ここ20年ほどのジャンプの売り上げを支えた二大作品といえば、「ドラゴンボール」と「ワンピース」で異論はないでしょうが、この二作品に見られる共通点と思しきものを、今日は一つ。
ジャンルでこの二作品を分類すれば、アクションもの、バトルものということで括れそうです。
アクション漫画自体は、この20年の間でもいくらでもありました。古くは「ジャングルの王者 ターちゃん」や「幽白」、最近なら「ブリーチ」や「NARUTO」がそうでしょうか。少年誌という媒体ですから、バトルものにはヒット作(長期連載)がでやすいようです。その裏側として、鳴かず飛ばずで終わる短期連載も多くありますが、それはともかく。
さて、ジャンル以外どこに共通点があるかといえば、それは登場人物、特に主人公の内面を描かないことだと思うんです。
内面を描かないというとなんだか大袈裟ですが、要は主人公の原理がシンプルである、もっと極端に言っちゃえば、主人公が悩まないことです。「DB」の孫悟空は、中盤から自身が強くなること、もっと強いやつと戦うことを志向しだし(それはしばしば、人道的な観点からはどうかと思われることさえあり)、「ワンピース」のルフィは、財宝であるところの「ワンピース」を求めることを第一に目指しています。その過程で仲間を得て、また仲間や親類、かつての知己のために行動しますが、その際の彼の行動原理は非常にわかりやすく、それは「今そこにある危機をなんとかする」というものです。ある局面に差し掛かったとき、ルフィがどう行動するかは、読み手にとって予想しやすいのです。
例えば現在連載中の「NARUTO」や「ブリーチ」は、主人公を含む登場人物たちの思惑が色々と交錯していて、バトルものであると同時に、ドロドロした人間模様をつくっています。一言で表せば、「因縁」ってとこでしょうか。全体的にこの言葉が軸になって、作品が駆動している気がします。
それと対照的に、「ワンピース」の人間関係はからっとしています。因縁やらなんやらももちろんあるのですが、その描き方があくまでエンターテイメントの一部であり、物語を転がしているのはあくまでルフィの「ワンピース」への欲望なのです。
これは、ルフィ以外の主要キャラたちも同様で、登場したての頃は、誰もが何がしかの過去を背負っており、その因縁めいたものが描かれていますが、パーティーに加わった以降のメンバーの描写には、そのような暗さはありません。過去を斥力としつつも、それに縛られてはいないのです。そのため、メンバーもその行動原理が理解しやすく、行動の指針はルフィのそれと上手く絡み合っており、人間関係もすっきりしています。
ここでまた共通点の別の言い方をすれば、複雑な対人間の思惑で物語が動いていない、というようにもなるでしょうか。あくまで、主人公がどうしたいか、ということで物語が進んでいるのだと思うのです。
「今そこにある危機をなんとかする」というのは、昔のジャンプではけっこうあった気がします。それは内面のなさということと同義で、例えば「聖闘士星矢」や「男塾」なども、キャラの内面はともかく、痛快なアクション譚を描こうとした作品ではないでしょうか。見方を変えればそれは、物語の整合性よりも延命を望むジャンプ編集部の意向に沿いやすい形態だということもできるのかもしれませんが、それでもそれは、アクションやバトルものの痛快さを生み出すことには貢献したのだと思います。
「なぜ闘うのか悩むくらいなら、闘わない方がいい」という言葉もあるように、闘う主人公の悩みは、しばしば読み手のフラストレーションにもつながります。「お前、今更なにをそんなに悩んでやがる」みたいな。それを解消するにはまた新たな物語が必要になり、次第にそもそもの本筋から外れることもままあります。昨今では、キャラを立てるためか、やたらと心理描写に紙幅を割く作品もありますが、それが過剰なのは鼻につくし、本筋の描写が疎かになりがちです。
それを防ぐために、内面性を初めから放棄するのは、単純に痛快な作品を描くためにはけっこう有効なんじゃないかと思ったり。
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