『Dr.STONE』と『人間の土地』科学と人間と責任についての話

次にくるマンガ大賞2018」第2位に輝き、2019年7月からのアニメ化も決定している『Dr.STONE』。
Dr.STONE 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
ある日、世界中の人間(とツバメ)が何らかの理由により石化し、およそ3700年の時を越えて復活した主人公の石神千空。人為は自然に還り、野生が蔓延っている世界で、高校生離れした科学知識と精神力を持つ彼は、他の人間を復活させつつ、かつての科学文明を再興させようと奮闘する、というのが主なストーリー。映画『オデッセイ』(原作『火星の人』)のような、サバイバルアクションでありSFでもある本作ですが、随所に登場する科学への姿勢や登場人物の描き方は、私には別の作品を思い起こさせました。それは、『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリのエッセイ集、『人間の土地』です。
人間の土地 (新潮文庫)
作家であり、同時に飛行士でもあったサン=テグジュペリは、航空輸送機のパイロットとしての自身の経験をもとにいくつかの作品を上梓しましたが、本作もその内の一つです。
この作品は、一言でいえば人間賛歌。彼の活躍した戦間期は、まだ飛行技術も通信技術も確立しきっておらず、新たな航空ルートを開拓することも、開拓されたそのルートを飛行することも、まったく安全なものではありませんでしたが、それゆえ彼は、飛行することに、飛行した先で巡り合う人びとに、飛行を可能にする人間の技術に、その技術を会得した技術者たちに、深い畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。人間とは偉大で気高い存在である。そんな感情が溢れている本作は、『ジョジョの奇妙な冒険』に負けず劣らずの人間賛歌であると私は考えています。
で、そんな作品のどこが『Dr.STONE』と通じるのかと言えば、前述したように、科学とキャラクターの描き方。
たとえば科学について。
『人間の土地』は、こんな一節から始まります。

ぼくら人間について、大地が、万感の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものだ。もっとも障害物を征服するには、人間に、道具が必要だ。人間には、鉋が必要だったり、鋤が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつか少しずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然が、世界共通のものたりうるわけだ。
(p7)

石化から復活した千空がしていたことは、まさにこれです。
なぜ人間の石化という事態が起こったのか。どうして自分の石化が解けたのか。
この取り付く島もないような疑問にさえ、彼は持ち前の観察眼と科学知識によって、トライ&エラーを繰り返し、ついには石化を人為的に解く方法を見つけました。
石化という「障害物」に対し、科学知識という「道具」でもって対峙し、その「秘密」を探っていった結果、石化の解除方法を見つけ、「その真実その本然」を「世界共通のもの」(=偶然ではなく再現性のあるもの)としたのです。
また、地球上の全人類が石化した後で、ゴニョゴニョの理由で存在している生き残りの村に合流した千空。当然、科学知識は新石器時代レベルにまで退化しています。そんな生活では冬を越すだけで一苦労。寒さと食料不足は直接的に生命を脅かしてきますから、100人にも満たない村では毎年、いかにして冬の間に死者を出さないかが悩みの種となっています。
そこにやってきた千空は、滅びる前の科学知識を持っている男。既に数々の科学の成果物をもたらした彼は、冬のあいだに、マンパワーで負ける敵対勢力に対抗するため、携帯電話を作り出して情報戦を仕掛けようとしました。その携帯電話に必要なのがプラスチック(フェノール樹脂)で、そのプラスチックに必要なのが石炭のカス(と水酸化ナトリウムとホルマリン)。その石炭のカスを大量に作るために千空は、村の各戸に暖炉を設置し、結果として村民は、冬の間の寒さを凌げるようになったのです。また、各種薬品や電球をを作る過程で必要になったガラスは、瓶詰の容器としても活躍し、冬の間の食糧事情にも一役買いました。
『人間の土地』では、飛行機、つまりは人間が得た技術についてこう言っています。

単に物質上の財宝をのみ希求している者に、何一つ生活に値するものをつかみえないのは事実だが、機械はそれ自身がけっして目的ではない。飛行機も目的ではなく一個の道具なのだ。鋤のように、一個の道具なのだ。
(p60)

機械は、人間の技術は、それがどんなに高度なものであれ、それ自体が目的ではない。それは目的に達するための道具であり、人の生活の資するためのものなのだと。
このように、科学とは人間に資するものだと強く語られているのが『人間の土地』。では科学に資されている人間とは、いかなる存在なのでしょうか。
『人間の土地』には、こんな一節があります。場面は、飛行中の事故で雪のアンデス山中に不時着し、5日後に救出された、サン=テグジュペリの僚友・ギヨメが、山中を彷徨っていた時の苦難の思い出を語っているところです。

だがぼくは、自分に言い聞かせた。ぼくの妻がもし、ぼくがまだ生きているものだと思っているとしたら、必ず、ぼくが歩いていると信じているに相違ない。ぼくの僚友たちも、ぼくが歩いていると信じている。みんながぼくを信頼していてくれるのだ。それなのに歩いていなかったりしたら、ぼくは意気地なしだということになる。
(p52)

そしてこんな一節もあります。サン=テグジュペリ自身がサハラ砂漠に不時着し、同乗の機関士とともに、万分の一の可能性も無い助けを求めて、砂漠を歩くシーンです。

――ぼくが泣いているのは、自分のことやなんかじゃないよ……」
(略)
<自分のことやなんかじゃないよ……>そうだ、そうなのだ、耐えがたいのはじつはこれだ。待っていてくれる、あの数々の目が見えるたび、ぼくは火傷のような痛さを感じる。すぐさま起き上がってまっしぐらに前方へ走りだしたい衝動に駆られる。彼方で人々が助けてくれと叫んでいるのだ、人々が難破しかけているのだ!
(略)
我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!
(p162,163)

両方とも、自分が助けを待つ立場にも関わらず、自分を心配してくれる人たちのために、自分こそが動かなければいけないと信じています。自分こそが、心配してくれる人を安心させるための救援者だと、そう心を奮い立たせているのです。
この二つのエピソードを連鎖的に思いださせたのは、『Dr.STONE』の8巻、司たちに捕まったクロムが、千空たちが助けに来てくれていると知ったはいいものの、自分が閉じ込められている牢の前には罠が設置されていることも知ったシーンです。

ダメだ 罠だ千空 俺を助けに来てくれちゃ…
千空たちに知らせねえと 誰か……


ヤベー 何言ってんだ俺は
「俺を助けに来てくれ」る? 「誰か…」?
パパママ助けてのガキかよ
違うだろ
俺が助けるんだろが 千空たちをよ……!!
(8巻 p186)

あるいは、千空の父である百夜も、石化の異常に襲われた地球を宇宙から目にして、こう吼えました。

「戻ろう 地球に」
「オホー! なに言ってんの百夜まで! 言ったでしょ 70億人もいるんだからきっと誰かが助けに…」
「違げーよヤコフ 
俺達は 人類最後の6人だ
助けを待つ? 違げーだろ 俺たちが助けに行くんだよ 全人類 70億人を…!!」
(5巻 p186,187)

自分が助けに来てもらう立場にも関わらず、その救援者である千空らを助けようと考えるクロム。資源も情報も時間も無い状況で、貧弱な立場にいるはずの自分達こそが救援者だと表明した百夜。『人間の土地』のギヨメやサン=テグジュペリらと見事に重なります。
このような人間の態度について、サン=テグジュペリはこう書いています。

彼の真の美質はそれではない。彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある、自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。彼には、かしこ、生きている人間のあいだに新たに建設されつつあるものに対して責任があった。それに手伝うのが彼の義務だった。彼の職務の範囲内で、彼は多少とも人類の運命に責任があった。
(略)
人間であるとは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分には関係のないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ちえた勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。
(p57,58)

責任を感ずるものこそが人間であると、サン=テグジュペリは言いました。自分を助けに来てくれている千空や村の人間たちの安全に対して、それを自身の責任と感じているクロムは、まさしく人間なのです。
また、牢に入れられる前に、滝つぼの上で吊り下げられて、千空を裏切り他の村人ともども自分らの仲間にならないかと司に誘われたクロムは、迷いなく拒否し、動揺の一つも見せずに死を選びました(結果的に助けられましたが)。このシーンもまた、『人間の土地』の一節を思い出させます。

ぼくは死を軽んずることをたいしたことだとは思わない。その死がもし、自ら引き受けた責任の観念に深く根差していないかぎり、それは単に貧弱さの表れ、若気のいたりにしか過ぎない。
(p58)

やはりクロムは、科学の再興と、それに不可欠な存在である千空に対して、自身の責任を感じたために、粛々と死を受け入れたのでしょう。
責任という観点で見れば、過去から連綿と受け継がれてきた科学知識を絶やしてはいけないという責任を千空は感じているでしょうし、司は司で、「汚れた人類を浄化して 新世界を踏み出すために そのためなら俺は この手をどれだけ汚すことも厭わない…!」と、新たな世界の指導者としての責任を感じています。その方向性や種類は違えど、誰に頼まれたのでもなく自ら進んで、他者や世界に責任を感じていることは同じです。科学王国も司帝国も、そのトップの双肩には、自らしょい込んだ重い責任がのっているのです。


Dr.STONE』の巻末には、多くの書籍が参考文献として載っていますが、『人間の土地』も実質参考文献みたいなものでしょう。
『人間の土地』には上記引用の他、「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」や「完成は付加すべき何ものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられるように思われる」などといった、人口に膾炙している名言も入っている、激しくお薦めの本です。たぶん、人生で一番多く読み返した本。年末年始の暇のお供に、ぜひ読んでたも。



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