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漫画の話です。

「いのうえの 満月篇」がやってきた


(FLOWER webショップより)


そういえばブログでは書かなかった気がしますが、私は七月頭に「井上雄彦 最後のマンガ展」に行ってました。

今更その感想を書くのはさすがに躊躇われますが、会場で先行予約をしていたマンガ展の画集「いのうえの 満月篇」が今日届いたので、それに関する云々を書きたいと思います。


まず前提として書いておくべきなのが、この展覧会の形態でしょう。
一般的な絵画の展覧会とは違い、上野の森美術館内を大きな衝立で仕切って順路を作り、その順路沿いに絵を飾り、あるいは衝立や壁に直接絵を描き、入場者はそれを順繰りに観ていく(ただし、同一階層内なら逆走は可。また、最後の部屋に入るともう逆走は出来なくなる)。いわば、美術館全体を使って一篇のマンガとしているのであり、その行為は「観る」というより「読む」というほうが正しいのかもしれない。
そんな特殊な絵画展でした。


以下は致命的ネタバレを含みますので、そのうち日本各地で巡回展をするという話を心待ちにしている人は読まないほうがいいかもしれません。ご注意。


でまあ届いた画集ですが、さすがにいい値段しただけあって、この特殊なマンガ展をなんとか画集上で再現しようと試行錯誤がなされています。
キャンバス(?)に描かれていた絵をそのまま画集の紙にプリントしたページ(つまり、普通の画集のような形態)もあれば、実際に飾られていた絵を写真に撮り、それを載せたページもある。絵のページに挟まれて、館内の順路を撮影した写真もあり、読み手にあの館内の雰囲気を想起させようとしている。完全に白紙のページで、実際の間を表現しようとしている。折込のページを使い、絵を縮小させることなくその巨大さ、圧倒感を残そうとしている。
なんとかあの感動を損ねることなく封じ込めようと、苦心したのが見て取れます。

ですが、あの個展の白眉である二つの展示物をそのまま残すことはやはり出来なかったようです。

一つは、母の記憶を手繰り寄せる武蔵(たけぞう)の手から零れ落ちた木剣です。

幼い頃に母に抱かれた記憶を一つずつ思い出している武蔵が、それが記憶の中の出来事なのか、幻覚なのかは判然としませんが、後ろから自分を抱きすくめる母の感触に、握っていた木剣を思わず手から離してしまう。
その情景を個展では、絵に描かれた武蔵の手と、実際に床の上に吊られていた(ただ床に落ちているのではなく、握りの部分が少し床から浮いている)本物の木剣で表現していました。
突然存在した本物の木剣の生々しさに私たちは息を飲み、武人の象徴たる(木)剣から手を離し、それが絵の次元からこちらの次元にまで零れ落ちているという状況に、既に置き去りにしてきてしまったはずの母への憧憬に、不意に出会ってしまった武蔵の驚きと望外の喜びの大きさを感じ取るのです。

画集では、当然キャンバスの下の木剣まで絵と一緒に写真に収めて載せていますが、それはあくまで写真であるだけです。今まで入場者たちがずっと味わってきた絵の世界に、不意にぽつねんと現れた木剣の存在感が存分に際立っているとはさすがに言えません。もし個展に行くことなくこの画集を見た人がいるならば、このページをいぶかしみこそすれ、驚きに身体を震わせるところまでは行かないでしょう。


もう一つは、最後の部屋の、キャンバスの前の砂です。
横に長いキャンバスに描かれているのは、こちらへ向かってくる幼い小次郎と砂浜(おそらく小次郎と吉岡伝七郎と剣を交えた、故郷の浜でしょう)、そして同じくらいの年齢になった武蔵が、共に向こうへ消えていく。
個展のテーマである「あなたが、最後に帰る場所は、どこですか」が、ここで脳内に蘇ってくるんです。
キャンバスの前に撒かれた砂は、キャンバスの中の砂浜へと続くものであり、絵の世界と私たちの世界の橋渡しをするものです。この砂のおかげで、絵の前の私たちと絵の向こうの武蔵たちとの境界が曖昧になり、世界が渾然となるかのような感覚を抱いたまま個展を終えていきます。
冒頭に書いた「最後の部屋に入ったら逆走できない」という制約はこのギミックのためであり、床を不自然に砂で汚して妙な気配を感じさせないための配慮なのです。

やはり、当然こちらもキャンバスの前の砂を絵と一緒に写しており、読み手にその存在がわかるようになってはいますが、その存在感と意味するところが過不足なく伝わるかというと、頷くことは難しい。あくまで、砂はそこにあったものとしか感じられないように思うのです。



そもそも画集はあくまで画集であり、本物の絵ではありません。絵が描かれた紙を間近で観ることが出来るわけでもなく、その絵の質感を我が眼で確認できるわけでもありません。
ただでさえこの個展は、属地的というか、会場に配置された絵の間隔や、その仕切られた空間の雰囲気、気の済むまで絵を見たり、物語としての全体の認識(解釈)のために会場を逆走したりする全身的な味わい方など、ただの画集では表現しきれないところが非常に多いです。
また、そのキャンバスの材質や、筆による毛羽立ちなども雰囲気の重要なファクターであり、さらに、突如として絵と同時に現れる三次元的な存在があるなど、個展そのものが、二次元世界を味わうというより、三次元的に空間そのものを味わうものだと言えます。

ですから、私が持つこの画集の感想は、この画集は完全に、実際に会場に足を運んだ人向けであるな、というものです。
実際に足を運んだ人であれば、絵や写真を見て、そのときの空気を思い返すことも出来ますが、この画集でしか知らない人にとっては、あくまで絵が集まっている画集、二次元世界を味わう普通の個展でしかないでしょう。この画集は、あくまであの空気を想起させる(ただし、その間などを練りに練って、より正確に、精緻に想起できる)よすがなのです。
三次元的、空間的鑑賞を求められるあの個展の画集を出すのならば、実際そう開き直ってしまったほうがいいのかもしれませんが。


どうやら、来年熊本にてこのマンガ展が開かれるそうです。そうなると、他の地方で開かれることも夢ではないでしょう。近くで開かれたら、興味のある方は足を運んでみることを全力でお薦めします。私自身、また関東でやったら是非行こうと思います。

いやあ、読み返して涙でそうだった。





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