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『3月のライオン』ひなのいじめから見る川本家の父性と母性の話

前巻から続くひなのいじめ問題を軸に進む、『3月のライオン』6巻。

3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)

6巻最初のChapter.54「想い」の冒頭で、あかりから事情を聞いた祖父・相米二が、ひなに言います。

ひな… よくやった!!
最近のいじめがえげつねーのは じーちゃんも新聞やTVのニュースでいやっちゅうほど見て知ってる!! 見るたび俺ァかわいそうでたまらなかったっ
なのにお前は… そんなおっかねえ所で 友達を助けようとしたんだな!?
すげえ勇気だ!! 大人にだってめったに出来ることじゃねぇ!! お前はすごい!!
俺の自慢の孫だ!! お前は何ひとつ間違っちゃいねぇ!! 友達を助けたんだ!! 胸をはれ!!
(p10,11)

相米二が発した、この全肯定の言葉。どうやらこういう言葉こそが、子供の成長、情操には非常に重要であるそうです。
最近集中的に読んだ本に、長谷川博一氏の著作があります。

お母さんはしつけをしないで

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殺人者はいかに誕生したか―「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く

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お母さん、「あなたのために」と言わないで 子育てに悩むすべての人への処方箋

お母さん、「あなたのために」と言わないで 子育てに悩むすべての人への処方箋

氏は臨床心理士で、虐待に悩む親子関係や教育の現場などで実践的にカウンセリングに取り組み、多くの実績を上げています。上に挙げた4冊をざっと読みこんだのですが、その中から私が読み取ったことの一つに、家庭における母性性の役割の重要性があります。人間が生まれ、成長するまで多くの時間を過ごす家庭、家族。その中でどれだけ子供が自己肯定できるように接するかが、子供の人格形成に大きく寄与するというのです。

家庭の教育力は第一に、子供の自発性や自尊心を高め、「認める」「許す」「わかる」といった母性機能が優先されるべきなのです。家庭の教育力は、母性的な親子関係から始まり、成長とともに父性が加わり、最終的には社会という厳しい父性原理の中でも適応できるようになるという、一連の流れの中で検討されるべきものです。
(お母さん、「あなたのために」と言わないで より)

ヤマザキマリ先生のエッセイ漫画の中でも、こんな一節があります。

この「アモーレ」 その効果はなかなか大きいのである
例えば社会でどんなにいじめられても 家では「アモーレ」を連発され もう辛くて死にたい!!なんて発想は生じなくなる
(モーレツ! イタリア家族 p9)

モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC Kiss)

モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC Kiss)

「アモーレ」とは、イタリア語で「愛」。社会での父性原理に傷ついても、家庭でのべったべたの「愛」による全肯定を浴びせられれば、その傷は致命傷にならないのだと。
この母性機能は、必ずしも女性が担わなければいけないというものではありません。男女の夫婦であれば母親が担うことが一般的かもしれませんが、片親の家庭もありますし、海外に目を向ければ法的に認められた同性の両親もいるでしょう。家庭の形はどうあれ、成長段階の、あるいは傷ついた子供に、親が父性機能より先に母性機能を示す、そうすることで子供の心身の成長がのびのびと発現するのです。
3月のライオン』でも、普段母親役を務めていたのは姉のあかりでしたが、いじめで傷ついたひなを認め、許し、わかる母性性を示したのは、祖父でした。
少々前後しますが、ひなにかけた言葉について、相米二はこう述懐しています。

それは俺だってそう思うさ 「他人の家の子」より「自分の家の子」の安全を考えちまう ――そりゃ当たり前だ みんなそうだ
でもな 考えてみろ? ひなは何か悪いことをしたか? してねえだろ? ひなはもう充分苦しんでる それなのに 俺たちがこの上 「どうしてそんなことしたんだ」なんて言っちまったら
ひなは本当に居場所を失ってしまうだろ? 何より 次は自分がやられる事になるかもしれないって思いながらも それでも友達の側を離れなかった ひなの 勇気とか 正義を 誉めてやるべきじゃねーのか?
(p35,36)

ではその時、それまでの母親役だったあかりはどうしていたかというと、現実にとまどっていたのです。

…… ダメだな 私は
おじいちゃんはああ言い切ってくれたけど
私は あの時 躊躇してしまった
ひなにあんな風に言ってあげられなかった… ――それどころか
「どうしてなの」って… 「なんでもっと早く話してくれなかったの」 「何でもっと上手い事できなかったの」って 「何でなの?」――って…
(p33,34)

この態度は父性的なものと言えるでしょう。「どうして」と理由を問うのは、状況に対する客観性を保持しようとすることであり、それ第三者との生活を基本とする社会、すなわち父性原理を基幹とする世界での身の処し方だからです。
けれど、自ら吐露するあかりの発言を振り返れば、あかりはそもそも母親だけでなく、父親(父性)としての役割も負っていたようなのです。

母が死んでからは 私がひなとモモの母親のかわりだった 私は19歳でわからない事だらけだった でも 母に頼まれたの だから必死にがんばった
「周りの事もちゃんと考えなさい」 「ひとには親切にしなさい」 とか えらそうな事言い続けてきておいて

(p36,37)

画像で分かるように、あかりがひなにそのようなことを言っているのは、ひなが泣いている時です。母親としては、母性としては、そこはまず慰めること、全肯定することこそ大事なのに。他者との共存を説くのは、父性の役割です。あかり自身は母親として振る舞おうとしていたのでしょうが、妹らを一人で育てる、親代わりになると決意したからには、母親だけでは足りません。役割としての父親も彼女は負い、意識せずともそれが現れていたのです。そして、二つの役割に悩むあかりから、両方とも少しずつ肩代わりしていたのが、祖父の相米二だったのでしょう。彼もまた、父性であり、母性でもあったのです。
親代わりを自らに強いたあかり。なら、彼女の親代わりとなってくれる人は?
母親が亡くなった時、あかりもまだ19歳。父との別居と母との死別、ことの順逆は明確に描かれていませんが、末娘のももが生まれている以上、タイミングの差にそれほど開きがあるわけではないでしょう。短い期間に両親を失った彼女もまた心に大きな痛手を負っていたはずなのに、それでも自らがその座に移った。そして、それが今でも続いている。彼女が母性を求めることのできる相手は、ごく少ない。
だからあかりは、ひなをすぐに全肯定出来なかった自分を強く責めているのですが、そのあかりの悩みを肯定したのこそ零だというのが、面白い構造です。

あかりさん それは… それは違います…
当たり前の事です 家族に辛い目にあって欲しい訳ないです だって ひなちゃんを一番側で見守って来たのは あかりさんなんですから
(中略)
あの時 僕は 僕が助けてもらったんだと 思いました
ひなちゃんは僕の恩人だと… ―だから ひなちゃんをこんな「勇気のある子」に育ててくれた あかりさんは僕にとっては 恩人なんです
(p38,39)

この零による肯定に、あかりは涙を流しました。これが後の「ほんとに イザとなったら 頼っちゃうからね!?」につながるのでしょう。誰かに頼られたかった零が、ついに頼られたのです。


ということで、6巻のエピソードから見る川本家の父性と母性でした。最後にちょろっと触れた、頼る零頼られる零の話は、また後日。
文中で触れた長谷川氏の著作、お勧めは『殺人者はいかに誕生したか』。カウンセリングにより殺人犯の過去を解きほぐし、なぜそうのようなことが起こってしまったのか、今後そのようなことが起きないようにするためにはどうすればいいか、ということをテーマに、人間の人格形成に寄与する家庭の役割などについて言及しています。罪に対する罰、被害者感情の救済などとはまた別次元の話で、そのような悲惨な事件を将来においていかに減らすか、という未来志向の態度が一貫しています、躾・幼児教育の著作なら『お母さん、「あなたのために」と言わないで』が面白かったです。



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