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漫画の話です。

桜井のりおとツジトモに見る、非長方形のコマから生まれる効果の話

現代の日本の漫画は、基本的に右から左、上から下に向かって読むことを前提として描かれていますが、読む方向に混乱をなるべくきたさないようにという配慮からか、あるいは単にそうした方がページ内が整頓されて読みやすいし描きやすいからか、漫画のコマは長方形(含む正方形。要は四つの角が全て90度である四角形。以下で「長方形」と使う場合は同様)で描かれることがほとんどです。
このような基本法則を前提のものとしてコマ割をすると(漫画を描かない門外漢の私が言えることではないかもしれませんが)おそらくコマ割そのものも、そして各コマ内の絵の構成もいくらか容易になるのだと思います。
これは漫画に限定した話ではありません。レギュレーションがはっきりしているものの方が、何かを考えたり作ったりするのは楽だと言うのはピンと来る話ではないでしょうか。例えばあなたが誰かに手料理を作ろうとして、その人に「何が食べたい」?と訊き、その返事に「なんでもいいよ」と答えられるのと、「和食が食べたい」や「肉料理がいい」と答えられるの、どっちが方針を立てやすいでしょう。長いこと居酒屋でのキッチンでバイトをして、まかないもしょっちゅう作っていた私としては、圧倒的に後者だと答えますが、それほど事情が変わるものでもないでしょう。このように、前提となるレギュレーションは、創作の制約であると同時に基盤でもあるのです。
ですから、あえてその基本法則を無視してコマ割をしようというのならば、それなりの理由があるはずです。
それなりの理由、つまり、非長方形のコマを使用することによる生まれる表現上の効果です。以下では、桜井のりお先生とツジトモ先生の絵を見て、その効果を考えて見たいと思います。
(ところで、少女漫画では非長方形のコマが頻出しますが、個人的には、そこに理由はない場合が多いんじゃないかと思います。心理描写の重層性を出すために非長方形のコマを使い、それが成功している例もありますが、多くの少女漫画は無作為に非長方形コマを使い、それが「読みづらい」などと言われる理由につながっているのではないかな、と。ま、これは余談ですね)

みつどもえ 7 (少年チャンピオン・コミックス)

みつどもえ 7 (少年チャンピオン・コミックス)


みつどもえ/桜井のりお 6巻 p80)
このコマ割では、普通ならまっすぐ垂直に降りそうな枠線が、あえて斜めになっています。この周辺のコマでは、このように変形されているものはありません。あえてここだけ非長方形のコマを用いているのです。じゃあこれでどんな効果があるのかと考えると、この斜めの枠線を共有している2コマを、セットとして認識させやすくしているのではないかと思うのです。このコマはあるキャラが変装(?)をしている流れなのですが、正体を隠すための一連の動作の「一連」ぶりを強調するために、パズルのように対応させられる斜めの枠線を共有するコマとしたのではないでしょうか。長方形のコマ割の流れの中で、斜めの枠線によりここだけコマがセットであるというニュアンスを強められているのではと思います。

(7巻 p66)
このコマも同様で、シーンとしては、キャラ二人がテーブルを傾けあって熱々のココアを押し付けあってるところなのですが(しかしギャグシーンを真顔で説明することほどきついものもそうないな)、カップの行ったり来たり感を演出するためにこの2コマをセットのように扱いたかったのではと思います。

(6巻 p32)
これなんかさらに発展形で、4つのコマでそれを行っています。
このシーンは四者四様の表情(さらに左端のみつばが滅茶苦茶ビビっていること)がキモになっているので、四人がそれぞれ滑っているコマは並列して(=等価で)配置したいのですが、普通の長方形のコマを4つ並べた形で描いては構図がいささか単調になりかねません。そこで変則的なコマ割をすることで、視覚的に起伏を作っています。この変則的配置は、内部的なネタと外部的な視覚的起伏の折衷案だと思うのです。

(7巻 p20)
このコマなんかは、桜井のりお的変則ゴマの白眉だと思います。
上二つのコマは観客席、下のコマはコート上の監督なのですが、彼らが見ているものは(このコマの右側に描かれている)とある人物です。3つのコマの中の人物たちは、それぞれ異なる場所にいて、同じ人物を見ているといっても視線は三次元軸上で考えれば別々の方向を向いています。それを、斜めの枠線を共有するコマ群とすることで同じものを見ているというニュアンスを持たせ、且つコマの形に変化をつけることで似たようなコマを三つ重ねることから出る単調さをなくし、さらにコマが小さくなる方向を視線の先と設定することで読み手の視線の動きを自然に導いています。おお、なんという合理的かつ効果的なコマ割り。
以前の記事(「みつどもえ」に見る、日本の漫画の読み方とコマ運びの兼ね合いの話 - ポンコツ山田.com)で触れたことにも通じるのですが、桜井先生は似たような構図のコマを連続させるネタをよく使います。それには、コマの形を一定にすることで効果を表すものもありますし、逆にそれでは単調さが出てしまうものもあります。似たような構図は重ねたいけど単調さは出したくない、そんな「ダイエットはしたいけど食事は減らしたくない」というみつばのようなわがままを叶えるために、この変則的なコマ遣いを使用するようになったのではないでしょうか。


その他の効果としてツジトモ先生の「GIANT KILLING」を考えてみましょう。ただし、こちらはまだ上手いこと客観性の高い説明を見つけられていないので、さらっといかせてもらいますが。
GIANT KILLING(10) (モーニング KC)

GIANT KILLING(10) (モーニング KC)

GIANT KILLING」では、普通のシーンはともかく、プレイ中のシーンでは実に頻繁に非長方形のコマを使用されています。

(同書 p91)

(同書 p163)
こんなですね。
GIANT KILLING」では、ページ全体の長方形を割れたガラスのようなモザイク状にコマ割をしているケースがよく見られます(「みつどもえ」の例では、ページ全体ではなく、一部のコマの一部の線だけを斜めにしています。つまりコマが台形になるってことですね)。
これによりどうなるかと言うと、カメラの極端な移動がスムーズに行われるのではないかと思うのですよ。あるいはカメラの動きのダイナミクスが強調されるというか。
一般的な長方形のコマ割では、視覚的なダイナミズムはあくまでコマの中の絵で表現されるのが基本ですが、不規則なコマ割では、コマの形でも印象の大きさに幅が出るのではないかと思うのです。
もうちょっと具体的に言えば、一枚目の画像の中央コマ列とか、二枚目の画像の下コマ列なんか、左側(つまり読み手の視線の行く先)に向かってコマが小さくなっています。これはコマごとに小さくなるのではなく、一つのコマが読み手の視線が進むにつれて小さくなっているのです。これにより、視線が進むにつれて読み手の集中度が高まるのではないでしょうか。


この、ページ全体を不規則に区切るやり方は、おそらく非常なコマ割のセンス、さらに構図のセンスを要します。まず前者は、上に書いたように、存在する一定のレギュレーションを無視しているということだからです。「型破り」と言われるには、まず型に嵌れなければいけないように、前提を無視できるには、前提を充分にこなせる実力が必要です。迂闊な技術力で不規則なコマ割に手を出せば、ただ見づらいだけとなってしまいかねません。
後者は、簡単に言えば、長方形以外のキャンバスで絵を描くことは余りないから、ってとこでしょうか。普通の絵でも、イラストでも、漫画でも、そのキャンバス(地)は長方形であることが普通です。ささっと描くイラストなんかは特に枠のない紙に描かれるかもしれませんが、それでも描く時にあえて不規則な枠をイメージすることはないでしょう。絵の構図の基本は、長方形の枠の中に納められるように考えられるものだと思うのです。それを越えて描くには、相当以上の構図力が必要でしょう。
ツジトモ先生の構図の独特さについて以前ちょっと書きましたが(「GIANT KILLING」に見る、開放的なキメゴマ - ポンコツ山田.com)、絵柄も含めて私はツジトモ先生の絵のセンスがかなり好きです。


今回改めて不規則な枠線について考えるまで、漠然とスポーツ漫画や戦闘シーンなんかではそんなコマ割が多いんだろうなと思っていましたが、意外とそうでもないんですよね。ないわけではないんですが、それは上の二先生の例に比べれば微々たる傾斜ぶり。やっぱり基本的には長方形のコマで、変化に富むのはあくまでカメラの方向なんです。
桜井先生はネタのために、ツジトモ先生プレイのダイナミクスのために、センスと創意を振り絞って型破りなコマ割を使っているわけで、いやはや頭が下がる思いでごわす。






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