶然なのか、それとも……
今後の展開に、そういう意味でも期待します。
余談ですが、「ひなちゃんLOVE」の私はダメな大人でしょうか。表紙絵の下駄のひなちゃんがかわいくてしかたありません。でも、二巻の裏表紙のひなちゃんは頭が高くてなんか別人だよね。
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