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『HUNTER×HUNTER』「道草を楽し」むゴンと、蛙の子は蛙の話

ドラゴンボール』に『幽遊白書』、『スラムダンク』に『封神演義』『るろうに剣心』と、少年時代にそうそうたる看板漫画が連載されていながら今まで買って読むことをしたことのなかった少年ジャンプ(基本的に友人の家で読んでた)。その私をして生涯初めての定期購読に至らしめたのは連載再開した『HUNTER×HUNTER』でした。さすがに冨樫先生は偉大。
なものだから直近の最新刊である32巻以降の話をリアルタイムで追えているのですが、今週号(31号)のジャンプでのNO.345で、ちょっと引っかかる発言がでてきました。
ということで、以下の文章はおおいにネタバレになります。未読の人は注意。
※※※※※CAUTION!!!【ネタバレ】CAUTION!!!※※※※

HUNTER X HUNTER32 (ジャンプコミックス)

HUNTER X HUNTER32 (ジャンプコミックス)

「NO.435 署名」では、いったんクジラ島に帰りミトさんらと再会したゴンが、ジンに関する話に花を咲かせる中でこう言っていました。

「一緒に旅したいとは思わなかった……………? ジンと」
「…………う〜〜〜ん たらればだけど
オレが念を使える状態でジンに会ってたら… ついて行ったかも…」
「それは…どうして?」
「ん〜〜〜〜…
上手く言えないけど…オレ…
ジンに会いたいって思ったんじゃなくって
ジンを見つけることが目的だったんだって…会ってみて気付いたって言うか」

ゴンの言った、「ジンに会いたいって思った」ではなく「ジンを見つけることが目的だった」という意識の違い。これが何かに符合するなと思ったのですが、それは32巻「No.338 樹上」でのジンのセリフでした。

オレはいつも現在いまオレが必要としてるものを追ってる
実はその先にある「本当にほしいもの」なんてどうでもいいくらいにな
(32巻 p162)

「本当にほしいもの」と「ジンに会いたい」。「オレが必要としてるもの」と「ジンを見つけること」。これらが符合するポイントとなります。
では、これをどう解釈するのか。
前者の「本当にほしいもの」と「ジンに会いたい(=ジンに会うこと)」は、行動の最終的な到着点です。到着「点」。すなわち、動的なものの後にくる静的な瞬間。点はその瞬間において完結しているため、それ以降の展開はありません。
翻って「俺が必要としてるもの」と「ジンを見つけること」は、到着点に至るまでの動的な過程です。過程は目的地にたどり着くまでいかようにも変化し、展開し、あっちへ行きこっちへ行き、ふらふらし続けます。なぜふらふらするのかと言えば、単純なゲームなどとは違い、到着点がわかっていても現在の地点からそこまでの最短ルートを進めばいいというわけではないからです。
人生における目的とは、比喩的に言えば、白地図の中にぽつんと描きこまれている現在地と目的地のようなものです。両地点の間にどんな地形があるのか、どんな町があるのか、どんな生物がいるのか、何もわからない。手探りで進んでいく中で地図を埋めていき、情報を得て事前に地図に書き込みをしてもいざ行ってみたらまるで違ったりと、実際に動いてみなければどうすれば目的地まで辿り着けるかわからないのです(もちろん情報などである程度見通しは立てられますが)。G.I.編でゴンらが買った廉価版の島の地図みたいなもんですね。そういえばゴンは、最初からすべてが描きこまれている地図よりも、自分で描きこんでいく地図の方が楽しいと言ってましたっけ。
到着点に至るまで、無限の変化と展開を見せる動的な過程。ゴンはそれこそが目的だと言ったわけですが、これがさらに何に符合するかといえば、やはり32巻でのジンの発言です。

だが 別に急いでいない
道中を楽しんでいる最中だ
だからもし お前の行き先が将来オレと重なるようなら
道草を楽しめ 大いにな
(32巻 p169)

道草。
それは、到着点に至るまでの動的な過程の渦中にあるものです。それを楽しめと言ったジンと、それが目的であったと言ったゴン。実際に言葉を交わしたことなどほとんどないにもかかわらず、期せずして二人の言葉と意識は重なっていたのです。まさに「似たもの親子」なわけです。
「ジンを見つける」途中で、ゴンはキルアやレオリオやクラピカ、その他大勢の人間に出会い、念を身に着け、知的なものや愉快なもの、不快なもの、そして死の半歩手前までいったものなど、実に多くの体験をしてきたわけです。道草を楽しんできたのです。それを8000〜10000字のレポートとか、むしろ文字数少なすぎ。
蛙の子は蛙というか、親は無くとも子は育つというか、ゴンはやっぱりジンの息子、というとこでしょうか。
また、ゴンは「オレが念を使える状態でジンに会ってたら… ついて行ったかも…」と言ったわけですが、これは推測するに、念を使える状態であればジンと同行しても道中を楽しむことができる、裏を返せば、念がなければ=ただの親子という関係だけでは=同行するに足る力を持っていないのであれば、一緒にいても楽しめないと考えたのだと思うのです。行動基準としての、道草=過程を楽しめるかどうか。それの発露なのかなと。


さて次週はハンタ休載とのこと。一週だけだよね……?



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