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漫画の話です。

「リアリティ」を描く漫画たちの話

今年1巻が出た作品として確実に五指に入る『グラゼニ』(オレコン調べ)。

グラゼニ (1)

グラゼニ (1)

その面白さは色々ありますが、大きなものの一つに、「その世界で生きる人間の心理を細かく生々しく描いてる」というのがあります。試合中に選手が何を考えているか、というのは他の野球漫画でもありますが、『グラゼニ』の場合、高校球児でもなく、社会人野球でもなく、それで食べてるプロ野球選手だからこそ考えることを、金銭面を誇張気味にクローズアップしつつも、生々しく描いている。その世界に住んでいない私たちにとって、普段は垣間見ることができないそれがとても面白い。プロ野球選手にも、超一流がいる、一流がいる、一軍と二軍を行ったり来たりしている選手もいる、トレードに出される選手もいる、ベテランもいるし新人もいる、海外選手もいる、監督もいるしコーチもいる、引退寸前の選手もいる。一口に「プロ」と括っても立場はそれぞれです。それを凡田と言う、一流じゃないけど二流ってほどでもなくて、まあまあ使えるんだけど大黒柱とはとてもじゃないけど言えない中継ぎワンポイントリリーフを主眼に据えているから、ペーソスあふれるコメディになっています。
グラゼニ』がプロとしての野球選手を意識して描いているものなら、『おおきく振りかぶって』は高校野球としての野球選手を強く意識しています。
おおきく振りかぶって (1)

おおきく振りかぶって (1)

高校野球は(一応建前は)高校生活の一環。球児たちは皆、野球選手である前に高校生です。部活以外の学業もあるし、学校のイベントもある。高校生チックな人間関係もある。そして大事なのは、高校球児全員がプロ野球選手になるわけではないということ。むしろそんなのは一握り。「絶対なってやる」と思ってる球児もいますが、多くの生徒はある程度の見切りをつけています。自分はそこまでの器ではないと。その意識は生徒だけではなく、指導者も同じこと。「三橋君は今 たぶん楽しくやってるんだろうけど “部活”のあとも人生は続く―…」(15巻 p135)というモモカンの言葉が如実に物語っています。球児は、高校野球で食っているわけではない。
練習や試合の最中に考えていることも、高校野球の2年半というのが明確な区切りになっています。自分はあとどれくらいプレイできるとか、あの選手とはあと何回当たるとか、そういう明確な時間設定は学生野球独特のものです。
プロ選手としての心理を細かく描いているもので他のスポーツであれば、やはり『GIANT KILLING』でしょうか。
GIANT KILLING(1) (モーニング KC)

GIANT KILLING(1) (モーニング KC)

主役は監督ですが、キャプテン、エース、レギュラー、控え、チームスタッフ、サポーターと、直接試合に関わっている人だけでなく、より広範に描かれているのがポイントです。試合に出られるGKは常に一人で、交代はそう起こることではない、というのは18巻を読んで初めて意識したことでした。
スポーツからガラッと趣は変わりますが、『とろける鉄工所』も知らない世界で働く人間の生活を覗き見させてくれます。
とろける鉄工所(1) (イブニングKC)

とろける鉄工所(1) (イブニングKC)

溶接工は何をする。溶接工の何が楽しい。どれくらい働く。どれくらい稼ぐ。そんなこんなが作者の実体験を基に、コミカルに描かれています。


「リアリティ」という言葉がありますが、いろんなところで使われているので、いまいち意味合いがハッキリしません。私としては今書いたような、「ある世界に存在するものが見せる、その世界だからこその言動・思考・心理を、受け手が納得しうる形で表現していること」が「リアリティ」の一つの意味かなと思ってます。まあその意味では、「リアリティ」と実際のその世界が、必ずしも全くのイコールではなくてもいいんですけどね。受け手が納得できれば。説得されていれば。
「リアリティ」のある作品は、面白い。


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