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闘病の中で見つめる自分と、他人と、人生と 『さよならタマちゃん』の話

精巣腫瘍。それは35歳の漫画家アシスタントを襲った癌。普段の生活から一転した、強烈な副作用を伴う化学療法を繰り返す入院生活。今まで真剣に捉えたことのない死を意識せざるを得ない日々。同室の患者と、医師や看護師と、師匠の漫画家と同僚アシと、そして最愛の妻と飼い犬ビッグと。周囲の存在と自分を通して様々なことを考えずにはいられない、一年間の闘病記……

さよならタマちゃん (イブニングKC)

さよならタマちゃん (イブニングKC)

ということで、武田一義先生のデビュー作『さよならタマちゃん』のレビューです。精巣腫瘍。ひらたく言えばキ○タマの癌。爆笑問題の田中氏が罹りキン○マがソフトボール大にまで腫れあがったなどということもあり笑い話にもされかねない病気ですが、癌は癌。他の臓器へ転移していないならともかく、もししてしまっていたら、長く辛い治療が待っているのです。
作者の武田先生がこの病気に気づいたのは、妻とのセックスの時。愛撫の際に睾丸の感触に違和感を覚えた妻がネットでその症状を調べて疑念を持ち、きちんと病院で診察を受けたことで発覚しました。残念ながら武田先生の腫瘍は転移済みで、抗がん剤の投与、すなわち化学療法を受けざるを得ませんでした。
こうして始まった闘病生活。治る可能性は高い、ただし確実に治すためにきつい治療に耐えてもらう。そう担当医師に言われてはいたものの、いざ味わってみると、そのきつさは想像以上のものでした。それまでの人生を健康に育ってきた武田先生にとっては闘病というものが未知の領域であり、自分の体にこんな痛みや吐き気、倦怠感などが襲うものだとは思ってもいなかったのです。
身体の不調は精神の不調をもたらしましす。入院した当初の武田先生は、本来少し暗かったはずの性格が陽転し、「明るくて前向きで社交的」になっていました。それは、元の生活に残されている妻への、彼なりのエールでした。心配いらない。これを乗り越えればきっともっといい未来がある。家で一人の妻がそう思えるように、無意識のうちに振る舞っていたのです。ですが、その裏側には積もりに積もっていったものがある。強烈な痛みや倦怠感、嘔吐感を伴う治療。味覚障害などの身体の変調。いくら皆が明るく振る舞っていてもふとした瞬間に暗さが覆う病院の生活。鬱積したそれらはついに表に現れ、「治療うつ」として牙をむきます。普段とさして変わらないはずなのに、周囲の環境に苛立つ、人間の振る舞いに腹が立つ。甲斐甲斐しく世話をしてくれる妻にまでむやみに当ってしまう。けれど妻は優しく言います。
「頑張るのはいいけど 無理して自分を追いつめないで」
大丈夫だからと周りを、そして自分自身を鼓舞しようとしても、そこには無理がある。いや、無理があるのはいい。問題は、無理があることを自覚しないままに無理をしていること。
妻の言葉にそれを自覚した武田先生は、糸が切れたように号泣し、それを気づかせてくれた妻に感謝をします。そして妻もまた、辛いと心の裡を吐露してくれた夫を見て、安心したように涙をこぼすのです。
「私もちょっと無理してたみたいだ」


これは一つの例ですが、入院中にあった様々なエピソードが、表紙を見て分かるようなかわいらしい絵柄で、生と死とか、躁と鬱とか、絶望と希望とか、笑いと悲しみとか、そういものを掻い潜るようにして描かれています。きっとこれは、実際にそういう目に遭った人でなければ描けない。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉もありますが、歴史だけで全てを学べるほど賢い人なんてどこにもいません。死なんてものはその最たるもの。誰もが死ぬにもかかわらず、本当に死んだ人からそれについて話を聞くことはできない。誰かの歴史から死は学びようがないのです。作者の武田先生も、妻も、医師たちも、同室の患者の人たちも、それぞれの理由で、それぞれの事情で死を意識しています。個人的に体験する死と隣り合わせの生活。その中で体験する個人的な経験。それぞれの人。それぞれの人付き合い。それぞれの人生。そんな個人的な話は、第三者が学べるものではないのかもしれません。が、物語として味わうことはできるのです。
私自身は、幸いなことに、死の淵に立たされるような事故や病気をしたことはありません。それでも、「もし自分が」というifでもって読んで重く感じたのが、「命より大切な用事なんてひとつでもあったのかな」という、武田先生と同じ癌の青年が語った言葉です。言葉だけとれば存外ありふれているものかもしれません。ですが連綿と描き連ねられる、日常から遠く離れた闘病の過程の中で語られるこの言葉には、千鈞の意味があります。言葉の重みは、語られる物語の重さに比例するのです。
とにかく1冊を通して読んでほしい。そして、この物語の重みを味わってほしい。人の辛いところと優しいところと、冷たいところと温かいところと、弱いところと強いところと。汚いもきれいもいっぱいつまっているけれど、最後には人を美しさく描いているこの作品は、多くの人に読んでほしいのです。
さよならタマちゃん/武田一義 - イブニング公式サイト - モアイ


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