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『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 学校編

ひばりの朝』の感想その3です。

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

ひばりの朝 2 (Feelコミックス)

その1・その2はこちら。
『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 富子編 - ポンコツ山田.com
『ひばりの朝』ひばりを通して浮かび上がる人々の話 成年男子編 - ポンコツ山田.com
その3の今回は学校編。つまり、ひばりの同級生の相川と美知花、そして担任の辻にスポットを当てます。


相川と美知花はひばりの同級生で、その1・2で触れた登場人物たちと違い、日常的に彼女を見ています。学校の教室というその年頃の人間の生活の大半を占める世界、作中の言葉で言えば「私たちの宇宙のすべて」で共に過ごしながら、相川は好意を、美知花は軽侮をひばりに対して抱いていました。
相川も美知花も、ひばりを見ているようで自分のことしか見ていません。
相川の好意は、ひばり自身から「なんにも知らないのにスキかもとかいらないから」と言われたように、恋に恋していたような気持ちであって、「ひばりと付き合う」ということを自分の都合でしか考えていませんでした。相川にとってスキとは「自分の心と体がひとつな感じで きっと くだらない日常とは別世界」なものだったのですが、その「別世界」にいるのは、自分と自分の想像の中のひばりに過ぎなかったのです。
相川にとって「別世界」のひばりは、ディズニー行ったりプリクラ撮ったり手を繋いだり、という個別的なシチュエーションに存在するものでしかなく、そこから離れた、たとえば屁をこくだとかげっぷをするだとかの「くだらない日常」とは無縁なのです。もちろん父親からのセーテキイタズラなどという惨たらしいものからも。
だから彼は、現実の(すなわち「別世界」ではなく「くだらない日常」の中の)ひばりが知らない年上の男性と一緒にいるところを目撃し、そして彼女に冷たくあしらわれたときに、「全然たのしくない」し、「すげえむかつくのに 心臓と耳の裏痛」くて、「でも勃起しそう」で、「バラバラ」で、という「自分の心と体がひとつな感じで きっと くだらない日常とは別世界」とは正反対の感覚を味わったのです。その感覚を知るまでの彼が見ていたひばりは、彼の思い描いていたひばりでしかありませんでした。


美知花は男女問わずクラスメートから人気がありますが、その秘訣は巧妙な立ち振る舞いです。友人の話はよく聞き、表立って誰かの悪口を言うことはせず、噂話を広める時もそういう意図を臭わせないように話す。それが美知花の処世術です。で、この処世術で彼女がどうしているかと言えば、「ミツのアジ」である他人の不幸を舐りつくしています。処世術により性格のいい美人というポジションを確立し、友人らから「秘密を言える相手」という信頼と、秘密という名の弱みを得ているのです。
言い換えれば、美知花にとって友人とは、信頼と秘密という心地よいものを提供してくれる存在でしかなく、それを提供してくれないものには何の価値も認めていないのです。talk.5でひばりから悩みを聞こうとした美知花は、ひばりが話し出した内容がありきたりのものだと思っているうちは至極つまらなそうにしていて、それが父親からのセーテキイタズラ(かも)という話になった途端に目を輝かせたことなど、その最たる証左と言えるでしょう。
そして、ひばりから聞いた話を別の友人に、普段の処世術から外れた形で話してしまった後も、「マナは幼なじみだしあたしに逆らえないから裏切らないよね」と、都合のいい考え方をしています。彼女にとって他人そのものはたいして重要ではなく、その「ミツのアジ」を知って楽しむ自分が一番の興味の対象なのです。
美知花にとっては、ひばりに限らず誰であれ、彼女にとってただの都合のいい存在でした。美知花が見ていたひばりはひばりという個人ではなく、自分に「ミツのアジ」を提供してくれるone of themだったわけです。ま、その考え方も痴漢事件で揺らいだわけですが。


自分の見たいひばりしか見ていなかった二人ですが、二人ともあるきっかけでその見方が変わります。
相川は、上述したように現実のひばりに冷たくされたことで、「スキ」は「くだらない日常」の延長にあることに気づきました。そして美知花を変えたきっかけである痴漢事件ですが、これにより彼女はまず、自分が「ミツのアジ」の対象になりうる存在であると気づきました。電車で痴漢に遭った女子中学生。これが自分のことでなければ美知花は舌なめずりさえしながら見ていたことでしょう。しかしこれはほかならぬ自分。「ミツのアジ」という蜂蜜をぶっかけられることがどれだけ不快か、身にしみて分かったはずです。
さらに彼女にとって意外だったであろうことは、自分が痴漢に遭ったことが10日間の欠席を挟んでなお一切広まっていなかったことです。こんな美味しい「ミツのアジ」、皆が噂を口にして楽しまないわけがない、少なくとも自分なら味わい尽くす。美知花が10日も欠席したのは、痴漢に遭ったショックよりも、自分が噂の対象になっていることを恐れたからでしょう。にもかかわらず、誰も知らない。ということは、ひばりはそれを言っていない。
「ミツのアジ」を楽しまない人間。それは美知花とは別種の人間です。そもそもは母親からその楽しみを学んだ美知花は、友人たちに噂話をすると彼女らもこぞってそれを広めるのを見て、人間とはそういうものだと合点したことでしょう。けれどひばりはそれをしなかった。自分とは違う人間だ。自分とは違う人間がいた。このような形で美知花は、世界の新しい分節線を知ったのです。


新しい分節線を知った二人は、新しい行動に出ます。
相川はほかのクラスメートの視線を決然と跳ね除けひばりをかばうようにした。ひばりの近くにいるようにした。それはきっと、ひばりのことをもっと知るため。「なんにも知らないで好きかも」と言ってはいけないのなら、「何を知っていればキミをスキでいてもいいの」かわからないのなら、とにかく近づかなければ、行動しなければ始まらない。
そうして彼は変わりました。talk.13でひばりと別れた相川のその後にどのような感情の変化があったのかはわかりませんが、この日の行動は彼にとって一つのイニシエーションとなったのでしょう。final talkで彼が後輩から告白されたのも、それによる他のモブ男子との差別化という側面があったのだと思います(もちろん、孤独になるひばり、という側面もあります)。
それに対して美知花の変化は、処世術の破綻です。talk.12で幼なじみであったマナに投げつけた彼女を傷つけうる言葉。それは今までの美知花からは決して出ることのないものです。また、その話で語られた10年後の自分への手紙も、人前で発表するには少々ブラックに過ぎるものだと思います。クラスメートが笑っている描写もありましたが、もし私の中学校時代にクラスメートの女子があれを読みあげたとしたら、顔をひきつらせてドン引いていることでしょう。「人を信じることができません」「見返りが必要」「明日寝ている間に死にたい」。ドン引きです。
このような美知花の変化は、相川に比べればずいぶんネガティブなもののようにも思えますが、根っこのところには「自分と他者は違う人間(少なくとも違う人間がいる)」という考えがあり、そこからの発露であるため、初期段階として顕れたものがネガティブに映ったとしても、最終的には相川と同種の、大人の階段を登る時の変化なのだと思います。


さて、このようにひばりを通じて大人へのイニシエーションを受けた二人と違って、というよりほかのどの登場人物とも違って、超然とした次元にいるのが担任教師の辻です。この作品において彼女は唯一、ひばりを色眼鏡で見ない人間、というポジションにおかれています。

手島日波里は…
あれは どう見ても噂とは一致しない ただの 無知で不用意な 年相応の子どもなのだが
見た目と裏腹に臆病な印象が誤解させるのか
…誤解する人々の厚顔さはいよいよ私の人間への興味を薄れさせる
(1巻 p145.146)

…手島日波里は
クラスメイトらの囁く噂のような子どもでは ない
大人の期待する淫らさを持ち合わせてもいない
見た目こそ妙に大人びて特異ではあるが
凡庸で 人並みに愚かで 人よりは少し臆病で まだ性の何たるかを知らない
それは そと見ではなく 彼女を見れば 誰にでもわかる 簡単に
(1巻 p154,155)

辻は生徒に、いや、人間に興味がありません。興味がないから見下されても気にしないし、良心も傷まない。でも、そんな彼女だからこそ、噂やそと見に惑わされないひばりが見えている、とされています。
彼女は、他のキャラクターと非常に明確に差別化されて造形されています。人間に興味がないがゆえに「本当の」ひばりが見える者。ひばりを巡って様々な想像をしている他のキャラクター/想像をしない者、という明瞭な対立項です。彼女の存在のおかげで、ひばりは噂とは違う人物だ、ただの傷つきやすい中学生に過ぎないのだ、という読み手の視点が確保されるのです。
しかし同時に彼女の存在は、他のキャラクターをより際立たせてもいます。つまり他のキャラクターは、対象が誰であれ人間に興味がある、ということです。対象はひばりかもしれないし、ほかの誰かかもしれない、自分自身かもしれない。でも、必ず人間に興味がある。
人間に興味があるということは、欲望するということ。欲望するということは、こうありたい・こうあってほしいと望むということ。望むということは、主観的願望が混じるということ。主観的願望が混じるということは、なにかを見るときに色眼鏡をかけるということ。人間に興味がない彼女の存在は、それ以外のキャラクターにある欲望の存在と、そこから必然的に生じる偏見を、別の角度から浮かび上がらせているのです。
各々のキャラクターがしている想像でもやもやと煙っているこの作品の中で冷たい光のように一筋の視点を示し、そしてそんな彼女でさえもなけなしの良心を軋ませていることでひばりの境遇の苛烈さをも表す。その意味でこの作品にあって辻は、ひばりを巡って浮かび上がるキャラクターというよりも、ひばりに寄り添うキャラクターであると思うのです。人間に興味がない辻こそがひばりに寄り添うというのも、皮肉というかなんというかですが。


ということで、学校編でした。次回のひばり編で、『ひばりの朝』感想はひとまず終わりとなる予定です。



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