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漫画の話です。

「H×H」に見るマクガフィン

HUNTER X HUNTER23 (ジャンプ・コミックス)

HUNTER X HUNTER23 (ジャンプ・コミックス)

マクガフィン」という概念をご存知でしょうか?

一応Wikipediaはてなダイアリーには載っているのですが、これだといまいちピンとこない説明かもしれません。
とはいえそれも無理からぬ話で、作品中で実体が存在しない(受け手に提示されない)にも関わらず、存在を前提に話が進んでいってしまうのですから、それを抽象的、帰納的に取り出しても曖昧模糊とした言葉にならざるを得ません。

ここは私の敬愛する内田樹先生の言葉を借りて、「機能する無意味」、あるいは「無意味であるがゆえに機能するもの」と言っておきましょう。
つまり、その存在が物語を駆動してはいるけれど、実体に意味は無いということ。
あるいは、その存在に実体が付随していないがために、物語が駆動すること。
その存在の実体が重要なのではなく、その存在があるとされていることが重要なのだということ。
そのような概念存在としての「マクガフィン」としておきたいと思います。
ま、この定義もむしろ抽象性に加速したものになってしまっていますが、上記の例とあわせることでなんとなくつかめるでしょうか。
(ちなみに、内田先生風に定義すると、Wikiで挙げられている例はいくらかそぐわないものがでてきます。例えば「金田一少年の事件簿」の茅刑事が持っている箱などは、別にそれを中心に物語が展開するわけではないので、ここで言うマクガフィンとは適合しなくなります)

さて、このマクガフィンを「H×H」から探してみるとどうなるか。
実は、主人公ゴンの父親たるジンこそ、「H×H」のマクガフィンだといえるのではないでしょうか。
(なお、私は単行本派なので、以下の文章は25巻までの内容を元に書かれています)


「H×H」の物語の目的は、ゴンがジンに会うことです。キメラアント編では鳴りを潜めていますが、案外それまでのストーリーの裏にはちゃんとそれが伏流しています。念やバトルなどに眼を奪われがちですけど。

物語の流れをざっと整理してみますと
ハンター試験編 (5巻)→
ゾルディック家編(5巻)→)
天空闘技場編(5〜7巻)→
(くじら島帰郷編(7〜8巻)→)
ヨークシン編(7〜13巻)→
G.I.編(13〜18巻)→
NGL編(18〜21巻)→
東ゴルトー編(21巻〜)(総じてキメラアント編(18巻〜))
てな具合です。

これをゴン視点で見ますと

父親の後を追うためハンターを目指す

(キルアを連れ戻す)

試験中に借りを作ってしまったヒソカにお返しをするために、修行をする、及びクラピカ、レオリオとの再会を約したオークション開催までの時間つぶし

(帰郷した際、オークションに出品されるG.I.にジンの手がかりがあるのではないかという情報を得る)

ジンの手がかりでありそうなG.I.落札のため東奔西走する。旅団と縁が出来る

入手したG.I.をプレイする。プレイ開始後すぐにたいした手がかりが無いことを知るが、結果的に念の修行となる

ゲームクリアの褒美(裏技みたいなものだが、ジン自身はそれを使われることを想定していた)でジンに会えるかと思ったが、会えたのはカイトだった。成り行きでキメラアントの騒動に巻き込まれる。NGLの調査中に襲われたカイトを助けられなかった自責の念から、以降の騒動にも関わっていく

東ゴルトーに移動した王一向を追い、打倒ネフェルピトーに燃える

こんな具合ですか。

キメラアント編を脇に置いて考えれば、だいたいジンの影は付いて回ってます。天空闘技場編はちょっとグレーですが、ジンに会おうと思えば強くならなければいけないということで大目に見てやってください。

さて、そんな物語を駆動している(主人公たるゴンの目的となっている)はずのジンですが、その登場はほとんどありません。
現在25巻まで連載されている「H×H」ですが、(作品内の)現在の時間軸上(と推察される)のジンの描写は、ゴンが天空闘技場からくじら島に帰り、ジンの残したテープを聞いている最中の切り替わった場面(「オレがオレであることだ」)が唯一です。
間接的な描写として
・第一話の、バイクと共に写っている写真
・弟子であるカイトの話(出会ってすぐのときと、キメラアント編導入部)
・クジラ島からの船の船長の追想、独り言
・サトツさんの話(さらに間接的ではあるが)
・ビスケの話
・G.I.製作者たちの話
ぐらいでしょうか。

ゴンにとってのジンは追うべき背中であり、その存在を我が眼で見たことはありません(まだ赤ん坊の時に会ってはいますが、覚えていないので除外)。ただ周りの人間の話を聞くのみで、話を聞けば聞くほどその存在は強大になり(トリプルハンターと比較しても遜色ない業績だとか、念能力では世界で五本の指に入るだとか)、ゴンの中での存在感もいや増すばかりです。そして、ゴンにとっての存在感が増すにつれて、ゴンがジンを追いたいという欲望もより加速していくのです。

主人公にとっての不存在(実体の不在)。それでも物語内ではその存在は前提、自明。
ゴンの目の前には現れないがゆえに、それを見たいという欲望は抑えられることはなく、物語の目的、駆動の中心として実体を伴わないにも関わらず影響力を発揮し続けている。
まさに、ジンは「H×H」におけるマクガフィンだと言えるのではないでしょうか。


で、ここでジンがマクガフィンであるということを考えると、ジンの存在は物語にとって不存在であるがゆえに有用であるということになります。
ジンの姿が見えないからこそゴンはジンを追うのであり、裏を返せば、ジンとの邂逅を果たしてしまえば、物語はそこで動きを止めざるを得ないのです。

今現在「H×H」には多くの伏線が張られています。
例えば、旅団関連で言えば、団長は無事除念できたのか。ヒソカはタイマンをしたのか。カルトちゃんが旅団に入ったことがキルアを取り戻すことにどうつながるのか。
例えばジャイロはどうなったのか。
例えばハンター協会内のゴタゴタは関係が出てくるのか。
例えばキルアが出て行ったときのシルバの邪悪な笑いはなんなのか。
瑣末なところまで挙げれば本当にきりがありません。

これらを全部回収しようと思ったら、倍の巻数は必要でしょう。ですが、今の冨樫先生にそれを求めては、私が死ぬまでに完結するとは思えません。どこかで見切りを付ける時が来るでしょうし、もしかしたらそれはキメラアント編の終了とイコールなのかもしれません。
そして、そのときにジンはでてくるのでしょうか。

どれだけアンチがいようとも、ストーリーメイカー、ストーリーテラーとしての冨樫先生が超一流なのは疑いようのない事実です。そんな冨樫先生が、物語を終わらせるためとはいえ安易にマクガフィンの実体化をしてしまうでしょうか。
今までさんざん隠されていたマクガフィンですから、それがいざ現出するとなると、どんなに盛り上げても肩透かしを食らってしまうのではないでしょうか。それはWikiにも書いてありますが、

例えば加藤典洋は評論集『テクストから遠く離れて』の中で次のように評した。「さんざん意味ありげに語られるのだが、いざ真相を明かされてみると、それは読者を激しく躓かせずにはおかない、あっけないできごとである」(56頁)。

というようになってしまいかねないのです。

かといってこのネタ絵The Thing)のように終わっては凡百の謗りを免れません(別にこのネタ絵をくさしているわけではありませんよ、念のため。このネタ絵は、マクガフィンの存在理由と現在の連載状況を逆手に取ったものですから)。

我々読者としては、冨樫先生の才能に期待しつつ、かつ連載再開と継続に祈りを捧げつつ、結末を待ち望むしかないのです。
UJやSQに移籍して、月一連載で十分ですから、早く描いて欲しいものです。
「H×H」と「少女ファイト」の結末を見届けるまでは死ねない。





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