以前書いたものの続き。
- 作者: 松井優征
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/07/04
- メディア: コミック
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マジでタマヒュン。が、男の子心をくすぐることこの上ないアクションですな。
陸自の第一空挺団出身のエリートである烏丸が、1学期中に積み重ねてきた基礎の上に、厳重に監督しながら教えていることもあって、めきめきと上達するE組の生徒たち。その様子をうずうずしながら見ていた殺せんせーが、自分もまざるべく提案したのがケイドロでした(ちなみに自分も「ケイドロ」派)。
烏丸&殺せんせーの教師コンビが警察役で生徒が泥棒役。E組校舎の裏山を舞台に、制限時間である一時間目が終わるまで泥棒側が一人でも逃げ延びれば烏丸のポケットマネーでケーキをおごり、全員捕まったら宿題2倍という景品でゲームは始まりました。
殺せんせーが動き出すのはラスト1分だけというハンデに生徒たちは、どうやってそれまで全員隠れてやり過ごすか、と目算を立てていましたが、それはエリートレンジャーをあまりにも舐めた考え、開始早々から次々と泥棒たちは
このままでは30分ももたずに全員逮捕という雲行きでしたが、泥棒らの収賄・泣き落とし等々により幾度となく繰り返される脱走。殺せんせーの手抜きっぷりに怒り心頭になりながら逮捕を繰り返す烏丸ですが、次第次第に気づくことがあります。それは、泥棒たちを捕まえづらくなっているということ。実は、泥棒が脱走するたびに殺せんせーが逃走の仕方についてアドバイスを行っており、初めはただいたずらに逃げ回っていた泥棒たちが、跡をたどられないように行動することを意識し始めたことで、その捕捉が格段に困難となっていったのです。
その様子を見て、烏丸は驚嘆します。
短時間でよくここまで学習した!!
俺と奴とが 同じ分野を違う視点から同時に教えると ここまで急激に成長するのか
(10巻 p60)
学ぶことの妙味はここにあります。
以前『銀の匙』の記事で触れたことに重なりますが、ある事柄について別の視点からとらえることで、それについての理解はより深まるものです。 たとえば私が今読んでいる『戦争の世界史』。
- 作者: ウィリアム・H・マクニール,高橋均
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/01/23
- メディア: 文庫
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人は、ある事象に意味を持たせることで、初めてそれが理解できたと言えます。それまで個別の点でしかなかった事象が、なんらかの脈絡の中に配置されることで、固有の意味を持つ。ただ言葉でしか記憶されていなかった事象が、他の事象との有機的なつながりを得ることで、それ自体を含んだ包括的な体系を獲得する。この包括的な体系こそが、理解の別名です。
さて、フリーランニングを学ぶE組生徒、彼らがそれをする最終的な目標は暗殺に集約されるわけですが、烏丸から教わる、という態では、あくまでも殺す側が殺す側から殺す側として学ぶというものでしかありません。つまり、殺す/殺されるという関係性の内、片一方しか知らないわけです。そこへきてこのケイドロ、今まで殺す側でしかなかった生徒が、殺される側に回ったのです。自分らが学んでいる技術は、やられる側にはどう映るのか、それを防ぐにはどうすればいいか、違う目的に活用するとどうなるかなど、自分たちの立場、すなわち視点を変えることで、より深いレベルでそれを理解したのです。フリーランニングという技術を、「追跡」という文脈と「逃亡」という文脈、両者の中で位置づけられるようになったわけですな。
技術を学び、理解し、彼らは成長するのです。
学ぶということについて、気付けばもっといろいろ出てくるのでしょうが、今回のところはこの辺で。お気に召しましたらお願いいたします。励みになります。
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