「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」
幕末の志士、高杉晋作の手によるとされる都都逸。
「三千世界」、「鴉」、「殺し」と仰々しい単語が上の七・七に並ぶが、下の七・五は艶っぽくまとめられている。
この唄の大意は、遊女の本命の男への想いだけれど、ではそれぞれの言葉はどのような意味を有しているのか、これからご説明。
まずは「三千世界」。
これは仏教用語で、仏教の世界観で中心に位置している須弥山、その周りにある四つの大陸・四大州(南瞻部洲【なんせんぶしゅう】、東勝身洲【とうしょうしんしゅう】、西牛貨洲【さいごけしゅう】、北俱盧洲【ほっくるしゅう】の四つであり、南瞻部洲に人間が住んでいるとされている)、その周りの九山八海、上下では、上は三界(欲界・色界・無色界の三つで、凡夫が輪廻を繰り返す世界を三つに分けたもの。「三界に家なし」の語はここから来た)の色界の中の梵世から、下は大地の下の風輪(世界は、下から風輪、水輪、金輪の順にウェディングケーキ状に重なっていて、金輪の上に須弥山や四大州などが乗っている。ちなみに金輪と大地が接していることから、物事の最後のギリギリの際の意の「金輪際」の語源となっている。図的にわかりやすいのはこちら)まで、これらを包含して一つの「世界」としています。
そして、世界が千個集まって小世界、小世界が千個集まって中世界、中世界が千個集まって大世界。で、大世界は大・中・小の3つの千世界から成るので「三千大千世界」とも呼ばれ、それを略して「三千世界」と呼ばれる存在があるわけです(ですから、ここで言う三千は、千の三倍ではなく、千の三乗、つまり十億を意味しています)。
これが「三千世界」の薀蓄つきの概略ですが、簡潔すぎるくらいに簡潔に言えば「ありとあらゆる世界中」くらいでいいと思います。
続いては「鴉を殺し」の意味。
なかなか物騒な響きですが、これには遊女の間で使われていた起請文なるものが関係しています。
この起請文、簡単に言えば誓約書で、約束や契約を破らないことを神に誓うために使った用紙で、自分用、相手用、神様用と、三枚一組になっています。
起請文は牛王宝印(ごおうほういん)が捺された護符の裏に書かれましたが、特にご利益があると考えられていたのが、紀州の熊野神社のもの。その熊野神社の神の遣いとされていたのが鴉で、熊野の勧進比丘尼(僧侶による庶民救済活動である勧進に加わっていた尼はこう呼ばれていた)が祈念をこめて作る起請文に書いた誓いを破ると、神の使姫たる鴉が(起請文は三枚一組なので、一回破るごとに一枚につき一匹、都合で三匹)死ぬとされたわけです。
遊女は、馴染みの客が本命であるということを証し立てるために起請文を書くわけですが、なにしろプロである遊女、金づると見た相手には馴染みとなってもらうために容赦なく起請文をばら撒きます。起請文を書いたにもかかわらず他の男と寝れば、そのたびに鴉が三匹×起請文の数だけ死んでしまうのです(そこらへんの話を滑稽に描いたもので、落語の「三枚起請」があります)。
で、この二つを踏まえて「三千世界の鴉を殺し」「ぬしと朝寝がしてみたい」を考えてみると、
「今まで数限りない男と起請文を書いてきたあたし(遊女)が貴方(=ぬし)と寝ることで、世界中の鴉が死んでしまうことになってしまおうとも、それでも今だけは貴方と一緒に朝まで寝ていたい」
という解釈になるわけです。
字面だけ眺めれば、仰々しさと艶っぽさとちょっとしたお間抜けな雰囲気が漂っているような唄ですが、どうして相当に情熱的な唄なのです。七七七五のわずか二十六文字にここまで強い意味を持たせるのですから、言葉とそれに潜む背景というのは非常に興味深いものですね。
ちなみに、「鴉は朝早くから鳴いて安眠を邪魔するので、そんな害獣を排除した上でゆっくり惰眠を貪りたい」というあまり艶っぽくない解釈もあるようですが、それは上記の言葉の背景を知らないための誤訳であるようです。
ま、歴史や文化的背景は知っておいたほうが世の中が面白く読み取れるものだなということで。
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