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漫画の話です。

「くおんの森」に見る、越境する絵、混交する頁

くおんの森 (1) (リュウコミックス)

くおんの森 (1) (リュウコミックス)

本好きばかりが住む街・栞ヶ浜に引越してきた読書狂の少年・魚住遊紙。町内を探索していた彼は、本の集う場所・【森】(本当は「本」を「森」のように三つ重ねている)に迷い込み、そこに暮らす少女・モリとある契約を交わす……


COMICリュウで連載中の、ビブリオマニア・ファンタジー。表紙の印象通り、とても幻想的な作品です。正直、まず一読した時はなんだか話が掴みきれず、頭を傾げて終わったのですが、いつのまにか二周目にに手が伸び、つい三周目に行ってしまう、読んでいてトリップするような妙にアディクティドな魅力をもっています。
この魅力は、もちろん幻想的な絵柄のためでもあり、夢物語のようなストーリーのためでもあり、また、妙に時代がかった台詞回しのためでもあるんですが、それ以外にも、絵やフキダシも含むページの構成の仕方にも理由があると思います。

コマを越える絵。




(くおんの森 1巻 p29)
コマの枠線を振り切って描かれる絵というのはわりとよく見かけます。個人的には、椎名高志先生の作品でよく見かける気がしますが。

GS美神・極楽大作戦 ワイド版 11巻 p71)
こんなの。
ですが、この作品では、このような一般的な越え方だけではありません。もっと大胆に絵がコマを越えています。

(くおんの森 1巻 p183)
ちょっと見にくくて申し訳ないですが、このページでは、右側1/3ほどを斜めに区切っているコマ(奥にのびる廊下で相対する主人公・魚住と少女)に描かれている廊下の向こうから花びらが飛ばされてきているんですが、花びらがそのコマに留まらず、ページ全体へ舞い散っています。また、中央の細長いコマ(斜め上方からのカメラ)に描かれている少女は、右側のコマとの境界線をあいまいにしています(隣のコマとの、鋭角に区切られている明暗のコントラストも面白いです)。このように、ページ内のコマの区切りが非常に曖昧になっているにもかかわらず、コマごとにカメラ(視点)が六回も切り替わっています。

(同書 p115)
やはり見づらくてすみませんが、この絵の中で乱舞している謎の生物(作中では「紙魚(しみ)」と呼称されています)は、中央上方と中央下方にいる老人の持つ本から飛び出しています。そして、この老人は同一人物です。どういうことかといえば、全体の下から2/5あたりに描かれている木の枝でコマが分けられているので、つまりは2コマ描かれているだけなのですが、紙魚は別々のコマから出ているにもかかわらず、彼らはその影響を受けずに同じ視点から描かれています。紙魚たちは、平気でコマを越境しているんです。

次元の異なるキャラ。




(同書 p74)
このページでは、枠線ではなく、絵がコマを区切っています。ちょっとわかりづらいので、各所をアップにしてみましょう。

(同ページ 右側)

(同ページ 上方)

(同ページ 下方)
このように、下のコマ以外では、木の枝やキャラ自身(ちなみに彼女が「モリ」です)、あるいはフキダシが絵同士の境界となっています。単純に背景の上に描かれているというのではなく、言ってみれば、背景の絵に対して、キャラや木の枝は一段次元の高いところに描かれているようなものです。また、下のコマにしたところで、左側に写っている木の枝が、やはり上のコマとの境界線を曖昧にしています。
このように描かれると、普段は枠線で分かたれている絵の境界が不安定になります。「一番上に描かれているモリは、いったいどこの絵に属しているんだろう」と。彼女は完全に背景の絵とは次元を異にしています。それゆえ、彼女の存在感にはどうしても非日常性が漂うのです。

コマにまたがる絵。




(同書 p174)
このページもアップで見てみましょう。

(同ページ 左上)
ここでもやはり木の枝がコマを越境しています。というか、この枝は謎です。こんな枝、どのコマにも属していません。単純に存在の必然性から言えば、こんな枝は描かれないんです。枝が伸びるような木なんか、どこにもありませんから。

(同ページ 右)
ここでは、お団子の絵が枠線をあいまいにしています。もともとただの棒線(コマ間に空間を取らない枠線)で区切られているだけだからコマ同士の親和性が非常に高いのに、お団子が両コマにまたがっていることで、さらに境界が曖昧になるんです。
また、ページ全景を写した画像を見てもらいたいんですが、フキダシも他のコマにまたがっていることがわかります。このために、やはりコマ同士の親和性が上がっています。

融解するフキダシ。



フキダシによるコマの親和性なら、さらにこの漫画独特のものがあります。

(同書 p175)
コマの枠線で遮られず、枠線そのものにフキダシが融解しているんです。棒線でのコマ枠の場合なら、特に少女漫画でよく見かけますが、空間のあるコマ枠でこうなるのはあまり見ないと思います。

結び。



このように、この作品では随所に絵やコマの境界があいまいになる表現が見られます。絵がコマを越えたり、一つ高い次元で描かれたり、コマを曖昧にしたり、フキダシが枠線に融けだしたり。特にページ全体があいまいになると、コマを読む視線の移動が←←←↓←のような直線的、単線的なものにならず、大河がうねるような、大きく混沌とした流れがある印象を与えるんです。
普段見慣れない、頁全体が混交していくような絵をめくっていくと、なんだか読んでてトリップしていくんですよね。頭がちょっとくらくらする。それに慣れて楽しめるか、「わかりづらいわ!」と投げ出してしまうかはまあ趣味の問題ですが、絵やストーリーのもつ幻想性もふくめて興味がある方は、一度読んでみると面白いかもしれません。
大黒黒客日記 - たまごまごごはん
実はこちらのサイトで紹介されたもんで買ってみたのですが、たまごまごさんは「宮沢賢治的世界が好きな人はドンピシャ」と勧められていますが、脆そうだけど素朴に幻惑的な雰囲気は、確かにそんな感じなのかもしれません。私としては「東洋アリス」というイメージですかね。
あ、あと主人公の眼鏡少年が過剰にイケメンじゃないのが好印象。


作者サイト;雨花








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