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漫画の話です。

心に澱を残すもの

何かを定義するのって割と大変です。抽象的な何かとなるとさらに大変です。
それでも後世に広く伝えられているものもあります。例えばクレッチマーは天才の定義を「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」と言いました。他にも「天才は狂気だ」と言ったチェーザレ・ロンブローゾや「99%の努力と1%の閃きだ」と言ったトマス・エジゾンなども結構有名でしょうか。 
ま、それらに倣うわけではありませんが、私も一つ定義をしたいと思います。
何についてか。
それは「名作」について。

まずは定義から。

「名作とは心に澱を残す作品である」

こんな感じです。
世の中にジャンルを問わず面白い作品は数あれど、「名作」とよばれるような作品はそう多くありません。というか、面白さと名作であるということが単純に関連するわけでもないでしょう。面白くはあってもすぐに意識の外に外れてしまうような薄っぺらい作品もあれば、特に面白かったわけではないけど、心の片隅に、喉に刺さった魚の小骨の如くに引っかかり続ける作品もあります。
心に引っかかっている作品は、今まで自分がしてきた/考えてきた日常的な所作を行おうとするときに、今まで通りのスムーズな動きを妨げます。「それでいいのか。それは本当にそういうものなのか」と自身に語りかけてくるのです。そして、その発せられた言葉は心の底の方に沈殿して澱として溜まり、次第次第に心の質を変じてくるのです。

この表現だと、澱が「濁り」としてネガティブに解釈されそうなのですが決してそうではなく、むしろ「純鉄よりも不純物の混ざったダマスカス鋼の方が強度が強い」という形で考えてください。さらに砕けた言い方をすれば「酸いも甘いも噛み分けた」ってとこでしょうか。何も知らない純粋無垢な子供よりも、世の中を色々知って色々考えた人間の方が強いってことです。

なんでこんな記事を書いたかというと、今日読んだこの本のせい。

ぼくんち (ビッグコミックス)

ぼくんち (ビッグコミックス)

仕立ては絵本みたいなんですけど、子供が読んだらトラウマなりかねません。それどころかおそらく意味を理解できません。その意味でもR15な感じ。もしかしたらR18。バトルロワイヤルよりよっぽど検閲されるべきです。まあもともとビッグコミックスで連載されていたものなので、健全な青少年が読むことはそうそうないでしょうけども。
粗筋をざっと言えば、壮絶に貧乏で猥雑でアウトローな赤線地帯みたいな小汚い街を舞台にした、主人公の兄弟(おそらくまだ二人とも小学生、父無、母は家出、母親代わりの水商売で働いているタネ違いの姉が親代わり)がどのように生き、出会い、育っていくかというもの。全三巻。

一時間ちょいで読破しましたが、心に小骨が刺さりまくりです。ざくざくです。へたくそな鯵刺とウナギと鰯の煮物をご飯無しで丸食いしてもこんなに刺さらねえぞってくらいささってます。同じざくざくでも山吹色の大判小判とは訳が違いますよ、旦那。
心に澱もしずしずと降りています。金魚に餌をあげすぎた水槽みたいになってます。お母さんに怒られそうです。

感性の埒外と言うか、常識の範疇外というか、そういうところから一撃が飛んできたようです。眼が塞がったボクサーってこういう気分なんでしょうか。気分が良くも悪くも浮き沈みする「名作」です。気が向いたら読んでみてください。








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