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漫画の話です。

感動の熱量と内容を両立して伝達するにはどうすればいいのか、「ハックス!」を例に考えてみる話

ハックス!(1) (アフタヌーンKC)

ハックス!(1) (アフタヌーンKC)

阿佐実みよし、高校に入学したばかりです。 
新入生歓迎イベントで、すっごいアニメを観てしまいました。
なんかこう、子どもの頃みたくワクワクしちゃうような。
なんでもそれは、この高校の先輩たとが作ったそうなんですよ!
……えっ? アニメって自分たちで作れちゃうんですか?
だったら、みんなで作ったらきっとすっごく楽しいですよ!
こうしておる場合ではないですよ私たち!!

(ハックス 1巻 裏表紙)

紹介する本のあらすじはたいてい自分で書くんですが、この作品は裏表紙の梗概が秀逸でしたのでそのまま引用しました。かなりストレートにこの作品の「らしさ」が出ていると思います。


梗概でわかるとおり、この作品の主人公は高校一年生の阿佐実みよし(♀)です。天然入ってる彼女が、新入生歓迎イベントで見たアニメに感動し、一人しかいないアニ研や新入生の美少年・児島などを巻き込んで、アニメ製作を始めるんですが、自分の感じた感動を他の人間に伝える時に、みよしはひたすら「すごい」を連発し、抽象的でしどろもどろな説明に終始します。

(ハックス 1巻 p11)
一巻でそれが最も炸裂しているのがこのシーンで、3p近くにわたってみよしが熱弁を振るっているんです。

私は/きのう あの/アニメ観て/すごい!ってなった/じゃないですか
それで今度は/私がそのアニメ観て/アニメ作って
そういうのって/すごいと思うん/ですよ!
なんか あの/楽しいテレビ/見たときとか
すごい本/読んだときとか
なんかうーって/体がなって/むずむず跳ねたく/なるときって/ありませんか?
じっとして/いられないというか
昔 よく/お兄ちゃんが家で/アニメ観てて
私も時々観てて/話とかはよくわかんなかった/んですけど
でも 時々/そうやって/うずうずするときが/あって
きのうもそれ/思ったんですけど
でも それが/なんなのか全然わかんなくて
でも きのう/アニメ作る!って/なったときに/それが なんか/すごいなんか/わかったんです
アニメ作りませんか!
たぶん みんなで/アニメ作ったら/すごい面白いです
アニメのすごい……/すごい!っていう/エネルギーを使って/アニメを作るんです!
それでそれで/あのフィルムも/助けられたら/最高じゃない/ですか!
なんか
そういうのって/なんか
すごいですよ!

(同書 p51,53,54)

どうです、この漫画とは思えないしどろもどろさ。スラッシュは改行を表していますが、改行の多さもまた言葉選びの拙さを表しています。
みよしの言論は基本的に抽象論、感情論であり、自分が感じた熱情をとにかくなんとかそのまま伝えられないものかと、わたわたと大仰に表明されます。このみよしの「面白い!」「やってみたい!」の熱量が、「ハックス!」の物語の原動力であり、面白さの中心点でもあるんですが、読み手にそれを伝えているのは、決して熱量の多さだけではないと思います。みよしの脇を固める他の登場人物の態度にこそ、この熱さを損なわずに読み手に伝えるポイントがあるんじゃないでしょうか。


キーマンとしているのは、美少年・児島です。

(同書 p35)
児島君はみよしと正反対で常に冷静沈着、先輩に対しても無償のお願いをせずに取引をもちだして頼みごとをするような、浮ついたところのないキャラ造形をされています。上のコマから続く落ち着いた発言の後に、

(同書 p35)
こんなみよしのわたわたした態度が挿入されるのですから、この対照性はよく目立ちます。
冷静な児島君ですが、内に秘めた情熱はみよしにひけをとりません。彼もまたイベントで見たアニメに驚いて、アニ研の部室を叩き、上映されたフィルムの保存状態に危惧を抱いて、生徒会に予算を出せとねじ込む猛者です。
情熱を燃やす二人のキャラ。一人は大袈裟に、もう一人は静かに。みよしの大袈裟な熱さを読み手に伝えるには、同じ熱さを静かに持っている児島君が必要なんだと思うんです。
上で書いたように、みよしがガンガンに放出する熱さは抽象論、感情論です。まとめる気もなく(あるとしても成功せずに)発される熱さは、もしみよし単体であれば、熱さは感じられるものの、その中身を理解するのが難しいんじゃないでしょうか。
例えば、新鮮な魚を仕入れてくる人がいてもそれを料理できる人がいなければ、折角の魚もだだらな料理に成り下がってしまいます。いたとしても、遠くにいるのでは、料理人と魚が出会うまでに鮮度が下がってしまいます。
同様に、みよしの熱さもそれだけでは、読み手の元に届く時には、むくのままの感情なだけにうまく伝わりきらないかもしれません。そこで冷静な児島君が、荒々しいままのみよしの感情をすぐにソフィスティケイトして改めて表現しなおし、読み手の前に提示することで、私たちは熱さと感情の意味内容の両方を感じ取れるのです。それがまさに、上であげたp35の流れだと思います。


別の喩えでまた違う対比性を説明しましょう。上の対比は熱量の質による対比ですが、今度は熱量の多寡による対比です。
スイカに塩をかけると甘さが引き立つと言いますが、この作品は児島君以外にも落ち着いたキャラが多く、というか、わかりやすく熱いキャラがみよししかいません。性格と熱量の関係性で言えば、児島君はともかく、それ以外のキャラの熱量は、基本的に一般レベルかそれ以下なんですよね(演劇部の方々はよくわかりませんが)。そして、この冷/熱(普通/普通じゃない でも可)の対比は、アニメ関係以外の、みよしの昔からの友人に求めることでまた違った視点が浮かび上がります。
みよしの友人の美和と翔子(前者は小学校からずっと一緒で、後者は中学は別の学校)は、みよしの天然ぶりを昔から知っていて、特に美和は、そういうみよしだからこそ一緒にいて毎日楽しかったと言い放てる友達です。
友人たちはみよしの天然をよく理解していて、かつ冷。その冷による理解があるからこそ、みよしのある種異様な熱とそこから生まれる楽しさが、読み手に効果的に伝わるんじゃないかと思います。
そして、天然キャラの周りに、それを理解してくれている人がいるという幸福な状況は、主人公みよしの爆走にもどこか安心できる空気を纏わせているんです。


最後に、ちょっと話は変わりますが、一巻でみよしたちは作ったアニメを二○動(「二十一世紀日の丸動画」の略 もちろんニコ動のパロディ。ニコ動同様に、動画にリアルタイムでコメントをつけられる動画投稿サイト)にアップします。それを知った演劇部の先輩(動画製作にちょっと関与している)が「これからどうするの?」と児島君に問いかけ「部長があんなだから、一年で好きにやっちゃえば?」と言うのですが、児島君はそれをやんわり否定します。

二○動って/その動画を/観た人が
リアルタイムに/書いた感想が/見られるじゃない/ですか
何回再生/されたかも/わかりますし
自分のアップした/動画に そうやって/感想が目の前に/来るんですよ
それ見ちゃうと/けっこう
興奮/しますよね

(同書 p193)

これって、ニコ動じゃなくても、ブログでもなんでも創作行為をやってる人ならすっごいよくわかることだと思うんですよ。やっぱり自分がせっかく世に発したものなんだから、それが多くの人の目に触れるとそれだけでとても嬉しいし、コメントなんかもらえれば、それだけちゃんと読んでもらえたってことですから、もっとい嬉しいわけで。
アニ研の三年は基本的にやる気のない人なんですが、この「自分たちの作品に対する反応」という蜜の味を知って今後どうなるのか、というのも見所です。




なんというか、この今井先生って漫画の構成力がとても高いと思うんですよね。キャラ作りやそのバランスもそうですけど、コマの割り方作り方が簡単なようで凝っていて、でもわかりやすい。絵自体もあまり精密なタイプでないから気に留めづらいですけど、遠目のカメラワークがころころ変わって、人や物が多く入りやすいのに、それでもわかりやすさを失わないのは、非常に高度なセンスの賜物だと思います。絵の素朴さも私はすごい好きですけどね。みよしが手をぶんぶん動かすのが可愛いすぎる。








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