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漫画の話です。

「ぼくらの」が描いた一つの答えとその説得力の話

ぼくらの 11 (IKKI COMIX)

ぼくらの 11 (IKKI COMIX)

去年の最後についに最終巻が発売された、鬼頭莫宏先生の「ぼくらの」。そういえば、今まで一度も「ぼくらの」について書いていなかったので、最終巻発売を祝して筆をとってみました。というか、この作品は完結するまで迂闊なことはかけないな、と思っていたのですね。
ネタバレ上等で書いてきますので、未読の方は注意してください。




今まで何度か書いたことと思いますが、鬼頭先生の作品、特に連載作品に見られるモチーフとして、「生(性)と死」があります。(参考記事;「終わりと始まりのマイルス」と鬼頭莫宏のモチーフの話
人間によく似た非人間(人形)との交流を描いた「ヴァンデミエールの翼」。子どもの(良くも悪くも)真っ直ぐな感情からなる人の死と魂のあり方を描いた、地球サイズのハートフルボッコ漫画「なるたる」。人の想いがこもった炁物と、命なき炁物から権化した「神」との交流を、開放的な性と共に描く「終わりと始まりのマイルス」。そして、搭乗者の命をエネルギーにして動くロボットで、自分の属する宇宙の命運をかけて戦う「ぼくらの」*1
この「一度の戦闘の度にパイロットの命をエネルギーにし、戦闘が終わるとパイロットは死ぬ」という「ぼくらの」の設定は、パイロットに選ばれた少年少女はどうあっても必ず死ぬ、という運命を明示しました。
そもそも生命にとって死は不可避のもの。平家物語を引用するまでもなく、生きているものはいつか必ず死にます。ですが、その事実は生命にとって恐ろしいもの。誰にでも平等に、例外なく訪れるものなのに、人はそれから全力で逃れようとします。洋の東西を問わず、不老不死を求める物語譚はいくらでもありますね。
しかし、「ぼくらの」の少年少女は、ジアースを動かしたら必ず死ぬのです(ただ、それを知ったのは二戦目であるコダマ戦の後ですが)。いつ死ぬかが明確にわかってしまう恐怖。契約してしまったからには、ジアースを動かせば死ぬし、動かさずに負けても死ぬ。絶対死ぬ。それは8巻での関一尉の言葉が端的に表していて「世界を救えるのは唯一君だけで、必ず死が約束されているのは唯一君だけ」(p113)なのです。今までの連載作品の中で、「ぼくらの」はもっとも直截的に死を全面に押し出した作品だといっていいでしょう。


時たま目にする「ぼくらの」の評価に、「人を殺すことでしか泣かせることができない」というものがありますが、それはとんだお門違いです。「ぼくらの」は泣かせるために人を殺すのではなく、死を目前に決定付けられた人間がどのように振る舞うかを臓腑を抉るようにして描いているので、それが読む者の心を打ち、涙するのです。
モジ戦の後に、残されたパイロットは行動と意思の確認をしました。

自暴自棄にならない。
泣いて過ごさない。
人のせいにしない。
もちろん死ぬのはイヤだ。死にたくない。
でも、もうどうすることもできないこの状況でどうするのがよいか、
答えは明白だった。
モジ君が規範だ。
だからそれまでは、精一杯生きる。


(5巻 p70,71)

これを読んで、「かっこよすぎだろ」「そんな風に思えるものか」と考える向きもあるでしょう。もうすぐ死にそうな人間、それも子どもがそんな殊勝なことを考えられるものか、と。ですが、そういう人の中に、現実に不可避の目前の死を約束されたことのある人間がいるのでしょうか。簡単にこの意思を甘ったるいと切り捨てていいものなのでしょうか。
もちろん「ぼくらの」はフィクションですし、現実に似たような状況に陥った者にしかこの心理を論じることは許されないといったことは絶対にありません。作者である鬼頭先生自身、そんな目にあったわけではないでしょうから(もしかしたらあるかもしれませんけど)、彼らの心情をあくまで想像で描いているはずです。ですが、この鬼頭先生の想像と、「甘ったるい」と言う人の想像は、同じ想像に過ぎないという点で同格です。*2こんな非常識で非日常な状況に当事者として直面した人間がそうざらにいない以上、その当否について有り得る有り得ないを断ずることはできず、どんな行動をとるか、いくらでも仮定の余地があるのです。
実際、上記の意思確認の以前では、自身の約束された死を知った面々は様々な行動に出ました。家族を守るために戦ったダイチとナカマ、逃げたカコ、復讐に走ったチヅ。千々に乱れそうになったパイロットたちの意思を、モジの冷静であろうとした行動が規範となり、纏め上げたのです。
そして、以降の戦闘ではパイロットたちはこの意思に準じて行動することにした。鬼頭先生はそう想定した。想定した上で、各々の心情を描ききった。その想像がどんなに突飛(とはいえ、私は鬼頭先生のこの「想像」をそこまで突飛とは思いませんが)であろうと、その突飛さを最後まで描ききれば、その突飛さには説得力が生まれる。そういうもんじゃないかなと思います。
死ぬと決まったものが必ず死ぬ。ならば、その死ぬ者は現実に死ぬ前にいかに振る舞うのか。
「ぼくらの」で見せた少年少女のそれは、一つの答えではあっても、唯一の正解では別にありません(ロールモデルの一つと言うくらいはいいのかも知れませんけどね)。それでも、「答え」とするに足る整合性、説得力が「ぼくらの」にはあるのです。


個人的に好きなエピソードは、ダイチ、ナカマ、マキ、カンジ。この話は、いつ読んでも泣ける自信がある。




good!アフタヌーンとイブニングで開始した新連載、今のところ不穏な匂いはないですが(むしろ不穏のなさに慄いている人も多いですが)、これからどうなるのか楽しみにしている所存です。もちろん「終わりと始まるのマイルス」も。






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*1:ここまで書いてふと気づいたら、「子ども」もキーワードにありそう。「なるたる」と「ぼくらの」は言わずもがな、「ヴァンデミエールの翼」の人形は少女の姿だし、「〜マイルス」の主人公・マイルスも少女。成熟しきっていない存在が常に主要キャラクターとして絡んでます

*2:更に言っちゃえば、仮に同じ目に遭ったとして、必ずしも同じように感じるわけではないでしょうし。