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乾いた空気と乾いた読後感 『地上はポケットの中の庭』の話

自分の仲間を助けてくれた高校生の元に恩返しをすべく現れた、人間大のコガネムシ(『5月の庭』)。盲目の王に仕える、草のにおいのする園丁(『ファトマの第四庭園』)。自分の誕生日に親族が集まってパーティーをしてくれているのに、始終不機嫌な老人(『地上はポケットの庭の中』)。久方ぶりの帰省に、子供の頃の辛い記憶を突き付けられる青年(『ここはぼくの庭』)。何かしらで庭にまつわる四作と、中学の同級生がプロ棋士として活躍しているのを見て、何をしたいのかもわからない自分に苛立ちを覚える女子高生の話(『まばたきはそれから』)、都合五作の短編集。

地上はポケットの中の庭 (KCx)

地上はポケットの中の庭 (KCx)

ということで、田中相先生の処女単行本『地上はポケットの中の庭』のレビューです。
なんでしょうね、読み終わった後の第一印象は、とてもからりとしているな、というものでした。作中の空気がじめっとしておらず、陰の感情も陽の感情も両方あるけれど、そこには濃く溜まったものがない。夏の地中海のように、強い日ざしはあっても日陰に入れば乾いた空気で涼しさを覚えるような、そんな空気です。いや、まあ地中海どころかパスポートすらとったことないんですけど。
その空気の理由を二つの面から考えてみましょう。
まず心理描写の面から言えば、表題作の『地上はポケットの庭の中』に顕著だと思うのですが、感情を喜怒哀楽というシンプルな形では表出させていない、ということがあると思います。この話は、昔から人が集まることが嫌いな老人が自分の誕生日に親族が大勢集まるパーティーを企画され、始終しかめっ面でいる、というものです。自分以外の皆が楽しんでいるパーティーを眺め、自分の過去や妻との出会い、子供や孫の成長に思いを馳せる。老人は幸せです。今こうして妻や子、孫たちに囲まれ、彼や彼女が幸せな表情を浮かべている。そのことには強く幸福を感じる。でもそれは同時に、不幸のとば口でもある。なぜならいつかは皆死んでしまうから。今の幸せは、後の死別という不幸せのスパイスになるから。必ずなるから。それを思うと老人は、幸せを感じれば感じるほどしかめっ面にならざるを得ないのです。
この幸/不幸の二面性はまだあって、子供の頃の彼の家庭では、悲しい事があると母はお菓子を作っていた。甘いものは好き。でもそれは、母に悲しい事があった証拠。嬉しいのに、悲しい。
幸せな時に不幸せを想う。嬉しい事は悲しい事の証拠。そんな割り切れない感情であれば鬱屈としそうなものですが、老いた男を通して描かれているために、案外に風通しの良い感情となっています。
その他の話でも、コガネムシ相手の対話にシュールなおかしみを覚えたり、王との別れに悲しみと諦観と納得を滲ませたり、辛い記憶の相手に複雑な感情を抱いたり、活躍する旧友との会話に新たな感情が生まれたりと、一筋縄では言えない感情が登場人物に生起しているのですが、登場人物たちはそこに余計な言葉を付け加えない。言葉少なに自分の感情の複雑さを漏らす。かわりに表情や身振り、情景描写で僅かな言葉以上の何かがあることを伝える。そこにあるのは空虚ではなく空白で、読み手はそこから想像する余地を見出すのです。明確な言葉は意味をはっきりさせますが、代わりに物事を確定させます。複雑な感情を言葉で説明しようと思えば種々の言葉は堆積し、読み手の推量を通さない壁となるのです。
複雑な感情を言葉で説明しすぎないから生まれる、こもったもののない物語の余地。そこに風通しの良い、乾いた空気感の一端があるように思います。
もう一つは作画面。この作品では、日差しと影のコントラストがそこかしこに見られます。

(p54)

(p82)
空間の一部を黒く染める影と対照させられることで日差しはその白さを増し、強い太陽光線は作中の湿り気をかき消します。夏の日に木陰から日なたを見た時のような爽やかさが、このコントラストから生まれていると言えるでしょう。
とまあ内容の説明というか作風、作品の雰囲気の説明に終始してしまいましたが、あと私が感じたのは、豊田徹也先生の作品に通ずるものがあるな、ということです。豊田先生の『珈琲時間』も乾いた感じ(本作のような地中海の夏の乾きではなく、日本の冬のような寒々しさのある乾きですが)があります。簡素さ、不親切さ(悪い意味でなく)も相通じる気がします。
意味の濃いストーリーではなく、乾いた中に何かが残る、そんな読後感。今後も気になる作家さんなのです。


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