※この記事では『戦国妖狐』5巻の内容にちょっと触れてるよ。未読の人は注意してね。
- 作者: 水上悟志
- 出版社/メーカー: マッグガーデン
- 発売日: 2010/11/10
- メディア: コミック
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奇跡の確信!!
この戦いで 更に覚醒してみせる!!
(5巻 p128)
結果、迅火は妖精眼を使えるようになり、また、失った左腕の代わりに霊気の魂の腕を生みだすことで、道錬との力の差を埋めることに成功しました。
さて、ここで迅火が強く念じた「奇跡の確信」。なんか聞き覚えるのあるフレーズだなと思ったら、『惑星のさみだれ』で犬の騎士であった天才武道家・東雲半月が言った台詞なのですな。
天才とは!!
無限の肯定!! “ラッキーパンチを千回決めるすげー自分 ”の直感 を!!
ありえねーと否定せずそれもアリだと千回肯定する者!! 直感を肯定する内神業 を千回実現するすげー自分 !!
それが天才!! 技なんかオマケ!!
おれずげーの瞬間を!! すげー俺の存在を!! 肯定し肯定し肯定に肯定を被せろ!!
考えるな!! 直感し続け 肯定し続け 確定し続けろ!!
(惑星のさみだれ 8巻 p75〜77)
別に「奇跡の確信」という言葉は半月の言葉の中には出てこないのですが、ありえないことを肯定し、確信するという意味で、二人の言葉にそうズレはないはずです。
この「己の肯定」「奇跡の確信」は、水上先生の考える人間の「強さ」像の一つの現われだと考えられます。限界を超えた自己肯定とでも言いましょうかね、そういうものの持つポテンシャルが人間の成長に大きく資すると、何度となく水上先生の作品では触れられています。
超能力の基本は確信だ 起きる現象と無意識の領域から確信すること 迷ったら己の腹に聞け
腹の声が聞こえないと時は 自らでふさいでいると知れ
(惑星のさみだれ 8巻 p11)
ここで言う超能力は、ハンドパワー的な限定的なそれではなく、超常的な能力、超自然的な能力、非日常的な能力を指すのでしょう。ですから、『惑星のさみだれ』の指輪の騎士たちが持つ掌握領域や、泥人形を見る力、『戦国妖狐』の精霊転化や魔剣・荒吹を使った斬撃、空中移動などが含まれますが、そういう日常を一歩越えたような力を得るためには「確信」が必要なのだ、と言うのです。
指輪の騎士とは脳のネジの特別外れやすい選ばれしバカ達 ありえないことを受け入れその存在を確信できる者が
超常を視 超常を得ることができる
(惑星のさみだれ 6巻 p15)
こういうことなのですな。
そして、そんな「無意識の領域から確信」し、「ありえないことを受け入れ」るからこそ得られる超能力だからこそ
と、無限とも言うべき可能性があるのです。
自分の可能性にリミッターかけているのは、他ならぬ自分自身。「天才」になるために、「超能力」を得るためには、「そんなことは不可能」を思う自分の意識を改革しなければならないのです。
「意識の緒」のゆるみがまだ足りないかな
ここ で「何でもアリ」を教えようとしたのに… キミは幻術だとタカくくるから無意識にすり込めなくなっちゃったし
(戦国妖狐 4巻 p161)
厭世的というか諦観の塊というかただの人間嫌いというか、ずいぶん醒めた心を持つ迅火は、良くも悪くも冷静なために、意識のリミッターを外して「何でもアリ」の感覚を身につけるには苦労があるようです。
そんな迅火が覚醒したのは、神雲との戦闘で瀕死に追いやられ、「死にたくない」と心から思ったとき。冷静にものなんて考えられなくなって初めて、迅火は一歩向こうの力を手に入れられたのです。
まあそんな「天才」である半月を破った夕日のメソッドが、「思考し続け」「問い続け」「回答し続ける」こと。それが彼の掌握空域「
一見真逆のように見えるこの両者ですが、常に動性の渦中にあるという点で同質です。半月の言う「無限の肯定」は、無限に、絶え間なく肯定し続けることで自身のリミッターをあけっぴろげにしておくというもの。肯定の連鎖をとめれば、せっかく開いていたリミッターは再び閉じてしまいます。「無限の肯定」による「天才」は、まさに無限でなければ「天才」足り得ないのです。
夕日の「
夕日が半月に勝ったのは、そのメソッドが半月のものより優れていたから、というわけではないでしょう。作中の言葉を借りれば、夕日が「直感する者を背負い 蛮勇する者を想い 思考する者」として、相対している半月自身の力を、思いを、背負っているからです。夕日の体術は、騎士の願いにより死の間際に半月から受け継いだもので、そこにプラスするところの、それを活かすための智恵と覚悟。それが半月の強さを上回った、ということなのでしょう。
さて、ちょっとおまけで、5巻で見つかった『戦国妖狐』の他作品とのクロスオーバーについて。
四獣将の神雲とそのお供・千夜が親子であると発覚しましたが、その時にぽろっと山の神が零した一言
ふーん 親子だったんだ
ああ 銀髪の一族の…
(戦国妖狐 5巻 p55)
この「銀髪の一族」という言葉ですが、水上先生の初連載作品『散人左道』の主人公・フブキは「神秘の霊力の象徴 銀の髪」を持っているというのですな(散人左道 1巻 p141)。神雲・千夜親子も、銀髪にして高い霊力の持ち主。フブキの遠い先祖が神雲・千夜であるというのは、それほど牽強付会な考えでもありますまい。
ちなみに、『散人左道』の10年後には小説家になっているフブキ、その時使っている名前が「山戸吹雪」というものなのですが、果たしてこれが本名なのか、ペンネームなのか。もし本名だとすれば、フブキは山戸家の人間だという事になり、迅火も同じく祖先であるという事になるのですが、『散人左道』内で登場する山戸家は、フブキがそこの出身であるとは思いがたい描写しかされていないので、「山戸吹雪」はペンネームと考えるほうが自然でしょう。元々捨て子だったと思しきフブキが山戸家の養子に入った可能性はなくはないですが、どちらにせよ迅火との血縁はありません。
とりあえず、神雲・千夜の遠い子孫がフブキだというのは、ありえる話だということで。
その他、水上作品のクロスオーバーについてはこちらの記事で。
「水上悟志」ワールドの縦横のつながりについての話 - ポンコツ山田.com
今月末に発売される『惑星のさみだれ』の最終巻に今から心躍らせている私です。ネタバレをするものに呪いあれ。
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