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漫画の話です。

『ハチワンダイバー』の持つ読者の吸引力

ハチワンダイバー 7 (ヤングジャンプコミックス)

ハチワンダイバー 7 (ヤングジャンプコミックス)

七巻本日発売。

新刊も発売したことだし、『ハチワンダイバー』の魅力を改めて考えてみたいと思います。

過去の記事でも少し触れましたが、私の感じる『ハチワンダイバー』の魅力は、描かれている勝負に読者を強烈に引き込む点です。
主人公・菅田の技、「ダイブ」。彼は「ダイブ」をする時に限界まで息を停めて(文字通り、盤上の勝負へ深く潜ることで)手筋を読みきろうとしますが、その時に我知らずこちらも息を停めていて、漫画の中で彼が息をつくと同時に、自分も息を停めていたことに気づいて大きく息を吐くのです。

柴田先生は、この引き込み方が尋常じゃなく上手い。

この引き込まれ方は、読者として引き込まれるのではなく、あたかも自分が主人公・菅田であるかのように感じながら引き込まれているのです。
例えば先々月に発売された『H×H』の25巻。私はあれを読んでいる時、息を詰まらせて猛烈に引き込まれながらページをめくっていましたが、あの感覚とは違います。あの感覚こそが、上で言う「読者として」の引き込まれ方でした。『H×H』を読んでいる時の私は、あの宮殿ゴンたちとともににいるかのように感じていたのではなく、漫画のこちら側(現実の世界)から展開に手に汗握っていました。
ですが、『ハチワンダイバー』を読んでいる時の私は、ほとんど菅田の感覚に同調して呼んでいるのです。
前者が、映画のように客観的な位置で味わっているのに対し、後者が『銃夢』のモータボールのモニターチャンネルよろしく、実際に自分がそこにいるかのように味わっているんです。


では、これはいったいどのような理由によるものなのか、分析してみたいと思います。

その一。コマ割による緊張と解放。

柴田先生は顔のどアップコマを多用しますが、それらを効果的に配置することで、読者の意識をぐっと漫画の内部にひきつけることが出来ます。
例をあげてみましょう。

こうきて

こう高めて

こう引き付けての

こう解放します。

ちなみにこれは対文字山戦。自分が有利だと思っていた菅田が、急転直下で窮地に立たされ、「ダイブ」で活路を見出そうとしたシーンです。

苦しむ顔に少しずつカメラを近づけていき、苦しみが頂点に達したところで、ふっとカメラを引いてキャラに息をつかせる。
にじり寄るように苦悶の表情を突きつけることで読者にも緊張を強いて、息をついた顔が引いたカメラで写されることで、読者から圧迫感を取り除き、息もつかせる。

キャラと同時に読者も息をつくというのは、同調感を得るのに非常に有効でしょう。

コマ使いでもって、緊張を強いた後に解放を用意しておく。

こうして、読者は苦悶する主人公に同調していくのです。


その二。テンションの変調による絵の線の変化。

柴田先生は、普段の細めの線を、キャラが勝負に集中した時には、そのキャラの線を意図的に太く粗く(荒くではない)しています。

例。
メイドとして菅田の家にやってきたみるくは、菅田からの将棋の勝負の申し込みを受けました。
菅田がダイブを覚えてから初めて戦ったみるくは、その腕の上がりっぷりに喜びを覚え、勝負の途中でテンションを変えました。それが

これから

これへの変化です。

線に太さというか、ブレが出て、顔に陰影もつき、明らかに空気が変わったのが解るかと思います。

こうして、直接的に絵柄に変化を付けることで、読者にキャラの空気の変化を伝え、それに気づこうと気づくまいと、読者は空気の変わった勝負の世界に否応なく引きずり込まれるのです。


ちなみに、それを明らかにギャグとして用いているのが、対二こ神さん戦。そよちゃんのおっぱいを賭けた戦い。
おっぱいを賭けた二人は人生において最大級といえるほどに集中しますが、当のそよちゃんはその展開についていけず、呆れ返って二の句が継げない状態。
それがこのコマ。

見事に、集中力全開の手前の菅田の線と、呆然とした奥のそよちゃんの線が違っていますね。


その三。擬音とトリッキーなネーム。

はじめに注釈ですが、この場合のネームは、フキダシそのもの、及びフキダシの中の台詞にとどまらず、絵の上に直接書かれる心理描写の言葉、さらには文字そのものを意味します。

まずは擬音について。
この漫画は将棋漫画ですので、勝負中の主な擬音は駒を動かす音(「スッ」という滑らすような音と、「パチッ」や「バシッ」のような弾みをつけて置く音に大別できます)、そして、勝負時間を計るためのチェスクロックを押す音(「タン」というボタンを叩く音)がほとんどです。
この作品内は基本「真剣」の将棋なので、かなりの早指しとなり、必然それらの音もリズミカルに、すなわち、1つのコマの中で多く使われます。

「ス」「タン」「ス」「タン」「ス」「タン」の繰り返しが鳴り響いているコマは、見るものをそのリズムに巻き込んでいきます。実際に鳴っているわけではないその音が、読むことを通じて頭の中で鳴り響き、その場に居合わせているかのような感覚を生み出すのです。

さらに擬音に絡めて話を進めますが、擬音が鳴っている最中、つまり対局中は、当然会話はあまりありません。なくがないですが、始終喋っているわけではなく、要所要所で喋る感じです。
ですが、言葉は口に出さなくても、将棋という高度な知能戦の最中、脳内は非常に活発に活動しています。その手筋の分析、自分との対話は、心理描写という形で描かれているのですが、それがさらに引き込んでくる。
リズミカルに打ち鳴らされる音を背景に、脳みそから搾り出されるようになんとか紡ぎだす思考。それは決して雄弁なものではなく、血反吐を吐くように苦しみぬいたもの。だから、地べたの上を引きずるように這いずり回る言葉。その対照的な言葉のうねりが、言葉を解読するものを作品に引きずり込んでいきます。

そして、フキダシと、その中に書かれる言葉(文)。
柴田先生のフキダシはとても特徴的。まずなによりでかい。コマ半分がフキダシなんてのは序の口。ついに七巻で、一ページ丸々一コマで、その90%がフキダシというコマが出てきました。画期的過ぎ。
に収まるのか。さらにでかさ以外に、数が多いこと。一つのフキダシで収まるような文章量でも、平気で二つ三つのフキダシに入れてきます。
ではなぜそんな短い文章に二つも三つもフキダシを使うのか。逆に言えば、なぜ少ない文章が二つや三つのフキダシ
それは、文字のフォントが大きいから。

この大きさです。
キメ台詞にこの大きいフォントで、迫力を加味。
さらにフキダシを多く使い、台詞のテンポを故意にズタズタにすることで、この漫画独特の文章のうねりが出てくる。

絵だけにとどまらず、フキダシ、及び文章でも読者をガンガンに引き込んでいくので、この作品には強烈な吸引力があるのです。


とまあこんな感じの、『ハチワンダイバー』の吸引力に関する試論でした。
今後の展開どきどきですね。






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