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彼女が泣いていたから僕は恋をした 高校生と殺し屋のラブコメディ「弾丸ティアドロップ」の話

男子高校生・七瀬薫は、古い楽譜を探すために丘の上にある古本屋を訪れた。折りしも夏休みに入る直前、蝉ががなり鳴く大銀杏の下にあるその店先で、店主・みゆきが涙を落としながら座っているのを見たとき、彼は一目で恋に落ちた。一目惚れに心沸き立たせる七瀬。けれどみゆきは、彼とは違う世界の人間、殺し屋を生業としていたのだった……

弾丸ティアドロップ(1) (アフタヌーンKC)

弾丸ティアドロップ(1) (アフタヌーンKC)

アフタヌーンで連載中、『弾丸ティアドロップ』のレビューです。
話の始まりを大雑把に言えば、上に書いた通り。1巻の肝は、ただの高校生である七瀬が、一目惚れの相手であるみゆきが殺し屋であると徐々に知り、自分の身が危険に晒されようとも彼女を好きであると宣言する、若さゆえの愚かさと、若さゆえの真っ直ぐさ、つまりは若さゆえの愚直さということですが、それがコメディ感と疾走感たっぷりに描かれているところだと思います。
七瀬が初めて会ったみゆきは、古書店の店主。でもそれは、表の世界での仮の姿。彼女の本業は、裏の世界でのヒットマン。それも「使える人間がごく限られるような超一流の」。七瀬が彼女のその姿に気づくのは、たまたま拾った携帯電話から。その携帯は、裏仕事の連絡用にみゆきが持っていたもの。落としたそれの中には、事情を知らない人間が一見しただけではわからないものの、彼女が遂行してきた仕事の情報がメールの形で存在していました。万が一警察や他の人間に知られたら大変なことになるそれを取り返すために、みゆきの相棒である小太りの男、通称「馬の骨」がその携帯を通じて七瀬に連絡を取り、拉致しようとしますが、偶然のいたずらで失敗。別人を拉致してしまう。こうして七瀬は、自分が何か妙なことに巻き込まれつつあると感づいていくのです。
こうして、表の世界の住人である七瀬はたいした考えもなしに、みゆきを好きだという一心で裏の世界に足を突っ込んでいきます。けれど、どう足掻いても七瀬はただの高校生。裏世界のみゆきを知ろうと奮起するも、どたばたしたコメディにしかなりません。調べるといってもネットくらいしか使えないし、調べてる間にもバンドメンバーやクラスメートとのくだらないやり取りがあります。

(p61)
くうだらない。
しかし、そんな彼のスラップスティックと同時に、みゆき達はみゆき達で淡々と裏の仕事をしていきます。裏の仕事。すなわち、人殺し。

「服汚れちった……」
「心傷まねーの? そんなこと言って」
「傷んだら許してくれんの?」
「ムチャ言うない 殺人犯」
「じゃあ傷まない 損だから」
「了解」
(p13)

これはみゆきが仕事を終えた直後の「馬の骨」との会話ですが、罪悪感や悲壮感が欠片もないこのやり取りに、これがただの日常であるという裏の世界の空気が存分に出ています。
この二つの世界の対比。表と裏。日常と非日常。その中を七瀬が恋心で突っ走っていく。その無茶で無体で無軌道な青春っぷりが、作中の真夏の暑苦しさとあいまってわくわくさせるのです。


さて、少し話変わって。
1巻を読み終わった時、こんな感想を思ったのですな。「伊坂幸太郎ぽい」と。
かたや小説、かたや漫画。なぜこのような類似を感じたのかとつらつら考えてみるに、この作品の裏の世界サイドの悲壮感のない描き方に、まず一つ理由があるな、と。
犯罪小説というとちょっと違いますが、伊坂幸太郎の作品には犯罪行為を日常とする登場人物がよく出てきます。当記事の言葉で言えば、裏の世界の住人ということですが、「オーデュボンの祈り」の城山、「ゴールデンスランバー」の三浦、「モダンタイムス」の岡本猛、「バイバイ・ブラックバード」の繭美などがざっと挙げられ、「グラスホッパー」や「マリアビートル」は、犯罪行為が日常となる裏世界が舞台となっています。
で、そこで書かれるキャラクターたちは、基本的に自らの行為に悲壮感がない。犯罪に手を染めている自分を、当為のものとして受け止めている。犯罪が日常の非日常の中で、表の世界の日常のようなやり取りが行われる。会話自体はウィットに富んだユーモラスなものなのに、どうにも物騒な状況が会話の下地になっている。そのギャップに面白味がある。
これが、伊坂幸太郎の作品の魅力の一つだと思うのですが、『弾丸ティアドロップ』にも同じようなものを感じるのです。非日常を日常として書く/描く力。それは、作品世界の構築に優れているということなのだと思いますが、裏と表のバランスを把握できているからこそそれを対比的に表現することができ、ギャップを魅力として活かすことができるのではないでしょうか。
『弾丸〜』の場合、特に悲壮なく暴力を振るっているのは「馬の骨」なのですが、これこのように、実にふざけた適当な感じで暴力を行使するのです。

(p89)
ですが、この適当さこそが裏の世界での暴力の日常性を裏づけ、表の世界での非日常が日常であると活写しているのです。


表と裏、日常と非日常が錯綜するスピード感溢れるスラップッスティック・ラブコメディ『弾丸ティアドロップ』。続刊も期待大なのです。



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