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漫画の話です。

日本橋ヨヲコに見る、非対称の表情の味わい深さ

少女ファイト(4) (KCデラックス イブニング)

少女ファイト(4) (KCデラックス イブニング)

先日ブロスコミックアワード2008の大賞を受賞した日本橋ヨヲコ先生ですが、そのインタビューの中でこんなことをおっしゃっていました。

ところで、先生の作品の魅力の一つとして心に響く"強い台詞"があると思うのですが?
「(略)最近やっと気づいたんですけど、私、台詞が言いたいんじゃなくて、表情が描きたいんだってわかったんですよ。その台詞を言うとこういう表情になるよね、という感じで。だから強い台詞というより、強い表情を描いたら自然とそういう言葉になったんだと思います。」

TVBros 23号 p5

ヨヲコ先生の描く表情の奥深さについては以前も書きましたが(「少女ファイト」に見る、「子供」、「少女」、そして「乙女」への成長 - ポンコツ山田.com)、改めてそれに注意して読んでみると、ヨヲコ先生の描く表情ってある特徴があるんですよね。それはタイトルにも書きましたが、表情が非対称であるってことです。
非対称の表情は他の漫画家でも見られるものですが、多くの場合それらはデフォルメ色の強いものだと思うんですよ。もともとはそこまでデフォルメしてない作風でも、非対称な表情を作るときはあえて崩すみたいな。
でも、ヨヲコ先生は普段の絵のままにキャラの表情を非対称にしていきます。

初期の非対称フェイス。




(プラスチック解体高校 2巻 p30)

(バシズム 「ストライク シンデレラ アウト」 p7)

(G戦場ヘブンズドア 3巻 p52)

(バシズム 「CORE」 p182)
ヨヲコ先生の描く非対称性が強く出るのはなにより眉毛です。特に初期は、斜めからのカットはかなりの高確率で眉根の角度が左右で違っています。それは単なる技術的なミスとは思えないくらいに、はっきりした太い眉でも違いがわかるのです。
野暮天ながら各カットにちょっとした説明を加えるなら、「プラ解」の例では、不可解さと不快さ、それに機嫌の悪さの混合。「ストライク〜」の例では、悔しさと苛立ちと不甲斐なさの混合。「G戦場」の例では、不可解さと苛立ちとショックの混合。「CORE」の例では、嬉しさと照れくささとほんのわずかの悔恨の混合。
もちろんこれらの例は作品内の文脈なしには読み取れません。前後の話の流れがあって初めて表情のニュアンスを細かく読み取れるのです。ですが見方を変えれば、前後の文脈があろうともその際のキャラクターの表情に深みが無ければ、表情から読み取れる感情は平坦なものになってしまうのではないでしょうか。複合的なニュアンスを含む表情を描くからこそ、物語の中のキャラクターの心理がくっきりと浮かび上がるのだと思うのです。

「G戦場」と「少女ファイト」の間に引かれた線。



個人的には「G戦場」でヨヲコ先生は今までの殻を一つ脱ぎ捨て、「少女ファイト」で新たな境地に入ったと感じるのですが、その印象が由来するところの理由の一つに、キャラクターの表情のクリアさが上がったことがあると思います。
「クリアさが上がる」と言うと上で書いた「表情の深み」「複合的なニュアンス」と相反するようですが、この言葉は絵に関してではなく、ヨヲコ先生自身が絵を描いている時の気持ちについてです。過去作品に比べて「少女ファイト」では、「この感情を表すときにはこのような表情を描けばいいのではないか」ということについてヨヲコ先生自身の中で「腑に落ちている」印象が強くあるんですよ。表情の描き方について「歯車があった」とでも言いましょうか、ヨヲコ先生が、その状況のキャラの心理と描かれるキャラの表情について「ピンときている」とでも言いましょうか。
印象の話なのでどこがどうとは言いづらいんですけど、まあそんなものを感じるんです。
ということで、その「少女ファイト」の中での印象的なカットを見てみましょう。

少女ファイト」の非対称ないい顔。




少女ファイト 1巻 p74)
スパイクが決まらず、また練の豹変ぶりに驚き、焦燥と悔恨と苛立ちに苛まれる小雪です。歪んだ眉と眼以外に、噛み締めている唇もまた非対称になっています。

(2巻 p62)
久しぶりにコンビを組む練がかつてのサインを覚えていたことが、嬉しくて懐かしくてでも人前だからちょっと照れちゃってるシゲルです。左頬だけに小さく浮かんでいる「////」の照れマークが、「感情を押し隠しているけど少し漏れちゃってる」感を出しています。

(3巻 p50)
少女時代の厚子です。無邪気に懐いてくるナオに対して、嬉しいやらくすぐったいやらの照れくささ溢れる顔になっています。

(4巻 p123)
こちらを挑発するような天然の練の発言に、嬉し恥ずかしでどう返していいやら困ってしまっているシゲルです。「こいつ狙ってんのかな。でも練のことだし素で言っちゃってるんだろな」という困惑がありありと浮かんでいます。

(4巻 p186)
照れながら言った練の本音を聞いて、照れが感染しちゃっているけどそれを隠そうとしている厚子です。初めて触れた練の本音に戸惑いながらも、それを押し隠してぶっきらぼうになろうとしているのが言葉遣いも含めて表れています。また、後ろに見えるユカの顔が「おうおう一年たち、青臭いこと言っちゃってこっちも照れちゃうね」という思いと、この画像からは見切れていますが隣にいる鏡子のニヤニヤ笑いに「そんな露骨に面白がらなくても」という思い両方を表してくれているので、厚子やそれ以外の一年の照れっぷりがよく伝わります。


厚子とシゲルが例に多く出たのはたぶん偶然ではなく、厚子は本当は思いやりがあるんだけどそれを表に出すのが照れくさいからついぶっきらぼうになってしまう、小学生男子的な心的様態(ツンデレとはちと違う)を持つキャラ、シゲルは熱いハートをもっているんだけど、それを隠せる冷静さももっているキャラってことで、要は二人とも「普段は冷たく見える表の表情に、ふとしたときに心の動きが漏れてしまう」という状況が起こりやすいキャラなんだと思います(シゲルは厚子に比べてそれが少ない、あるいは大きな動きでないと漏れない性格なわけですが)。
左右非対称の顔ってのは、つまり左右で異なる感情が生起している状態なんだと思うんですよ。一番最後の例を考えれば、冷静であろうとしている左顔面と、照れくささが漏れてしまっている右顔面という感じに。二つの別種の感情がない交ぜになる状態ってのは、ルミコやナオのような感情表現がストレートなタイプや、逆に鏡子やサラ、学のような感情コントロールが抜群に上手いタイプには起こりづらいんです。厚子のような、ぶっきらぼうを装うけどそれに忠実になりきれない人間や、シゲルのように冷静さをもつけど時としてそれすら覆してしまうような熱いハートをもった人間が、感情がない交ぜになった「複合的なニュアンスを持つ」表情を浮かべやすいのでしょう。

他の漫画家では非対称な表情があまり見られない(気がする)理由。



他の漫画家の作品でももちろん非対称な表情は見られるわけですが、精緻なバランスでここまで繰り返し描いているのは、私の知っている限りではヨヲコ先生くらいです(まあ私の読書量もそこまで誇れるものでもないので、他にもおられるとは思いますが)。
じゃあなんで他の漫画家はあまりこの手法を使わないのでしょうか。表情に複雑さをつけることで、キャラクターの心理描写はぐっと深まるというのに。
思うにそれは、非対称な表情はバランスをとりづらいからじゃないでしょうか。絵心が皆無の私の言うことなので当て推量の域を1mmたりとも出る意見ではないのですが、モデルを見て描く普通の人物画とは違い、キャラの表情と感情を想像しながら多くの顔を描いていかねばならない漫画は、何かを見ながら顔を描くということをあまりしないのではないでしょうか。わかんないけど。
非対称の表情のバランスの難しさは、天秤を例に出すと近いものになるでしょうか。天秤の両腕が同じ長さであれば、皿に錘を載せても釣り合わせるのは容易です。両端に同じだけ錘を乗せればいいんですから。顔に当てはめれば、もしただ照れくさいだけの表情を描こうと思えば、左顔面と右顔面両方に同じように表情のパーツを配置すればいいのです。それはあくまでデフォルトの表情からの同次元内での組み合わせに過ぎません。
ですが、両腕の長さが違っていたらどうでしょう。錘を乗せて釣り合いをとるには、何度も試行錯誤して錘の配分を変えてみなければいけないのではないでしょうか。また最後の厚子の顔を例にとれば、左顔面には冷静であろうとしている表情のパーツを、右顔面には照れを隠そうとしている表情のパーツを、上手い具合に顔全体のバランスが取れるように配置しなければならないのです。片方だけでは上手くニュアンスが出せても、両方一緒に見た時に整合が取れてなければ意味はないのです。
で、これが斜めからのカットになったらまた話は面倒になって、バランスのとり方がより複雑になってしまうんです。たぶん。
そう考えるとヨヲコ先生は、絵のバランスのとり方がすさまじく上手いということになるのでしょうか。
日本橋ヨヲコのマンガは面白いよ - 「少女ファイト」を中心に - 08th Grade Syndrome
こちらの記事ではヨヲコ先生の絵の立体感に触れられていますが、奥行きのある立体的な絵を描けるというのも、絵のバランスがをとるのが上手いというところに端を発しているように思われます。個人的に付言させてもらえれば、それは「少女ファイト」で開花した印象ですけど。んで、たぶんモブキャラのペン入れはほぼすべてアシスタントの仕事ですよね。全身像の頭身のバランスが、主要キャラとモブキャラで明らかに違いますから。1巻のカラー見開きを見れば、それがよくわかります(また、これを勘案すれば日置真帆が最初は扱い軽かったというのもわかります)。

ムスビ。ギギギ。



長くなってしまいましたが、「日本橋ヨヲコ非対称表情論」でした。
私は2巻p62のシゲルの表情がすごく好きなんですよね、堪えきれない嬉しさが滲み出した感じがよく出てて。これを見ると「ああ、やっぱりシゲルの心はあったかいもので溢れてるんだな。普段はクールだけど」と思うんです。
そういや上で厚子はツンデレとはちと違うと書きましたが、ツンデレってのは千代や志乃のことだと思うんですよね。まあ最強のツンデレは練パパですけど。
さあ5巻の発売が待ち遠しいです。なんとしても特装版を買う所存。








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