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漫画の話です。

『第七女子会彷徨』のにじみ出てきた狂気の話

第七女子会彷徨』と『見かけの二重星』を同時発売したつばな先生。

第七女子会彷徨 4 限定版(リュウコミックス)

第七女子会彷徨 4 限定版(リュウコミックス)

見かけの二重星 (KCデラックス Kiss)

見かけの二重星 (KCデラックス Kiss)

で、今日は『七女』の話。
もともと金やんと高木さん、二人の女子高生を中心に、不思議道具や不思議事件、不思議組織、不思議システムなんかを、さして不思議に思わず日常の中で消化していくというSF(少し不思議)作品。不穏な空気は1巻の時点からあったと言えばあったのですが、巻を重ねるごとにそれは顕在化してきて、4巻ではいっそ狂気とさえ呼べる形になって滲み出ているように思えるのですね。
4巻の狂気は表紙をめくった最初のカラーイラストから表れています。

(4巻 カラーイラスト)
カバーと中身を間違えやがったな、と素で思いかねないショッキングさ。今までの『七女』にはなかったものです。
内容も、高木さんが持つ髪の伸びる人形が登場する第31話「生き人形」、金やんがおかしいのか、世界がおかしいのか混沌としてくる第33,34話「自己像幻視」(カラーイラストはこの話と関係していますが)、物悲しいような懐かしいような、でもその裏に狂気が隠れているような、この巻の狂気の白眉である第36話「悠久の百円貯金」と、読んでて不安になってくる話が続きます。
いったい何がこんなに不安にさせるのか。
とりあえず、36話「悠久の百円貯金」について考えてみます。
この話、一部を除きコマ割りは非常に単調で、金やんと高木さんの会話も断片的、仲の良い二人の日常をぶつ切りに取り出しているような話なのですが、途中に1ページだけ挟まれる未来と思しき高木さんのワンシーンと、登場する不思議道具から繋がるラスト1ページのリンクにとんでもない孤独さを覚えます。最後の1ページで高木さんが一度も表情を見せないのが原因でしょうか。高木さんと金やんの親密さが断片的なだけに、高木さんの後ろ姿は孤独で、不安というか不安定というか、読んだ後に背筋がぞっとしました。
考えてみれば、作中では折に触れて高木さんの境遇の孤独さが描かれてきました。父親の仕事の都合で何十回と転向を繰り返してきた彼女には友人と呼べるような人間はおらず、高校で友達選定の相手となった金やんが初めての友人です。小出しにされていたその境遇が、3巻の最終話「ジプシーキングス」で明白にされたのですが、その事情ゆえに、高木さんの見せる人付き合いの不器用さが、時々ギャグの服を脱ぎ棄ててむき出しのまま見せつけられるような思いがします。だから、31話「生き人形」もいささか笑えない。不安定さがギャグの閾値を超えるのはいったいどこなのか。
不思議なものを不思議と思わずにいる非日常の日常。その中に少しずつ紛れ込んでくる狂気がなんなのか、まだはっきり言葉にはできません。まるで、実は全て高木さんあるいは金やんが病床で見ている夢だったのだ、というどっかで聞いたようなエンディングを迎えるんじゃないかと思わせる不穏さ。でも決してそれは不快なものではなく、今まで感じたことのない癖になりそうなもの。実は『見かけの二重星』はそんな作品じゃないかと期待して買ったんですが、残念ながらそんな方向性ではありませんでした。
この作品、いったいどこへ行こうとしているのでしょう。不安に慄きつつ期待しています。


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